連載エッセー「本の楽園」 第84回 仕事が好きだといえるようになりたい

作家
村上政彦

 僕は高校を中退している。そのあとは、いまでいうニートを経て、アルバイト暮らしに入った。それから紆余曲折があって大学へ入り、業界誌の記者や学習塾の経営などをやって、作家デビューを果たした。
 だから、働くということについて、いろいろ考えることが、たぶん人より多かったとおもう。ニートをやめて、アルバイト暮らしに入ったとき、それはさまざまな職種を体験した。
 いちばん大変だったのは、肉体労働で、3日でやめた。体が悲鳴を上げて、高熱を発し、働けなくなったのだ。楽しかったのは、某ファーストフードチェーンのスタッフとして、外で子どもたちに風船を配っていたことだった。自分が天使になった気がしたものだ。
 作家デビューを果たしたのが29歳のときで、それ以降は小説家としての肩書きから発生する仕事以外はやったことがない。幸運だとおもう。あれから約30年――働くことについて考えてみた。
 近年になって、世の中では働き方が、いろいろ話題になっている。働くことについて、僕は、「仕事」と「労働」は違うと考えている。自分のやりたいことをするのが仕事で、暮らしを立てるためにするのが労働だ。
 高校を中退したあとの僕の働き方は、仕事をするというより、労働をこなすことだった。これは苦役以外の何物でもなかった。何より、楽しくない。仕事をしているとおもうようになったのは、作家になって文章を書き始めてからだ。
 こういう僕の仕事観は、果たしてどうなのか? 『自分の仕事をつくる』という本の著者は、もう20年も前に働き方を考えて、「働き方研究家」を名乗っている。

 他人事ではない、自分の仕事。働くことを通じて「これが自分です」と示せるような、そんな質をもつ働き方をすることが、個々の充実ばかりでなく、社会の豊かさにもつながるんじゃないか。

「働き方研究家」を自称するだけあって、深い。しかも著者は、建築家やデザイナー、アウトドア製品のメーカーのスタッフ、サーフボードのシェイバーなど、さまざまな働く人に取材して、具体例を挙げていくので、説得力がある。
 彼らを取材していて、ある共通点に気づいたという。

 彼らはどんな仕事でも、必ず「自分の仕事」にしていた。仕事とその人の関係性が、世の中の多くのワーカー、特にサラリーマンのそれと異なるのだ。

 どんな仕事でも自分の仕事にするとは、どういうことか? こういう事例がある。

 大手企業の経理事務、ロッジの手伝い、プログラマー、営業と様々な職種を経験してきたが、もっとも生き生きと楽しく仕事が出来たのはスーパーのレジ打ちだった、と語る女性」『最初のうちは仕事が単調に感じられ、短大まで出た私がなぜレジなのかと不満に思っていた彼女が、いつも見かけるお客さんには「今日は〇〇ですか」と声をかけてみたり、お年寄りの買い物なら持ちやすいように袋を二つに分けるなどしているうち、親しい挨拶や感謝の言葉をかけられるようになり、地域の人々とのコミュニケーションを深めていったという。そしてある日、隣のレジが空いているのに自分のレジにお客さんの行列が出来ていることに気づき、深い感慨に包まれた。

 スーパーのレジ打ちは、僕がやるとすれば、労働に分類するだろう。実は、彼女も最初はそうだったかも知れない。しかしやがてそれに工夫を凝らすうち、「自分の仕事」にしてしまった。
 仕事であるか、労働であるかは、その種類によるのではない。こちらの受け止め方によるのだ。ということは、僕の受け止め方しだいで、肉体労働も「仕事」にして、自分の成長につなげることができたのだろうか。
 そう考えると、何だかこれまでずいぶんと損をしてきた気がする。
 こんな話題もある。
 イタリアでは、デザイナーの大半がフリーランスだという。たいていの企業は専属のデザイナーを雇わず、個別の案件ごとに仕事を発注する。日本では、その逆で、デザイナーのほとんどが企業に雇われている。

 イタリアのデザイナーは個人に立脚したところから仕事を展開し、日本のデザイナーは企業を拠点に仕事を展開してきた。別の言い方をすると、前者は「頼まれもしない」のに自分の仕事を考え・提案し、後者は他者から依頼されることで仕事をはじめる。

 アップルのスティーブ・ジョブズも、マイクロソフトのビル・ゲイツも、自分のコンピューターが欲しくて、頼まれもしないのに仕事をしていた。著者は、「頼まれもしないのにする仕事」には、誰のために、何のために働くかを考えるヒントがある気がするという。
 著者は、こんなこともいっている。

 個人を掘り下げることで、ある種の普遍性に到達すること。自分の底の方の壁を抜けて、他の人にも価値のある何かを伝えることは、表現に関わる人すべての課題だ。

 自分がやりたいとおもう仕事を徹底することで、広く社会に関わる価値をつくることができる。これは仕事の醍醐味のひとつだろう。
 仕事は、奥が深い。もっと思索を凝らしてみたい。

参考文献:
『自分の仕事をつくる』(働き方研究家・西村佳哲/ちくま文庫)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。