連載エッセー「本の楽園」 第18回 書評を読む

作家
村上 政彦

 ここでいきなり問題です。僕が生まれて初めて原稿料をもらった仕事は、さて、何でしょう? え? そんなことどうでもいい? 僕にあまり関心がない? (泣きながら)答えは、某新聞の書評です。

 あれは確か20代の後半だった。ヘミングウェイとトム・ウルフを担当した名編集者の評伝だったとおもう。知り合った記者が、僕が小説家を志していると分かって、書評をやらないか、と声をかけてくれたのだ。
 承諾すると、本が送られてきた。書くにあたって、特に参考になる手本があるわけではなかった。その新聞に掲載された書評のコピーが、いくつか同封されていた気がする。僕はそれを読んで、見よう見まねで原稿を書いた。
 それが採用された。いい書評だと褒められた記憶がある。大部数の新聞の紙面で活字になった文章を眼にして浮かれた。そして、振り込まれた原稿料を手にして、世の中には、こんな仕事がある! 本好きの自分にとって天職ではないかとおもった。

 それから考えると、実に30年近く書評を書き続けていることになる。飽き性の僕からすると、画期的なことだ。
 書評は、本を読んで、文章に書く――僕にとって本を読むのは快楽だし、文章を書くのはいちばん得意なことなので、これで稼ぐことができればいうことはない。だから、長く続いているのだろう。
 続けているうちに、ひとの書いた書評が気になり始めた。眼につくものを読むようになった。これがまた、おもしろい。もちろん、おもしろくないものもある。だんだん「書評眼」のようなものが身について、すぐれた書評が分かるようになってきた。そのうちの書き手のひとりが丸谷才一だった。

『ロンドンで本を読む』は、書評を書き始めたときにこそ読みたかった。書評のひとつの「型」が分かる教科書的な本だ。おもにイギリスの新聞雑誌に掲載された書評から、すぐれたものを集め、丸谷が解説する。
 おもしろいのは、辞書やすでに古典になった作品が取り上げられていることだ。特に、書評の主流が新刊本の日本では、旧作が評されることは、あまりない。しかしイギリスでは、その作品が出版されてから~周年の「お祝い書評」がある(たとえばサリンジャーの長篇小説『ライ麦畑でつかまえて』の刊行50周年記念)。
 丸谷によれば、イギリスは書評の先進国である。18世紀から19世紀にかけて多くの本が出版されるようになり、読書人口が増えると、ベストセラーを話題にすることは、社交にとって必要なことになった。そのとき、書評は便利である。
 ここから書評の「型」、文法が生まれた。まず、内容の紹介。

 どういふことがどんな具合に書いてあるかを上手に伝達し、それを読めば問題の新著を読まなくても何とか社会に伍してゆけるのでなくちやならない。

 それから評価。

 この本は読むに値するかどうか。

 さらに批評性。

 対象である新刊本をきつかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新すること。

 この場合一冊の新刊書をひもといて文明の動向を占ひ、一人の著者の資質と力量を判定しながら世界を眺望するといふ、話の構えの大きさを要求される。

『快楽としての読書 海外篇』は、丸谷自身による海外で出版された本の書評集。『ロンドンで本を読む』で取り上げられた本と重なっているものもあるので(たとえばミラン・クンデラの長篇小説『冗談』)、読み比べてみるのも愉しい。彼がイギリス書評の文法を学んでいるのが知れる。対象は文学が中心になっているので、近年の世界文学の動向も分かり、すぐれた読書案内になっている。

『快楽としての読書 日本篇』は、同じ趣向の日本で出版された本の書評集。日本の書評事情を語った文章が興味深い。1938年に『朝日新聞』で日本の近代文学を代表する批評家・小林秀雄が、船橋聖一の『岩野抱鳴伝』を評した書評は、書評の体をなしていないと手厳しいが、その理由は「型」を知らなかったからだといわれると腑に落ちる。
 逆に佐藤春夫が堀口大學の訳詩集『月下の一群』評した書評がすぐれているのは、おそらくイギリス書評の「型」を学んでいたからだという。このころ日本の書評の歴史はまだ前史の段階で、その後、1951年に『週刊朝日』が(イギリス書評を手本にして)、「週刊図書館」という書評欄をもうけたときから日本の書評は始まる、と述べたくだりは教えられる。
 ネットを見ると、読者による書評があふれている。そういう書き手には、書く前にここで取り上げた書評集を、ちょっと覗いてほしい。

 書評を書かない向きにも、書評集はおもしろい。僕の持論は、「書評はデパ地下の試食」なのだが、書評集は、さまざまな本の味見ができる。全集などすぐには読むのが大変なものも、手軽にちょっと味わえる。本グルメにはたまりまへんなーということになる。何より、読まない本を読んだ振りができるではないか。
 いま日本は出版不況といわれるが、年間の出版点数は多く、7、8万点ほどらしい。「買い物案内」としての書評の役割は、ますます重要になっている。

お勧めの本:
『ロンドンで本を読む』(丸谷才一著/マガジンハウス)
『快楽としての読書 海外篇』(同/ちくま文庫)
『快楽としての読書 日本篇』(同/同)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。