投稿者「web-daisanbunmei」のアーカイブ

本の楽園 第183回 パッキパキ北京

作家
村上政彦

 久し振りに痛快な小説を読んだ。帯のコピーに「一気読み必至」とあるけれど、ほんとうに一気読みをした。まあ、長さが手頃だということもある。大長篇ならいくらおもしろくてもそうはいかない。
『パッキパキ北京』――作者の綿矢りささんは顔見知りである。だからといって、大甘の評をかくつもりはない。『ライ麦畑でつかまえて』の主人公は、小説家との関係は、作品を読んでおもしろかったら、と感想を電話できるようだといい、というようなことを言っていた。
 僕と綿矢さんは、そういう親しい関係ではないが、とにかく顔見知りだ(これは自慢です)。日本文藝家協会という物書きの団体があって、僕は常務理事をしている。文壇の大家だからではない。そういう役回りがめぐってくる年齢なのだ。
 綿矢さんは理事だ。だから、月に一度の理事会で顔を合わせる。会合が終わると、食事が出るので、同じテーブルで食べる。そのとき、たまに言葉を交わす。『パッキパキ北京』を読んだときは、主人公のキャラクターが良かったですよ、あれは綿矢さんですよね、と訊いたら、似たような経験をしているので……と答えがかえった。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第44回 正修止観章④

[3]「2. 広く解す」②

(2)生起を明かす②

②煩悩境の順序

 五陰は四分煩悩(すべての煩悩を四つに分類したもので、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒がそれぞれ単独に生起するものが三分で、三毒がいっしょに生起するものが等分で、合わせて四分となる)と結合しており、もし四分煩悩を観察しなければ、煩悩の盛んな活動を知覚できないといわれる。たとえて言えば、船の中に閉じ込もって、水の流れに従っていけば、激しい水の流れの勢いに気づかないが、逆に川の流れを遡(さかのぼ)れば、はじめて川の水が勢いよく流れていることがわかるようなものであるとする。五陰という煩悩の果報を観察した以上、煩悩という因を発動させるので、五陰の次に四分煩悩を論じるのである。

③病患境の順序

 病気には、色陰を構成する地・水・火・風の四大という身体の病気と、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒という心の病気がある。身体の病気と心の病気は等しいので、迷いの心では覚知できないとされる。今、四大と四分煩悩をともに観察すれば、体脈や内臓を突き動かすので、四蛇(四大をたとえる)が偏って生起し、病気が生じるようになる。そこで、四分煩悩の次に病気を論じるのである。 続きを読む

芥川賞を読む 第38回 『土の中の子供』中村文則

文筆家
水上修一

児童虐待を受け続けた人間が見つけ出す光とは

中村文則(なかむら・ふみのり)著/第133回芥川賞受賞作(2005年上半期)

命に対する肯定感

 2度の芥川賞候補(128回「銃」、129回「遮光」)を経て、第133回芥川賞を受賞した当時27歳の中村文則。「土の中の子供」は、約234枚の作品で『新潮』に掲載されたもの。
 主題は暴力。親に捨てられ、孤児として引き取った養父母から、虐待の限りを尽くされ育ってきた主人公の「私」。成人したあとも、あえて自ら暴力に晒されるような生活を送る。生と死の境の中で、なぜ自分は被暴力の中へと突き進んでいくのか、自問自答しながら物語は進んでいく。
 現在の物語の中に、幼少期の壮絶な体験を入れ込んでいくのだが、初めは表層的なエピソードから始まって、次第に核心的なエピソードが明かされていき、主人公が抱えてきたものの深刻さが姿を現してくる。
 精神科医からは、過去のトラウマによって破滅願望があるのだという診断結果を下されていたが、それに違和感を持っていた主人公は、自分が求めているものは何なのかを執拗に自問自答しながら物語は進んでいく。重く息苦しい物語の中で最後に仄かな明るさが遠くに見えるのだが、それは、人間はどんな状況にあっても困難を克服しようとする意思があるということを暗示するものだった。どん底にあっても、最後に得ることのできた命に対する肯定感には、読み終わった後、少し胸が震えた。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第2回 沖縄空手の名門道場 究道館(小林流)〈下〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

もう一つの究道館道場

 土曜日の午前、タイミングよく那覇市役所そばの泉崎道場の稽古を取材することができた。比嘉稔館長夫妻が住むビルの3階が道場スペース兼夫人の琉球舞踊の稽古場となっている。ここには茶帯の中学生も多く参加していた。この日もイギリスから来訪中の8人が稽古にやってきた。
 壺屋の本部道場よりやや狭い。3面に鏡が張られており、道場生が1人1人に「おはようございます」と頭を下げてあいさつする光景が見られた。
「整列お願いします」
 昨日と同じく比嘉康雄7段の掛け声で稽古が始まる。前日、比嘉稔館長はやや体調を崩し、パイプ椅子に座りながらの指導だった。
 最初に準備体操を行う。拳立て伏せ(拳を握ったままでの腕立て伏せ)も行った。
「スリーライン(3列で)」
 基本稽古が始まる。稔館長はやおら立ち上がり、五寸突きの説明を始める。五寸突きは大きな動作ではなく、極めて小さな動作で突きを放つが、見かけよりずっと大きな威力をもたらす。
「ティージクン」
「腰で動かす」
 帰国が迫っているイギリスの門下たちに要諦を教えようとする館長の姿に映った。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第1回 沖縄空手の名門道場 究道館(小林流)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

現存する戦後最古の道場

究道館の現在の入り口。いまも「比嘉佑直」の名前を降ろしていない

 戦後まもない食うや食わずの日々に、沖縄空手の復興にもしばらく時間がかかった。戦後10年間で那覇市にできた大型道場は長嶺空手道場(久茂地)を嚆矢とし、それにつづく比嘉佑直(ひが・ゆうちょく 1910-1994)の究道館(きゅうどうかん)があった。以来、70年。長嶺道場はすでに取り壊されたが、究道館はいまも同じ場所に残る。その意味では沖縄に現存する最も古い道場のひとつといえるだろう。
 1972年に建て替えられた現在の道場は鉄筋コンクリート2階建て。1階部分の82平米が道場スペースだ。現在、比嘉佑直の子息・比嘉佑治が所有・管理する。入り口をくぐると正面右側に道場に上がるサッシ窓があり、左側に巻藁が4本設置されている。 続きを読む