書評『令和ファシズム論』――混迷する令和の日本、その原因を財政史から考える

ライター
小林芳雄

なぜ財政史が重要か

 著者の井出英策氏は、弱者を生み出さない社会政策「ベーシックサービス」の提唱者として知られている。本書は、戦前の日本とドイツの財政史をたどりながら、現在の日本社会が陥っている危機の本質を探り当て、その克服の方途を探ったものである。

 よくおぼえておいてほしい。財政とは社会をうつしだす鏡である・・・・・・・・・・・・・・・・。この本は、経済史でも、政治史でも、社会史でもなく、財政史という一風かわった、そして多くの研究者が使いこなせなかったメスをもちいて、日本社会の病根をえぐりだしていく。(本書13ページ)

 著者はなぜ、ふだんあまり耳にすることの財政史という視点にあえてこだわるのだろうか。そもそも財政という用語はなにを意味するのか。
 現在、世界の多くの国々は民主主義といわれる社会体制のなかで暮らしている。労働の対価として収入を得て、市場からモノやサービスを購入することによって生活を営んでいる。だが得られる収入には格差があり、また病気やケガなどの理由で働くことのできない人も存在する。こうした状況を放っておけば、弱肉強食の世の中になり、共同体は分断され、社会的秩序は崩壊してしまう。
 社会秩序を保つためには、国によって教育の普及や最低限の生活を保障するだけでなく、極端な格差の是正が必要になる。そのためには、保障すべき教育とはなにか、最低限の生活とはなにか、それにはどれぐらいのお金が必要となるのかを議論し、民意を集約し共通の社会目標を定めなければならない。そのうえで、税を徴収し経済的な資源を社会に再分配し社会秩序を維持する。これが民主主義社会における財政である。
 どのような経緯で予算案が組まれ、どのような政策が実行されているのかを子細に調査すれば、その国の民主主義が機能しているかといった政治的状況、さらには国民の暮らしぶりなどを包括的に理解できる。著者が財政は社会を映し出す鏡とするゆえんである。

戦前の日本とドイツの共通点

「ファシズム前夜」の両国に顕著だったのは、予算を統制するときの視点が、民主主義からインフレ抑制へとうつったこと、つまり、財政が「質的存在」から「量的存在」に変化したことである。(本書189ページ)

「ファシズム前夜」の日本とドイツには歴史的経緯や文化など多くの違いがあった。だが、財政史の観点からみると、両国に共通する特徴があるという。それは財政民主主義の弱体化である。第一次世界大戦や世界恐慌という世界史的大事件が起こり、その対応に追われた両国の政府は、しだいに議会による議論と合意という時間のかかる作業よりも、速やかに対応するために、わずかなエリート政治家や官僚によって物事を決めるようになっていった。それによって、税金の使い途という質よりも、インフレの抑制という量に重きを置くようになる。
 さらには左や右といった政治を判断するための軸の溶解も共通する特徴だ。当時の両国の政治家は、国家の危機が目前に迫っているような状況であるにもかかわらず、自身の政治的立場や政党の勢力拡大に狂奔した。「敵の敵は味方」というような権謀術数に明け暮れていた。
 厳しい経済状況もあいまって、政治家の醜態を目の当たりにした国民は、よりよき国や社会のあり方を議論する空間である政治的公共圏への興味を失っていき、自分と家族以外の共に社会を生きる他者への関心を薄めてしまう。
 このような条件が重なり合うなかで、「ユダヤ陰謀論」や「神国日本」など、これまでの常識や道徳に反するような極端な主張(エクストリーミズム)をする勢力が権力を握り、日本とドイツは亡国の坂道を転げ落ちていった。

戦前の歴史から現在を照射する

 国民や住民に責任や任務をおしつけないために、財政というしくみをつくりかえ、自由と民主主義が共鳴する社会をめざす。たとえそれが政治的に不人気でも、社会の多数派が手取りをふやす道具だと断定しようとも、連帯のいしずえとしての財政本来の姿を再生させ、自他の責任とよろこびが調和する社会を作りだす。〈ラディカルな中庸〉の精神にしたがって、公共性を再生させていく地道な努力こそが、社会を成長、進化させる条件である。(本書342~343ページ)

 戦争という災禍と亡国という悲劇を招いた戦前の日本とドイツ。著者と共に両国の歴史をたどるうちに、現在の日本と多くの共通点があることに気づかされる。
 これまで政治を判断するための基軸だった左右両陣営の溶解。国民の財政状況への無関心。さまざまな政党があるにもかかわらず、膨れ上がる借金をものともせず、財源の裏付けの無い減税と給付のみを公約とする政治家。さらには「外国人を追い出せ」との叫びは、「外国人を殺せ」へエスカレートした。まさにエクストリーミズムの台頭に他ならない。
 著者はこうした現状を乗り越えるための方途として、〈ラディカルな中庸〉を提唱する。
 ‶ラディカル〟という言葉は「急進的」と翻訳される。だが、その語源をたどれば、「根」や「根源」に由来し、起源や本質に迫るという意味が含まれている。「なんのため」と根源的に問うことを意味する。自由と民主(中庸)の両立を目指す財政民主主義の原点に立ち返り、細りゆく日本の政治的公共圏を再活性化させる。著者はこの〈ラディカルな中庸主義〉にこそ現在の日本の閉塞を打ち破る希望の原理を見いだしている。
 本書が上梓されたのは昨年の8月である。それから約半年を経て、高市政権が誕生し、日本の政治は流動性を増し、国際関係は緊張の度を強めている。著者が本書で鳴らした警鐘は、より現実性を帯びてきているといってよい。日本の未来を考える上で、いまこそ熟読したい1冊である。

『令和ファシズム論――極端へと逃走するこの国で』(井手英策著/筑摩書房/2025年8月7日刊)

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こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。