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対談企画シリーズ「『若者という希望』に未来を託そう」(第2回)

京都造形芸術大学教授
寺脇 研

「福島の今」から日本の未来を見すえる

第2回対談者 開沼 博(社会学者)

 未来を開くのは青年の熱と力──。教育者で京都造形芸術大学教授の寺脇研さんによる対談シリーズの第2回です。社会で活躍する「ゆとり世代」などの若者世代と語り合い、希望の未来を描き出します。今回のお相手は、気鋭の社会学者・開沼博さんです。

「福島学」を構築したい

寺脇 開沼さんは今、「福島学構築プロジェクト」に深く関わっておられますね。実は私も、文化庁文化部長をしていたときに、そうした動きに少し関わったんです。当時文化庁長官だった河合隼雄先生が、「赤坂憲雄さん(民俗学者)が提唱している『東北学』もいいけれど、もっと的を絞って、鹿児島学とか福島学とかいうものができんもんかなあ?」と言われましてね。そのご提案を受けて、少し動いたんです。でも、河合先生がその後脳梗塞で倒れられたので、その話は立ち消えになってしまって……。ですから、このプロジェクトを、私は感慨深く見守っています。

開沼 ありがとうございます。「福島学構築プロジェクト」は、正式な立ち上げが2013年の9月ですから、まだ始まったばかりです。福島大学の学生たちもたくさん関わってくれています。

寺脇 学生の反応はどうですか。

開沼 プロジェクトを手伝ってくれている学生のなかには、(福島第1原発近くの)楢葉町で生まれ育った子もいます。彼はそういう立場だからこそ、「故郷にしっかりと向き合いたい」という強い思いで参加しています。
 ただ、福島の若者たちがみんな彼のように強い当事者意識を持っているかといえば、そうではないですね。むしろ、福島で暮らしていても、東京の若者と意識に差がない学生も少なくありません。だからこそ、プロジェクトを通じて学生たちの意識を福島に向けていきたいと考えています。

寺脇 私は今「カタリバ」というNPOに関わっていて、そこが主催している若者の集うイベントに各地で参加しています。「3・11」以来、さまざまな形で東北被災3県の若者たちとも接してきました。そのなかで感じるのは、やっぱり震災以来、若者たちの地元志向は強まっているということです。
 たとえば、開沼さんと同じ(福島県立)磐城高校から早稲田大学に進んだ男の子がいます。彼はイベントで登壇して、熱く語ってくれました。
「僕は震災前まで大学を出たら東京に行って戻ってこないつもりだったけど、震災で考えが変わりました。卒業したら必ずいわきに戻ってきます。そして、大学で得た知識と経験と人脈は、すべていわきに還元します」と。
 つまり、「誰かに復興してもらう」のではなく、「自分たちが復興を担わないといけない」という強い意識があるんですね。震災がなかったら、彼らはもっと東京志向が強かったはずです。

「福島学構築プロジェクト」を推進する社会学者・開沼 博氏

「福島学構築プロジェクト」を推進する社会学者・開沼 博氏


開沼 僕も同じことを感じています。震災が起きるまで、福島の若者たちにとって故郷は「代替可能な1つの部品」のようなものだったのだと思います。たくさんある日本の地方の1つにすぎなかったが、震災によって「代替不可能」な存在になった。たとえば、福島県庁に就職して働くというだけのことが、それ自体大きな意味を持ってしまうわけです。大げさに言えば、「世界のなかの福島」を常に意識せざるを得ない。
 それは、震災前から地元志向で、「都会の喧騒は嫌いだから田舎で暮らしたい」という理由で福島にとどまることを選んだ人にとっては、ある意味でつらい状況なのかもしれません。でも、僕のように「田舎は退屈だ」と感じていたタイプにとっては、不謹慎な言い方ですが、今の福島ほどエキサイティングな場所はないのです。原発事故があったからこそいろんな人が行き交い、若者であっても第一線で復興に関わっていかなければならないですから。福島の若者の震災後の地元志向の高まりには、そうした側面もあると思います。

「ゆとり教育」というオルタナティブの重要性

寺脇 実は、開沼さんの母校である磐城高校は、私の文部省時代の〝仮想敵〟だったんです。私がいわゆる「ゆとり教育」を推進するにあたって、磐城高校的なるもの――つまり典型的進学校のあり方――は変えていかないといけない、と思っていました。

開沼 「ゆとり世代」というと僕たちより少し下を指すのだと思いますが、僕が高校生のころにはすでに「ゆとり教育」という言葉は広く知られていました。実は高校生のころ、『朝日新聞』の投稿欄に「ゆとり教育賛成論」みたいなものを投稿して、掲載されたことがあるんです(笑)。

寺脇 それ、読んでみたいなあ(笑)。まあ、「ゆとり教育」はマスコミの造語で、私が作ったわけではないんですけどね。ゆとり教育の本来の狙いは、「生涯学習社会をつくろう」ということなんです。1987年に臨時教育審議会に集った識者たちが、〝経済成長一辺倒でやってきた日本のありようは、早晩行き詰まるだろう。そのことを見越して、物質的な豊かさとは違う、別の豊かさ、別の幸せを志向する教育に変えていこう〟と考えて始めたものですから。
 そして90年代から、業者テストの廃止や学校週5日制、男子も女子も家庭科……などという形で、具体的にゆとり教育を推進していきました。そのときにいちばんのネックになるのが、磐城高校のような各県を代表する進学校の存在であったわけです。

開沼 それで〝仮想敵〟と。

寺脇 そういう進学校に、開沼さんのように「ゆとり教育、何が悪い」と言ってくれていた人がいたというのは、うれしい話ですね。

開沼 確かに、「磐高ブランド」は強烈にあって、極端な話、東大に行ったかどうかより磐高に行ったかどうかのほうが意味を持つようなところがありました。そのなかで、僕はまったく授業に身が入らず、成績も上がらずで、磐高では浮いた存在でしたね。代々医者の家系に生まれたので、理系の成績がよければ医者に、ダメなら弁護士に、みたいなレールが何となく敷かれていたんですが……。

寺脇 そこから今の開沼さんになるまでには、どんな転機があったんですか?

開沼 高校3年生のときに、ディベートの全国大会があることをネットで知って、出場したらベスト8に残れたんです。その体験は僕にとって大きな意味を持ちました。そのときのディベート・テーマが、「日本は道州制を導入すべき」「日本は首都機能を移転すべき」の2つでした。社会的テーマを深く考える経験のなかで、ただ受験勉強してレールのままに進む人生ではない、自分で選び取る生き方が見えてきました。その背景要因として、「ゆとり教育」推進によって、受験戦争に勝つことだけではない教育のオルタナティブ(もう1つの道)を提示してくださったことも大きい気がします。

学校でのみ「知」が与えられる時代の終焉

寺脇 ネットの存在も大きいでしょうね。ネットがなければ「学校の外」のことはよくわからないまま、学校内部の価値観に縛られたままだったかもしれない。高校生がネットを普通に使うようになったのは、多分開沼さんの世代くらいからだと思うけど、ネットが外界への回路になったことで、若者たちの世界はかなり風通しがよくなったのでしょう。

開沼 ええ。僕の高校時代にはケータイもみんな普通に持っていましたし。

若い世代への期待を語る寺脇研氏(写真左)と開沼博氏

若い世代への期待を語る寺脇研氏(写真左)と開沼博氏


寺脇 最近、地方の見知らぬ高校生からいきなりメールがきて、「ゆとり教育について詳しく知りたいので、インタビューさせてもらえませんか?」なんて書いてあることがよくあるんです。ネット以前にはあまりなかったことだと思います。つまり、「学び」の場と機会が、ネットによって学校の外に大きく広がったんですね。
 このことは、ゆとり教育の大テーマである「生涯学習」とも深く関わっています。「生涯学習」というと「年を取っても学ぶこと」というイメージが強いですが、実は年齢に関係なく、「いつでも・どこでも・誰でも」学べることこそ、「生涯学習」の根幹なんです。その点が理解されていなくて、「学校でのみ『知』が与えられる」と思い込んでいる人が多いから、「学校週5日制にしたら学力が低下する」という話になってしまう。

開沼 そうですね。これは尊大な言い方かもしれませんが、僕が「3・11」以前から福島原発の研究に取り組んでこられたのも、高校時代から「学校で与えられる『知』」に満足せず、自分でテーマを探してくることをやってきたからだと思います。高校時代に強く感じていた渇望感――「先生たちが授業で教えていることには、何かが足りない」という気持ちが、自分の原動力になりましたね。

寺脇 私と開沼さんは30歳以上離れていますが、開沼さんと自分の高校時代がオーバーラップしてしまうんです。うちも医者の家系だし、鹿児島ラ・サール高校という進学校に通っていたころには、授業がつまらなくて仕方なかった。受験と関係ない本ばかり読んで、映画ばかり見ていました。もっとも、高校時代の私は単に逸脱していただけで、開沼さんのように別の道は見つけられなかったのですが……。
 ただ、文部官僚になって「生涯学習」というテーマを臨教審から与えられたとき、「これだ!」と思って、国賊扱いされながらもゆとり教育を推進したのは、自分が高校時代に感じていた窮屈さがあったからこそだと思います。

開沼 確かに、今は受験戦争の勝者だけが幅を利かせる時代ではなくなってきていますね。たとえば、いち早くAO入試を導入した慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)を出て活躍している方は、やっぱり「SFCぽい」というか、「受験勉強ばかりやってきた人」とは違うクリエーティビティーを感じさせます。そういう人が増えてきたのは、寺脇さんが言われるように「風通しがよくなってきた」証拠かもしれません。
 もちろん、受験勉強ばかりやってきた人もいていいわけで、いろんな人がいて多様性があるほうが、社会の活力につながって新しいものが生み出せる気がします。

寺脇 おっしゃるとおりです。私もゆとり教育の旗振りをしてきたことで、「頑張って受験戦争を勝ち抜いた人を悪者扱いしている」と批判されることがありますが、そうじゃないんですね。「受験勉強一辺倒ではなく、ほかの選択肢も用意しましょうよ。多様性が大事ですよ」と言っているだけで……。

「課題先進地域」としての福島に向き合う

寺脇 「3・11」から、もうすぐ丸3年です。震災前から福島原発について研究されていた開沼さんは、現状をどうご覧になりますか。

開沼 「3・11」から1年後くらいまでは、誰もが震災について論じたがったし、論じていました。でも、少しずつ論者が減っていって、今や「そして誰もいなくなった」みたいな状況です。人が減るにつれて問題の深刻度が低くなってきたのならよいのですが、状況はまったく変わっていません。

寺脇 開沼さんが著書などでくり返し訴えておられたとおりですね。「3・11で日本は変わった」と多くの人が言うが、実は何も変わっていない。もう少しすれば、今騒いでいる人たちもきれいにいなくなるだろうと。

開沼 「3・11」によって、日本が潜在的に抱えてきた問題群が可視化されたのは事実だと思うんです。少子高齢化・人口流出・産業の衰退・科学技術の暴走・地域コミュニティーの崩壊・医療福祉体制の崩壊……そうした問題は当然震災前からあって、じわじわと深刻になりつつあった。それらが「3・11」によって被災地で一挙に、きわめてわかりやすい形で可視化されたわけです。もう見て見ぬふりはできなくなった。でも、可視化されただけで、少しも解決に近づいたわけではありません。
「3・11で日本は変わった」と言いたがる人たちは、「『変わった』と言うこと」によって「変えた」と思いたがっているのかもしれません。それも「見て見ぬふり」の1つの形でしょうね。だから、僕がいろんなところで「『3・11』後も何も変わっていない」と書くと、「せっかく希望に向かって歩んでいるのに、水を差すのか」と批判されます。

寺脇 開沼さんは「変わらなければ」と痛切に思っているからこそ、変わらなさがよく見えるのにね。私には、「3・11」後にすら変われなかった日本から、終戦直後の日本が連想されてなりません。終戦で民主主義社会になったとき、誰もが「これで日本は変わる」と思ったわけですが、日本という国家の根本的な問題点は、結局温存されたままだった。そのこととよく似ている気がするのです。
 昨年、『戦争と一人の女』という映画を作りました。坂口安吾の短編が原作で、私は統括プロデューサーという立場です。その映画のなかで、私は脚本家と話し合って、安吾をモデルにした小説家にこんなセリフを言わせました。
「日本は変わらない」――戦争が終わって日本は変わったとみんな言うけど、変わっていない。焼け野原になっても、日本人自身が戦争を引き起こしたことをわかっていないからだ……。
 このセリフは、「『3・11』後も何も変わっていない」日本の現実を含意しているのです。

開沼 確かに、日本の戦時体制のなかにあった問題点は、今の原子力行政の問題点のなかにそのまま受け継がれているとも言えます。つまり、70年たっても日本は変わらなかったわけです。そう考えると脱力するような気分になりますが、「何も変わっていないんだ」と執拗に指摘し続けることにも、きっと意味があるのだと思います。

寺脇 終戦直後には、日本中が「日本は変わった」という幻想にとらわれていたと思うんです。それに比べて今は、開沼さんを筆頭に少なからぬ人々が、「いや、何も変わっていない」と真実を見抜いている。そこに一筋の希望があるのでしょうし、そこからしか変わっていけないのだと思います。

開沼 そうですね。今の福島は「課題先進地域」で、日本のあらゆる課題が未来に先駆けて凝縮されているエリアと言えます。福島がそれらの課題を乗り越えられたなら、日本のほかの地方にとってこれ以上ない手本になります。
 私たちの「福島学構築プロジェクト」が従来の地域研究と少し違うのは、産学・産官学連携によって、福島の課題を乗り越えていこうとする実践的プロジェクトの側面を強く持っていることです。もちろん、理系分野では産学連携は盛んに行われているわけですが、人文科学系では珍しい試みだと自負しています。
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寺脇 つまり、「福島学」ではあっても、実質的には「日本の未来学」でもあるわけですね。

開沼 ええ。福島を対象にした学問ではなく、福島の抱える問題の解決を研究するなかで、普遍的な価値を見いだしていこうとする学問なのです。そして、日本自体が世界最速で少子高齢化が進むなど、「課題先進国」ですから、福島学は「世界の未来学」にもなり得ると思います。

寺脇 なるほど。今日はお話をうかがっていて、「後生畏るべし」という感覚を強く味わいました。「福島学構築プロジェクト」に期待しています。頑張ってください。

<月刊誌『第三文明』2014年3月号より転載>

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てらわき・けん●1952年、福岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、文部省に入省。生涯学習局生涯学習振興課長、大臣官房政策課長、文部科学省大臣官房審議官などを経て、2006年退官。在任中は「ゆとり教育」のスポークスマンとして活躍し、「ミスター文部省」とも呼ばれた。07年から京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授。映画や落語の評論家としても知られる。教育問題を中心に著書多数。近著に、『文部科学省』(中公新書ラクレ)、『「学ぶ力」を取り戻す』(慶應義塾大学出版会)、『「フクシマ以後」の生き方は若者に聞け』(主婦の友社)など。@ken_terawaki

かいぬま・ひろし●1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院学際情報学府修士課程修了、同博士課程在籍。2011年、修士論文を改訂増補して刊行した『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)で脚光を浴びる。同書で第65回毎日出版文化賞(人文・社会部門)、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞を受賞。現在、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、一般メディアにルポ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員。著書にはほかに、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)など。 @kainumahiroshi