投稿者「web-daisanbunmei」のアーカイブ

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第73回 正修止観章㉝

[3]「2. 広く解す」㉛

(9)十乗観法を明かす⑳

 ⑥破法遍(1)

 今回は、十乗観法の第四「破法遍」について紹介する。「破法遍」の段は巻第五下から巻第六下まであり、実に一巻半分の長いものである。それだけに、この段の科文は非常に複雑煩瑣であるので、ここでは便宜的な科文(完全には体系的でない)を設け、読者の便に供する。これでもやや複雑であるが、以下の通りである。なお、科文に付した番号は、「破法遍」のみに当てはまる番号であり、『摩訶止観』全体に適用する番号ではない。もし『摩訶止観』全体の番号とする場合は、番号の前に、「5.7.2.8.1.2.1.1.1.1.4.」を付けなければならない。( )の番号は、『大正新脩大蔵経』巻第四十六巻の頁・段・行である。 続きを読む

書評『アレクサンドロスの決断』、『革命の若き空』(同時収録)

ライター
本房 歩

収録された2編の小説

 本書は、古代ギリシャの王アレクサンドロス(アレクサンドロス3世)と、18世紀フランスの最高峰の詩人と称えられるアンドレ・シェニエという実在の歴史的人物を、それぞれ主人公とした2編の小説を収録したものである。

 作者は、池田大作。言うまでもなく池田は創価学会第3代会長、創価学会インタナショナル会長として、世界的な在家仏教の民衆運動を率いた宗教者であるが、他方で「世界桂冠詩人」などの称号を持ち、『人間革命』『新・人間革命』など膨大な文芸作品と言論を残した文学者としても知られている。

『アレクサンドロスの決断』は、1986年7月から87年3月まで、当時の創価学会高等部の機関紙『高校新報』に連載された。また『革命の若き空』は1988年11月から89年8月まで、同紙に連載された。
 集英社から単行本化されたのち、『池田大作全集』第50巻に収録されたが、いずれも今日では版が絶えている。
 そこで、あらたに全集を底本として第三文明社からこのほど新装再刊された。 続きを読む

書評『エラスムス 戦う人文主義者』――言葉を信じ、人間を信じる

ライター
小林芳雄

世界市民として生きる

 著者の高階秀爾氏は日本における西洋美術史研究の第一人者として知られる。専門はルネサンス以降の西洋美術史だが、日本美術や文学にも造詣が深く、著書や翻訳も多数ある。美術行政にも携わり国立西洋美術館をはじめとする要職も歴任し、昨年10月に逝去した。本書は、1972年から翌年にかけて著者が雑誌『自由』に連載したエラスムスの評伝をまとめたものである。
 デジデリウス・エラスムス(1466年もしくは1469年頃~1536年)はルネサンス期を代表する思想家、人文学者として知られている。だがその名声とは裏腹に、幼少期は決して幸福なものではなかった。
 オランダの聖職者の庶子としてこの世に生を受け、幼少期に伝染病によって両親を失う。長じて修道士となり、はじめは古典学に通暁した文学者として、次いで神学者として頭角を現した。宮廷文化人として生計を立てヨーロッパ各地を転々とし、生涯にわたって1か所に留まることはなかった。当時の知識人の共通言語であるラテンを使いこなし、名実ともに世界市民として生きたのである。
 特にイギリスに滞在中に結んだトマス・モアとの友情や神学者コレットとの出会いは、後に彼に大きな影響を与えた。 続きを読む

【道場拝見】第11回 喜舎場塾田島道場(松林流)〈下〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

無二の親友との思い出

 彼がいなかったら(空手を)始めていなかったかもしれないですね。

 田島一雄・教士8段がそう回想するのはすでに紹介した松林流宗家2代目、長嶺高兆(ながみね・たかよし 1945-2012)との出会いだ。

 中学卒業後、高校受験で浪人した際、「補習学級」(予備校のようなもの)で一緒になった。高兆は父親と同じ那覇商業高校にいったん入学したものの途中で辞め、那覇高校を受験したが失敗し、2浪の最中だった。その後、2人は新生高校となる県立小禄(おろく)高校の1期生として入学する。高兆は学校で空手クラブを創部し、田島氏はそこには入らなかったものの、高兆の父・将真の運営する長嶺空手道場に入門した。
 浪人時代に一緒に行動するなかで、街でしばしば高兆が喧嘩する姿を傍らで見てきた。

 そのころから非常にやんちゃでした。我々何人か男友達を引き連れて、ちょっと変な奴がいたらすぐに喧嘩をしかける。彼はまったく動じない。度胸がありました。レンガ造りの古い建物があったら〝試し割り〟と称してレンガブロックを蹴って柱を崩すこともありました。そうした破壊力をまざまざと見せられて魅了され、私も空手をやってみる気になったのです。

 田島氏は、高兆は組手が強かったと述懐する。 続きを読む

【道場拝見】第10回 喜舎場塾田島道場(松林流)〈中〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

「仙骨」と「軸」を重視する身体操法

 田島道場の技法については稽古を見学して説明を受けただけでは理解が及ばないため、田島一雄・教士8段(1947-)に、改めて那覇市内の飲食店で2時間ほど話を伺った。
 田島氏は16歳のとき、同じ高校に通っていた同級生だった親友、松林流宗家2代目にあたる長嶺高兆(ながみね・たかよし 1945-2012)の影響で長嶺道場に入門して以来、空手歴(武歴)は60年を超える。
 その空手は長嶺将真や兄弟子・高兆の指導から始まり、その後、喜舎場塾の初代・2代塾長の教えを基本に、自身のオリジナルを加えたものだ。そのため大方は新里塾長の教えと重なるものの、多少異なる部分もあると説明する。
 前回言及したように、喜舎場塾の手法においては「脱力技法」と「重心の垂直落下」がその基本となる。脱力技法は筋肉のムダな力を〝抜く〟という意味で、立ち方一つとっても筋肉を使って立たず、骨で立つという考え方だ。骨格そのもので立ち、その上でさらに「軸」の概念が不可欠の要素となる。 続きを読む