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連載エッセー「本の楽園」 第38回 死ぬほど読書

作家
村上政彦

 少年のころは話題になった本を買っていたが、やがて文学を読むようになると、ベストセラーには手を出さなくなった。あえてそうしたわけではなく、読みたい本は、だいたい売れない部類に属するようになっていたのだ。
 作家としてデビューしてすぐのころ、ゴダールの本を読んでいたら、できるだけハリウッドのエンターテイメントな映画を観るようにしている、とあった。理由は、そういうヒット作を観る人々を知るためだという。つまり、一種のフィールドワークである。
 これは道理のあることで、僕も学ばなければとおもった。それからは本屋に行ったとき、売れている本の動向を見るようにした。すべてを読むのは大変なので、帯を眺め、目次に眼を通し、ときには数行読んでみる。
 くだらない、とおもうことも少なくないが、これは売れるはずだとおもうこともあって、フィールドワークとしては、なかなかおもしろい。かつて年配の編集者に、電車に乗るだけでも世の中を知ることができる、といわれたが、僕の本屋のベストセラー・パトロールは、それに近い。

 つい先日、パトロールに出掛けたとき、やられた。表題に呼ばれ、手に取らされた。『死ぬほど読書』。これは本好きなら無視できない。しかも著者が、伊藤忠の丹羽宇一郎氏。世に聞こえた読書家である。10万部、売れているという。
 少し前、あるビジネス雑誌で、初めて丹羽氏のエッセイを読んだ。実家が本屋だったので、子供のころからずっと読書を続けてきた。社会人になると、本を読まない人が増えるが、実は、読書で培われた想像力や物の見方・考え方は、ビジネスに役立つ、と述べていて興味を惹かれた。

『死ぬほど読書』は、丹羽氏の読書論だ。理論を述べたものというより、長くビジネスの世界にあって、読書を続けてきた人の経験を語っている。だから、おもしろい。新書なので一気に読んだ。
 ちょっと衝撃だったのは、この本の冒頭に置かれた新聞記事だ。ある大学生からの投稿で、最近の若者は本を読まないというが、自分は本を読まないことで不便を感じたことがない、逆に訊きたい、なぜ、本を読まなければならないのか? という。
 恥ずかしながら、僕は、この記事を知らなかった。ふーむ。「大学生の読書時間、1日に『0分』が5割」といわれるが、読書離れもここまできたかとおもった。これは本を読むよりゲームをするほうがおもしろいとか、比較などの問題ではなく、積極的な読書不要論である。

 丹羽氏は、家を購入するとき、わざわざ郊外の、電車の終点にある地域を選んだ。通勤の時間を読書に充てるためだ。さらに寝る前、30分以上は読書をする。そうして、かつては1週間に3冊ほど読んでいたという。
 若いころには文学にも親しんだが、近頃はもっぱら歴史、政治、経済の本を読む。もっとも世の中の動向を知るために、芥川賞の受賞作は手に取るようにしている。これも一種のフィールドワークである。
 考える読書を勧めている。アメリカに駐在して仕事をするようになったとき、シカゴの穀物取引所の市況やアメリカの農業事情について、ある新聞に寄稿するようになった。それで「考えながら読むこと」をはっきりと意識した。考えることで、情報がつながって知識になる。また、論理的な思考力が養われる。

 本は『なぜ?』『どうして?』と考えながら読めば、それだけ考える力が磨かれるのです。
 考える力は生きていく力に直結します。それは何よりも読書によって培われるのです。

 また、教養は、「仕事と読書と人」で磨かれるという。この3つは繋がっている。仕事は単なる職業ではなく、社会と関わる仕方。そして、本を読み、人と交わることで、人は成長する。少なくとも、丹羽氏は、そうして生きてきた。
 丹羽氏が出会ったすぐれた経営者は、みな、読書家だったという。彼自身がこの範疇に入るのは、いうまでもないだろう。本人はいいにくいことだろうから、あえて僕がいっておきたい。
 おそらく、『死ぬほど読書』という本は、さっきの大学生の問いに対するひとつの答えとして書かれた。何のために読書をするのか? まずは、この本を読んでみよう。

お勧めの本:
『死ぬほど読書』(丹羽宇一郎/幻冬舎新書)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。