連載エッセー「本の楽園」 第71回 アール・ブリュットの作家たち②

作家
村上政彦

アール・ブリュットの代表的な作家のひとり、ヘンリー・ジョセフ・ダーガーは、1892年に米シカゴ市内に生まれた。父はドイツからの移民で仕立て屋を生業とした。ダーガーが3歳のとき、母が女児を出産し、それがもとで亡くなった。妹は里子に出された。
父は教育熱心で息子が就学するまでに読み書きを教えた。8歳のとき、父が体調を崩して老人施設に入所し、少年は孤児院に預けられた。南北戦争における死者数を教師と論争するほど利口な子だったが、感情障害の兆候が見られ、12歳で精神薄弱児施設に入った。
やがて父が亡くなった。ダーガーは施設を脱走し、シカゴへ戻る。知人の紹介で病院に住み込みで働き始めた。このあと、54年にわたって、彼は3つの病院で、清掃、皿洗い、包帯巻き、床掃除などをして生活の糧を得た。

 ヘンリー・ダーガーとは何者だったのか? 生前の彼を知る人は、みすぼらしい身なりの不機嫌な老人としか記憶していない。近所の教会へ足繁く通う姿やごみをあさる姿が目撃されている。まれに口を開けば、天気の話ばかり。そんな彼が自室で無限の空想世界を生きていたなんて、誰も想像しなかった。

ダーガーが40年を過ごした小さな部屋。家主のネイサン・ラーナーがバウハウスの写真家で、工業デザイナーという芸術的なセンスを持つ人物でなければ、彼は、いまも世に埋もれたままだっただろう。
ラーナーは、歩けなくなって老人施設に入所したダーガーの部屋に足を踏み入れ、旅行鞄の中から、『非現実の王国で』と題された大部の原稿と、物語を図解する数百枚の絵を見つけた。彼はその価値を直感し、1997年に亡くなるまで、著作と絵、部屋を保存した。
『非現実の王国で』は、正式な表題を、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ―アンジェリニアン戦争の嵐の物語』という。
物語の要旨は、こうだ。

 悪魔を信奉し、子供を奴隷として虐待する邪悪な大人の男たちが君臨するグランデリニア国と、子供奴隷制の廃止を求めるキリスト教の国との間で繰り広げられた、四年と七カ月におよぶ戦争の歴史

ダーガーが、この物語に着手したのは、1910年から12年のあいだとされる。タイプライターで清書を始めたのが16年、30年代の末には終えたらしい。物語の図解を含めると、60年におよぶ歳月をかけて完成した作品だ。
冒頭――

 物語の舞台は、その題名のとおり、知られざる国々の間、あるいは私たちの地球が彼らの月であり……地球より数千倍も巨大な架空の惑星にある架空の世界、また国々で展開する

物語の主人公は、アビアニ国王の7姉妹=ヴィヴィアン・ガールズ。ヴァイオレット、ジョイス、ジェニー、キャサリン、ヘティ、デイジー、エヴァンジェリオン。5歳から7歳の、歳を取らない永遠の少女たち。
美しく、可憐で、善良。しかし戦場では馬を駆り、すぐれた銃の腕前で敵を倒す。スーパーヒーローである。何だかライトノベルの戦闘少女ものを思わせる。
『非現実の王国で』の戦争のモデルとなったのは、米・南北戦争だという。ダーガーが物語の執筆に着手した時期は、南北戦争の開戦50周年にあたり、新聞などのメディアでも話題になっていた。どうも彼は、この出来事に触発されたようだ。
文章は書けたものの、絵の心得がなかった彼は、ごみをあさって、漫画や写真、挿絵を探していたらしい。そうした図版を彩色したり、修正を加えて使用していたが、やがてトレースしたり、カーボン紙でコピーしたりするようになった。そして、自作するようになっていった。
『非現実の王国で』の戦争は、キリスト教徒の勝利に終わり、物語はいったん収束する。しかしダーガーは、続編に着手する。『シカゴにおけるさらなる冒険:いかれた家』は16冊のノートにしるされている。
これはヴィヴィアン・ガールズの弟ペンロードが、シカゴを舞台に冒険する物語。いわばスピンオフ作品である。その後も彼は、天候の日誌や自叙伝を書き綴った。
何がダーガーを、こうした作品に向かわせたのか? ひとつ確かなことは、彼にとって書くことは、生きることと同義だったのだろう。書かなければ生きていけなかったのだ。アール・ブリュットの作家たちの作品は、どれもがそういう重みを持っている。
呼吸するように文章を書く。絵を描く。少なくとも、僕が彼らの作品に惹かれるのは、そういう生の手触りが感じられるからだ。そして、僕自身も、そういう作品が書きたいと願う。

お勧めの本:
『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』(小出由紀子編著/平凡社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。