芥川賞を読む 第45回 『ポトスライムの舟』津村記久子

文筆家
水上修一

ありふれた生活と人間に対する繊細で温かみのある目線

津村記久子(つむら・きくこ)著/第140回芥川賞受賞作(2008年下半期)

ありふれた日常から掬いだすもの

 津村記久子は、平成17年に「マンイーター」で太宰治賞を受賞して、その3年後に「ポトスライムの舟」で芥川賞を受賞。当時30歳。その後、川端康成文学賞、紫式部文学賞など多くの文学賞を受賞し、昨年は谷崎潤一郎賞を受賞するなど息長く活躍を続けている。選考委員の小川洋子が「津村さんはこれからどんどん書いてゆくだろう。それは間違いないことであるし、一番大事なことである」と述べた通りになった。
 受賞作の「ポトスライムの舟」の主人公は、大学卒業後に入社した会社をモラハラで辞めざるをえず、現在は契約社員として町の工場で働く29歳の女性。母と2人、古い民家で慎ましやかに暮らす。薄給生活のなかでひたすら生活のために働くのだが、その中で見つけた仕事のモチベーションとなったのがクルーズ船の世界一周旅行。その費用は163万円。それは、1年間、工場で働いて得る金額とちょうど同じ額。その額を貯めることを夢見ながら生活を切り詰めて暮らす日々。そこに、それぞれ異なる境遇の同級生3人との交流を織り込みながら描いていく。 続きを読む

『人間革命』起稿60周年――創価学会の「精神の正史」

ライター
青山樹人

『人間革命』執筆開始の時代背景

 池田大作先生が、小説『人間革命』執筆の意向を公式に発表したのは、1964年(昭和39年)4月1日のことだった。
 この日、恩師・戸田城聖先生(第2代会長)の七回忌法要が営まれた。席上、あいさつに立った池田先生は、恩師の出獄から逝去までの生涯を綴った小説『人間革命』を「法悟空」のペンネームで執筆し、恩師の業績や指導などを書き残したいと決意を披歴した。

 第1回の東京オリンピックが開催されたのは、その半年後である。創価学会本部がある東京・信濃町に近い国立競技場で、開会式がおこなわれたのが10月10日。
 このとき、池田先生はチェコスロバキア(当時)の首都プラハにいた。海外メンバーの激励のため、第3代会長就任から3度目のヨーロッパ訪問だった。

 10月2日に羽田を飛び立ち、香港、イランを経由して、6日にはイタリアに入っていた。9日にはパリ支部のメンバーと懇談し、10日にプラハに到着した。これが先生にとって最初の社会主義国訪問となった。
 計10カ国を歴訪して帰国したのは10月19日である。1週間後の10月27日に開催された第54回本部幹部会の席上、創価学会の世帯数が500万世帯を突破(505万6千世帯)したことが報告された。

 11月8日には、オリンピックの興奮が冷めやらぬ国立競技場を舞台に、三笠宮崇仁親王殿下、閣僚、各国大公使ら来賓1千人を迎え、出演者・観客の総勢10万人の「東京文化祭」が開催されている。 続きを読む

書評『傅益瑶作品集 一茶と芭蕉』――水墨画で描く一茶と芭蕉の世界

ライター
本房 歩

「恋心」の一茶、「風流」の芭蕉

 著者の傅益瑶は、1947年の中国・南京市生まれ。1979年に来日し、平山郁夫や塩出英雄らに師事しながら、日本に拠点を置いて水墨画家として活躍してきた。
 代表作の1つである、仏教がインドから日本に伝わるまでの歴史を描いた〈仏教東漸図〉は、比叡山延暦寺の国宝殿に常設されている。著者は長年にわたって芸術を通して、日中の文化交流・相互理解を促進してきた。

 本作品集には、江戸時代に活躍した小林一茶と松尾芭蕉の俳句を題材にして描いた情景画が計67点掲載され、1点ずつに著者の言葉が添えられている。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第67回 正修止観章㉗

[3]「2. 広く解す」㉕

(9)十乗観法を明かす⑭

 ③不可思議境とは何か(12)

 「不可思議境を明かす」段は、「総じて理境を明かす」、「自行の境を明かす」、「化他の境を明かす」、「略して自他事理を結し以て三諦を成ず」、「譬を挙げて自他等を譬う」、「境の功能を明かす」、「諸法を収摂し以て観境に入る」の七段に分かれるが、今回は、はじめに、「譬を挙げて自他等を譬う」、「境の功能を明かす」、「諸法を収摂し以て観境に入る」の三段について、順に紹介する。

(9)譬を挙げて自他等を譬う

 ここでは、如意珠、三毒、夢の三種の比喩を取りあげて、自行の境、化他の境などについてたとえている。第一の如意珠の比喩については、『摩訶止観』には次のようにある。 続きを読む

本の楽園 第198回 少女詩集

作家
村上政彦

 小学生のころだったか、『時には母のない子のように』という歌が流行った。哀愁を帯びたメロディーと歌詞が好きで、よく口ずさんだ覚えがある。作詞をしたのが寺山修司だと知ったのは、小説家としてデビューしてからだった。
 僕が小説家の仮免許を取ったのは29歳のときだ。それから四苦八苦しながら小説を書き続けてきたが、無からの創造は大変でしょう、と言われることがある。けれど、それはない。
 小説家は誰しも、先行作家の小説を読んで、自分の小説を書き始める。日本でふたりめのノーベル文学賞をもらった大江健三郎はサルトルの影響を受けたといっているし、僕の好きな小説家の中上健次は、大江健三郎の影響から逃れるために苦心をした。
 新しいアイデアとは、すでにあるアイデアの新しい組み合わせ、という。新しい小説も同じだ。先行作家の小説を別の先行作家の小説と組み合わせて、よく咀嚼して血肉として、そこに自分らしさを加える。そうすることで新しい小説は誕生する。
 永井荷風が、小説家は、思索と読書の二つを実践しなければ、詩嚢がすぐに涸れるといっている。どのような小説を読むか、それをどれだけ深く摂取できるか――これは小説を書き続ける秘訣のひとつだろう。 続きを読む