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『新・人間革命』30巻完結の偉業(上)

ライター
青山樹人

 小説『新・人間革命』の掉尾を飾る30巻(下)が、この11月18日に刊行(11月29日発売)される。
 池田大作・創価学会インタナショナル(SGI)会長が、長野の地でこの小説を起稿したのは1993年8月6日。
 当時、会長はすでに65歳であり、1965年1月から新聞連載をはじめた『人間革命』が、28年の歳月をかけて全12巻完結したばかりだった。『人間革命』は、恩師である戸田城聖・第2代会長の生涯を小説という形を借りてつづったものだった。
 12巻は、戸田会長が逝去したのち、池田会長(小説中では山本伸一)が第3代会長に就任するところで終わる。
 そして新たにペンを執った『新・人間革命』は、山本伸一が第3代会長として初の海外指導に出発する場面からはじまる。

 私が、『人間革命』の続編として、『新・人間革命』の執筆を思いたったのは、先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたからである。(『新・人間革命』第1巻「はじめに」)

 戦後の焼け野原に一人立った戸田城聖氏は、第2代会長に就任した1951年から逝去する1958年までのわずか7年間で、日本国内に75万世帯の創価学会を築きあげた。
 そして、戸田会長の膝下で11年の薫陶を受けた青年が、わずか32歳で第3代会長となり、今日、創価学会は世界192ヵ国・地域に広がる〝世界宗教〟となった。

 師弟は不二である。不二なればこそ、私もまた、恩師の心を抱き締めて、世界を駆け巡り、「平和と幸福の大河」を切り開いてきた。「源流」の偉大さを物語るものは、壮大な川の流れにほかならない。(同)

日本一の新聞連載小説

11月15日、三省堂書店神保町本店が掲出した『新・人間革命』第30巻<下>の懸垂幕(東京・千代田区)

11月15日、三省堂書店神保町本店に掲出された『新・人間革命』第30巻<下>の懸垂幕(東京・千代田区)

 小説『新・人間革命』は、第3代に就任した山本伸一と、日本そして各国の無名の庶民たちが織りなす壮大な群像劇である。
 それは、単に創価学会の歴史をつづった長編小説ではない。
 核兵器が登場した20世紀半ば以降の人類史にあって、仏教という宗教がまったく新しい人間の蘇生と社会変革の運動として復興し、庶民の1人から1人へと伝播して、人々の生き方を変え、世界を動かしていった記録そのものである。
 そのすべてを仮に誰かがノンフィクションとして描こうとしても、所詮は紙幅の限界が大きく立ちはだかり、なにより書き手の主観の範疇を出ない。個別の「事実」の一面は拾えても、それがこの歴史の「真実」とはならない。
 創価学会のなかで一番、「戸田城聖」と「山本伸一/池田大作」の胸の内を知り、一番多く国内外の学会員と接してきた人。すなわち池田会長自身があえて長編小説という形式でつづること以上に、その歴史を書きとどめる最善の方法はなかっただろう。
 2つの小説は、新聞連載小説としても不滅の金字塔をのこしている。
 すなわち『人間革命』の連載回数は1509回。『新・人間革命』は6469回。
 とくに『新・人間革命』は、これまで日本最長だった山岡荘八の『徳川家康』の4725回を大きく超える。
 読者は日本国内に留まらず、現時点で『人間革命』は9言語、『新・人間革命』は13言語に翻訳され、23ヵ国・地域で出版されている。

文字・活字文化への貢献

 ところで、明治維新からの150年間で日本最大のベストセラー作家は誰だろうか。
 公開されている日本著書販促センターなどのデータをもとに、年ごとのベストセラーと著者を調べたサイトがあった。参考サイト 参考サイト(TOHAN)
 これを見ると、『人間革命』第1巻が刊行された1965年以降、多くの年で池田会長の名前が挙がっている。
 小説『人間革命』『新・人間革命』とも、単行本が出るたびにベストセラーとなってきた。
 おそらく明治からの150年間でも、池田会長は日本を代表するベストセラー作家の一人になるのではないか。『人間革命』と『新・人間革命』の発刊部数は、日本語版だけで計5000万部を上回る。
 これらのことは、日本の多くの都道府県の書店商業組合、大手出版取次会社が、池田会長を顕彰して感謝状や貢献賞などを相次いで贈ってきたことにも明らかだろう。
 たとえば2008年に京都府書店商業組合が「文字・活字文化に対する貢献賞」第1号を会長に贈った際は、北山杉の板で特製の賞状を作成。組合の理事長、専務理事、理事らが東京まで出向いて授賞式をおこなった。
 1世紀以上の歴史を持つ同組合は、発足以来、京都の各宗派の寺社を主要な顧客としてきた。それでも、池田会長の文字・活字文化に対する貢献の大きさは特別なものがあるとして、全会一致で第1号の貢献賞を贈ったのだった。

世界の作家たちとの友情

 文学者としての池田SGI会長の評価は、各国の名だたる文学者たちが会長と親交を結んできたことにも表れている。
 中国では、巴金、謝冰心、林林ら。今も中国文学の巨星と仰がれる巴金は4度にわたって池田会長と会った。また日刊紙『明報』の創刊者で、武侠活劇小説で中国語圏に圧倒的な人気を誇った香港の金庸とも語らいを重ね、対談集も出版している。
 作家で中国の文化相も務めた王蒙も、会長と語らいを重ね対談集を出版。北京にある魯迅博物館、上海の魯迅記念館は、いずれも池田会長を名誉顧問にしている。
 ノーベル文学賞を受けた旧ソ連のショーロホフは会長を自宅に招き、アイトマートフとは家族ぐるみで交流を重ねてきた。
 東京で初会見したアンドレ・マルローも、会長をパリの自宅に招き、両者は対談集を発刊している。
 ブラジル文学アカデミーは、東洋人初の在外会員に池田会長を迎え、アタイデ総裁はやはり逝去の寸前まで全力を注いで会長との対談集を完成させた。
 アフリカで初めてノーベル文学賞を受賞したナイジェリアのショインカも、来日中、神戸で会長と会見した。
 1969年末からのいわゆる「言論問題」で、日本のマスコミや言論人たちが公明党と創価学会を激しく非難したなか、ベルリン自由大学教授として滞在中のベルリンから「丁丑公論私記」を日本の月刊誌に寄せて、批判に異を唱えたのは加藤周一だった。
 その後、加藤は池田会長と語らいを重ね、創価大学で講演もおこなっている。
 日本文芸家協会のなかで創価学会への抗議声明を出そうという意見が出た際、頑としてそれを拒否したのは、協会会長を務めていた井上靖だった。
 有吉佐和子らとともに池田会長と会っていた井上は、

 私は、池田先生とお会いして、あれほど深く文学を理解し、また、ご自身でも筆を執られる先生が、『言論の自由』とか民主主義の基本となることに対して、間違ったとらえ方をされるはずがないと信じています。池田先生のことが、人間的な理解が伴わない形で、誤解されたまま、マスコミに喧伝されているのでないでしょうか。(『新たなる世紀を拓く』読売新聞社)

 その後、井上はさらに池田会長と語らいを重ね、往復書簡を交わし、それは『四季の雁書』(潮出版社)として刊行された。
(下)につづく

『新・人間革命』30巻完結の偉業(下)

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』、『宗教は誰のものか』(ともに鳳書院)など。