鶴見俊輔を知ったのは、「限界芸術」という彼のアイデアに出会ったからだった。
『限界芸術論』によれば、芸術には、純粋芸術(一般に芸術と呼ばれている作品)、大衆芸術(俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられる作品)、限界芸術(両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品)の3種類がある。
鶴見は、宮沢賢治を限界芸術の実作者ととらえている。そのことが、多くの人に受け容れられ、しかも豊かな芸術性を備えている文学を構想していた僕にとって、大きな触発となった。
また、日本では小学校しか出ていないのに、渡米してハーバード大学で学んで、図書館でアルバイトをしているとき、ヘレンケラーと出会い、「私はいまunlearnしている」といわれて、unlearnを「学びほぐす」と訳し、人は学びほぐすことが必要だと説いたことにも教えられた。
それから僕は、鶴見俊輔の仕事に注目するようになったのだけれど、彼が詩を書いていたことは知らなかった。『もうろくの春 鶴見俊輔詩集』――さっそく注文した。 続きを読む
