子どもの貧困対策は国家の成長戦略

社会運動家/反貧困ネットワーク事務局長
湯浅 誠

深刻化する子どもの貧困問題だが、子どもの貧困対策は単なる感情論だけではない。日本の重要な成長戦略として捉える視点が必要。

子どもの貧困は放置できない課題

 子どもの貧困問題の責任は子どもにはないという点では、日本中で合意がとれることだと思います。だから大人が何とかしなければいけません。
 日本の子どもの相対的貧困率は、OECD(経済協力開発機構)加盟国のなかでは、中の上くらいの高い水準に位置し、現状のままでは残念ながら減っていく方向にはありません。
 イギリスではブレア首相が、1999年に「2010年までに児童の貧困を半減させ、2020年までには撲滅する」との目標を掲げ、当初は相対的貧困率が12%であったのに対し、2010年には8%まで減らし、着実に貧困率を下げています。
 日本の子どもの相対的貧困率は、2006年で14.2%、2009年で15.7%と、3年間で1.5ポイントも増えています。これは、社会全体の相対的貧困率と比べても、それ以上の増加率で、新たに23万人もの子どもが、相対的貧困状態に陥ったということになります。現在、日本全体として約305万人の貧困な子どもたちがいるのです。
 こうした状況は、放置できない日本社会の課題であることを大前提として、与野党を超えて議員立法で対策を打っていく機運が高まってきていることは、とても歓迎すべきことです。子どもの貧困問題は教育、所得保障、学習支援などとも連動してくる問題です。今、議論されている「子どもの貧困対策法」は、こうした各分野に省庁の枠組みを超えた、横断的な推進力をつけていくための突破口になるものだと思います。
 この子どもの相対的貧困率は所得から見ますが、子どもには収入がありません。子どもの貧困率が高まる背景には、子育て世代の所得の低下があります。子育て世代は、自分のフローがそのままストックになる人たちであり、フローが少ない人は、ストックも少ないと見るべきです。その点では子育て世代の相対的貧困率の増加は、正確に実態を反映しているといえるでしょう。
 今、日本全体の所得は、平均世帯でこの10年の間に、126万円も落ちています。こうした親の所得の低下が子どもに影響を及ぼすことを防ぐためには、高校や大学の給付型奨学金などの整備は必要です。ただ、奨学金だけで解決する問題ばかりではありません。子どものアルバイト代を親がとりあげてしまい、そのお金で酒を飲むといったひどい家庭もあります。そうした子どものサポートをできる相談支援のような対策も必要です。
 これまでにも2009年に「子ども若者育成支援推進法」が成立するなど、子どもをサポートする取り組みは着手され始めてはいますが、少子化対策や男女共同参画と同じように、どうしても推進力が弱い面があることは否めません。
 今回の子どもの貧困対策法は、その推進力をつけていく一助になるものだと思います。

日本社会のこれまでの〝型〟を見直す時

 日本がグローバルな時代のなかで生き残るためには〝高度人材〟の育成が重要になりますが、子どもが少なくなってきているなかでは、子ども本人がそれを望み、条件が整うのであれば、どんな子どもであっても高い教育を受けることができ、能力を身につけることができる環境をつくることが求められます。
 そのためには人に投資をしていく国家戦略が大切です。国が予算を使う先として、防災・減災といったハード面の対策は人の命を守るという観点では重要です。しかし、たとえば、港に着いた荷を高速道路にすぐに乗せるための道路を新たに造るといったことは、流通面でのメリットはあるものの、その費用対効果は人材に投資することに比べて、どうなのかを冷静に見極めていく必要があります。
 また、教育面の予算も重要です。日本は、教育予算での公的支出が非常に少ないことで有名です。国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合では、日本はOECD30ヵ国中で最下位です。
 教育は、子育てや住宅と同様に稼いだお金で買うものという認識が、これまでの日本の伝統的社会にはありました。会社が成長することで給料として正社員にお金が回り、それが子どもの教育費に充てられるという構図です。だからどうしても公費投入に対して積極的になれない面があったのです。
 しかし、今は雇用が不安定化し、必ずしも会社の利益が正社員に分配される構造ではなくなってきています。お金が回るパイプが閉まってしまったのです。
 今はこれまでの社会にあった〝型〟を見直す時にきています。国はより人、特に子どもにフォーカスした対応を国家戦略の視点で考えていく必要があります。

社会的包摂は国家戦略のいちばんの柱

 今回の子どもの貧困対策法について、一部報道では数値目標が入っていないことについて批判的な報道もありました。
 しかし、議員立法の基本法は、この10年間を見てもすべて理念法なのです。数値目標は、大綱をつくる時の委員会で詳しく議論していけばよいので、この時点で、数値目標がなければ意味がないと断定する報道には疑問があります。
 やはりメディアも含め、半歩前進をどう評価するかが大事だと思います。半歩前進を一歩じゃないと批判するのか、それともゼロじゃないと評価するのか。今回の場合は子どもの貧困対策に踏み込むのに際し、手順としてまず基本法を議論に上らせる構えが必要でしたし、二段構え、三段構えで進めていくことが大切です。
 評価という点で、私もずっと取り組んできた「生活困窮者の支援法」制定にあたって、公明党には本当に感謝しています。費用負担でもめていた時に、公明党が財源を確保して全国で実施すべきだと主張し、結果として望ましい形での決着となりました。そして自立支援策、就労支援策の創設、生活困窮家庭の子どもへの学習支援の実施などを盛り込んだ新法が、今の国会に提出されています。
 こうした社会的包摂や、子どもの分野において公明党は本当によくやっていると思います。ただ残念ながら公明党の主張すべてが政府の方針にはなりません。それはこの手の課題が、与党のなかの野党的テーマになってしまっているからです。
 こうした分野が、国家の成長戦略のいちばんの柱になるように、もっと議論の真ん中に位置づけられていくことを強く望みます。
 そしてこれから迎える「人口減少社会」は、全員参加で乗り切るしかありません。地域でもそこに住むさまざまな人たちの力を合わせた取り組みが、各地で起こってきていますが、地方に限らず、日本全体も同じことがいえると思います。その時に大きなウエートを持つのが、今の子どもたちなのです。
 2050年には、日本の人口は8000万人程度になると見込まれています。その時、私は81歳、今0歳の子どもであれば37歳です。この37歳の子が頑張ってくれないと、私たちは生活できないのです。
 その意味で、子どもの分野を切り捨てる余裕など、今の日本社会にはないということを自覚し、子どもたちが将来を担える条件をつくっていくことが大切なのです。

<月刊誌『第三文明』2013年6月号より転載>


ゆあさ・まこと●1969年、東京都生まれ。89年、東京大学文科Ⅰ類入学。95年、同大学法学部卒業。2003年、同大学院博士課程単位取得退学。1995年よりホームレス支援活動に取り組み、現在、反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンターもやい理事を務める。2010年5月に内閣府参与(その後、内閣官房震災ボランティア連携室長、内閣官房社会的包摂推進室長も兼務)に任命される(12年3月に辞任)。著書に『反貧困』(岩波新書、大佛次郎論壇賞受賞)、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版)など多数。