書評『トランプ時代のアメリカを歩く』――冷静な筆致で綴られたルポルタージュ

ライター
松田 明

想定外の大統領選挙

 私たちは単なる想定外の〝悪夢〟を見ているのか。それとも、冷静に対峙すべき〝新しい時代の課題〟と向き合わされているのか。
 2016年11月8日。米国はもとより日本を含む諸外国のメディアの大勢は、史上初の女性大統領が米国に誕生することを確信し、その瞬間を固唾をのんで見守っていた。
 聖教新聞外信部副部長の光澤昭義記者も、民主党ヒラリー陣営の集まるニューヨークのジェイコブ・ジャビッツ・コンベンション・センターで、その時を待っていた1人である。
 だが、開票が進むにつれ、場内は異様な空気に包まれた。ホワイトハウスの第45代の主人となったのは、共和党のドナルド・トランプだった。
 事前に光澤記者が取材した米国の学識者は、誰一人としてトランプ候補の勝利を明言していなかった。民主党の地盤と思われてきた州でも勝ったのはトランプだった。なぜ、このような結果になったのか。
 トランプ大統領の就任から4ヵ月後、光澤記者は再び渡米し、メキシコ国境の町、シリコンバレー、ラストベルト(錆び付いた工業地帯)と称されるミシガン湖畔のミルウォーキーなど、米国を東西南北に駆け、人々の声に耳を傾けた。

「フェアで真摯な取材姿勢」

 聖教新聞外信部編として上梓された本書は、同紙に連載されたこれらレポートに加え、カーリン・ボウマン(アメリカン・エンタープライズ政策研究所上級研究員)、ケント・カルダー(ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所長)、エイドリエン・ジェイミソン(スタンフォード大学ワシントン校学長)ら米国の識者へのインタビュー、さらに渡辺靖(慶應義塾大学SFC教授)、会田弘継(青山学院大学教授)、宮城大蔵(上智大学教授)、三浦瑠麗(国際政治学者)といった日本の識者へのインタビューなどをまとめたものである。
 就任からおよそ8ヵ月。いまだに政権を運営するスタッフの多くが空席のまま、一方で首席補佐官や広報部長など政権中枢の人物が次々に更迭され、8月には大統領選勝利の立役者だったスティーブン・バノン主席戦略官兼大統領上級顧問までホワイトハウスを去った。
 日本のメディアでは、トランプ大統領がいかに問題の多い、あるいは理解不能な為政者かという側面ばかりが、悲憤や戸惑い、揶揄を交えて連日報じられているように思われる。
 本書の「あとがき」で、野山智章・聖教新聞外信部長は、トランプ大統領を文化人類学や心理学でいうところの「トリックスター元型」になぞらえている。
 そして、人々を惑わすドナルド・トランプの本性をあれこれ論じることよりも、このような人物に支持を寄せ続ける支持層の1人1人に肉薄しないかぎり、「トランプ時代のアメリカ」は理解できないと指摘する。
 こうした問題意識から注意深く進められた光澤記者の取材について、本書の「解題」を引き受けた渡辺靖教授は、こう評価している。

 煽動的なルポほど日本の出版界を席捲するなか、光澤記者は敢えて奇を衒(てら)うことをせず、保守とリベラル、共和党と民主党、トランプ派とクリントン派のいずれにも肩入れすることなく、軽快なフットワークと抜群のバランス感覚に裏打ちされた、冷静な筆致でトランプ時代の米国の諸相を活写している。フェアで真摯(しんし)な取材姿勢に深い感銘を受けた。(中略)今回の光澤記者の秀逸なルポは、私自身が米国研究者であるがゆえに陥っている視野狭窄(きょうさく)に気付かせてくれた。

「排除の思想」を超えて

 本書は、その書名のとおり米国に「トランプ時代」をもたらした構図を、丹念に読み解こうとした一書に仕上がっている。
 同時に、この〝トランプ現象〟は米国だけに起きた特殊な出来事ではなく、今日の世界(もちろん日本も含めて)に連鎖・連動して起きている「グローバル化の『勝ち組』と『負け組』の対峙」の中で生まれ、そこからまた世界に波及していることを踏まえて、本書は読まれるべきであろう。
 たとえば本書の中で、会田教授はこう述べている。

 残念なのは、中間階層の人々が苦境に立たされると、国内に〝敵〟を探す傾向があることです。どうしても「排除の思想」が出てきてしまう。

 トランプ大統領はこの「排除の思想」を自身の力の源泉にしているわけだが、このトランプ大統領の存在や、彼を支えている支持層に「邪悪」「愚か者」というレッテルを貼って非難することは簡単でも、それは背中合わせに、こちらも同じ罠に落ちているということを自覚しなければならない。
 渡辺教授もまた「解題」で、

 クリントン支持者にとってはトランプ氏は米国的な価値観の「破壊者」であり、トランプ支持者にとってはクリントン氏こそ「破壊者」に映る。光澤記者のルポを読んでも両者の米国認識が交わる気配はない。ほとんどパラレル・ワールドと言って良い。

と指摘している。
 むしろ、渡辺教授が語る、次の点に留意したいのだ。

 確かに、トランプ氏の言動には乱暴なものが目立ち、米国の民主主義の崩壊を印象付けられることも少なくない。しかし、それまで米国の政治に失望し、予備選などに足を運ばなかった層をもう一度、政治参加のプロセスの中に引き戻したことは、いわば米国の民主主義が健全に機能していることの証とも言える。

 トランプ時代の米国は、これまで「予備選などに足を運ばなかった層」によって生み出され、今も支えられている。
 それは、ホワイトハウスが危うい力によって支えられている姿にも見えつつ、視点を変えれば、ホワイトハウスが危うい力を辛うじてコントロール下に置いた姿でもある。
 神話や物語の中で、トリックスターはそれまでの秩序を破り邪悪な行為をするのだが、その本質には本来、善悪の両面が備わっている。というよりも、彼の破壊的行為を凶事に終わらせるか福へと転じられるかは、常にこちら側にかかっている。
 トランプ時代を迎えて真価が問われているのは、たしかに米国の民主主義の底力なのだろう。だがそれは同時に、私たちが受けている挑戦でもあるのだと感じ入る一書である。

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