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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第1回 沖縄空手の本質

ジャーナリスト
柳原滋雄

空手は沖縄発祥の武術

 2020年の東京オリンピックで、日本発祥の武道「空手」が初めて正式種目として認められた。そのため新聞のスポーツ欄でも心なしか空手に関するニュースが以前よりも増えたように感じられる。
 再来年の7月24日から8月9日まで17日間の東京オリンピックの期間中、柔道競技終了後の8月、同じ日本武道館で空手競技が開催される。
 行われるのは、型2種目(男・女)と組手6種目(軽量級、中量級、重量級、各男女)の計8種目で、各種目とも10人の出場選手の中からメダルを競う。その結果、空手だけで8人の金メダリストが初めて誕生することになる。 
 型・組手部門とも、メダル獲得を有望視される日本人選手がすでに複数とりざたされ、柔道と同じく、日本発祥の武道においていくつのメダルを取れるのか、開催が近づくにつれ国民の熱い視線を集めることは間違いない。
 ところで、この連載で主に取り扱う「沖縄伝統空手」は、そうした競技を目的とする、いわばルール化された「競技空手」とは別の空手のことだ。

東京オリンピックで空手競技の舞台となる日本武道館

東京オリンピックで空手競技の舞台となる日本武道館

 日本本土ではあまり知られていないものの、本来、空手は〝沖縄発祥〟の武術にほかならない。中国との長年の交流の中で、沖縄本島内で定着したのが「手(ティー)」と呼ばれる土着の武術で、それが「唐手(トゥーディー)」へと進化し、さらに「空手」と名称変更されながら確立されていった。
 20世紀はじめまで沖縄という狭い島の中で継承されたにすぎないこの特色ある武術は、その後、日本本土の有名大学などで相次ぎ「空手道部」が創設されて以来、徐々に世界的な広がりを見せ、現在に至る。
 本土への空手普及に後半生を捧げた沖縄出身の空手家・船越義珍(1868-1957)が東京で空手指導を開始したのは1922年のことだから、沖縄発の武術が首都に上陸してまだ100年足らずの歴史にすぎない。
 大学空手部の学生たちは卒業後、大手企業に就職するなどし、日本国内だけでなく世界各地に点在するようになった。また沖縄県から北・中南米、ハワイなどに移住した空手愛好家によってもこの武術は世界に広がった。さらに戦後は在日駐留米兵が沖縄で空手を習い、自国に持ち帰って広がった別の経路もある。
 その結果、今では世界で1億人を超える空手愛好家の存在が喧伝されるほどになった。師匠から弟子へ、以前は口伝によって秘かに伝えられた沖縄伝統武術が、わずか1世紀をへて、人種・民族を超えた「世界共通の武術」として認知されたことになる。

沖縄伝統空手の立ち位置

 もともと沖縄で発展した空手は、自分の身を守るための護身術にほかならなかった。そのため空手のほとんどの型(攻守の動きを体系化したもの。各流派にそれぞれ特徴的な型があり単独で稽古できる)は、相手の攻撃をさばくための「受け」から始まるのが特徴で、自分のほうから攻撃することを想定していない。
 時どきの「拳聖」とみなされる武人たちが鍛錬用の型を生み出し、さらに何世代にもわたって修正を重ねて残されたのが、現在に伝わる古流の型である。空手の型は、「ナイハンチ」「クーサンクー」「パッサイ」「チントウ」「サンチン」「セイサン」「サンセーリュー」など、中国語を語源とするものが多い。
 沖縄空手は地域別に「首里手」「泊手」「那覇手」という大まかに3つの流派に分けられ、今ではしょうりん流(小林流、少林流、松林流など)、剛柔流、上地流が沖縄3大流派として残る。
 それが日本本土にも伝わり、本土では松濤館、和道流、糸東流、剛柔流の4大流派に収斂していった。その過程で、沖縄で行われていたオリジナルの型が、無造作に変えられるなど、型の雑乱現象も問題になった。
 日本本土では、大学の空手道部の発足により血気盛んな年代の学生層から広まったため、勝ち負けをわかりやすく識別するための自由組手(1対1で自由に技の攻防を行うこと)の試合化への欲求が根強く、早いうちから防具をつけて組手を行うなどの競技化の流れが作られていった。もともと急所に素手素足で一撃を加えることで自身の身を守る武術だけに、競技化の過程においてはさまざまな困難を伴った。
 競技化はそのまま護身用武術をスポーツ化することを意味し、必然的に「安全性」を最優先する結果につながる。致命傷となる急所への攻撃が禁止されるなどの一定のルールづくりが不可欠となり、その結果、自分の身を守るための武術のはずが、本質的にまったく異なる西洋式スポーツに変質する危険性を伴っていた。
 そのため、型にしろ、組手にしろ、競技化された空手と本来の武術空手とを〝別の物〟としてとらえるのが現在の空手家の中では一般的だ。
 反面、競技化されることで、一般人にも観賞されやすいスポーツとなり、空手普及のための大きな力となった点は見逃せない。その意味でこの問題は、「車の両輪」のような側面をもっている。
 沖縄伝統空手の立ち位置は、そうした競技空手とは一線を画す位置にある。古流の型を繰り返し鍛錬することで、護身に必要な身体操作を身につけ、いざというときに自然と反応できる素養を備えるための武術であり、目的はあくまで自身の安全を守ることにある。

老いても稽古できる沖縄式空手

 別の表現を用いれば、反射神経や筋トレなどに頼りがちな競技空手は、ある意味で若い世代でないと行いにくいスポーツともいえる。仮に50代ともなると肉体的に衰え、若い弟子たちに組手で負かされる場面も出てくるだろう。そうした空手家たちがいまでは、沖縄空手を求めている現実がある。
 今回沖縄の空手道場を幾つか取材するうちに、本土のフルコンタクト系空手家が定期的に修行に訪れるという話を何度も耳にした。いずれも50代前後の世代が多いようだ。
 劇画『空手バカ一代』などで70年代以降の日本国内を席捲した「極真空手」の場合も、例外ではない。もともと極真流派の稽古体系の多くは、剛柔流や松濤館のそれに基づいている。源流をたどれば沖縄空手に行き着くのだ。
 沖縄空手では互いに打ち合う組手ではなく、古流の型を主体として稽古するため、怪我が少なく、老いても続けられるというメリットがある。また一人でも、あるいはどんな場所でもわずかなスペースがあれば稽古できるのも特徴だ。
 その結果、健康面での効用も大きく、沖縄空手の愛好家には長寿の人が珍しくない。さまざまな意味で、本土の空手とは、一風、趣きが異なっているようだ。
 そんな沖縄空手の世界に入っていきたい…。

※随時、掲載します。全30回予定。

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。