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人との弱いつながりが〝新たなセーフティネット〟をつくり出す

ジャーナリスト
佐々木俊尚

 変化の渦中にある日本社会。その中で、生き残る術は何なのか。『自分でつくるセーフティネット』の著者・佐々木俊尚氏に話を聞いた。

正社員でも非正規でもない第3の道

 昨今議論されている労働者派遣法の改正案に対して、「正社員への道が閉ざされる」といった批判の声がありますが、昔のような正社員を中心とする社会に戻る理由はもう何もないと思います。
 工業化のフェーズ(段階)が終わり、ポスト近代へと完全に突入している中で、日本はよほど想像もつかないイノベーションでも起きない限り、経済成長はほとんど期待できません。
 さらに仕事はどんどん途上国へとシフトしていき、もはや企業が正社員を抱えることに無理が生じてきているのです。そのため契約や派遣といわれる非正規雇用の労働者が、今後さらに増えていくことは間違いない流れです。だからこそ、その流れの中でどのように生きていくのかを考えていかなければなりません。
「みんなフリーになって働けばいいんだ」といった〝ノマド論〟がよく出てきますが、これは強者の論理です。そのような働き方ができるのは、グローバルエリートになることのできるごく一部の人だけで、多くの人がそんなものになれるわけがないという現実があります。
 だからこそと正社員化を主張する人がいるわけですが、仮に全員を正社員にしたとして、短期的には救われるとしても、結果的に企業の国際競争力を削ぐことになり、逆に企業の海外移転を加速させ、雇用は減少してしまいます。
 それよりも今大事なことは、グローバルエリートか非正規雇用かという2軸だけのものの見方をするのではなく、〝第3の道〟を考えることです。今の日本社会では、この第3の道のロールモデル(規範となるもの)が存在していません。今後、それを探し提示していくことが必要です。

自分の生存戦略をつくり出す

 グローバルエリートでもなく、終身雇用でもない不安定な身分で、才能もないというペルソナ(人格)を設定した場合、私たちは何に依拠し、どのように生きていけばよいのか。私は、その第3の道として、「たくさんの仕事に手を出していくこと」だと考えています。
 最近、九州や四国などで20~30代の若者が集い合って、集落や村で生活するヒッピーコミューンと呼ばれるヒッピー(伝統・制度など既成の価値観に縛られない若者)の共同体が増えてきています。
 彼らは昔のヒッピーのように集団で隠遁生活をするのではなく、フェイスブックなどインターネットを駆使して外の世界とも普通につながっています。そして、東京との仕事も維持しながら、農業をしたりして生活しています。
 彼らはそこで家を改造したり、畑を耕したり、地元の人と折衝したりもします。つまり、何か1つの仕事をするだけではなく、大工も農業も営業もやりながら生活しているのです。そんな彼らのスタイルは、「百姓」という言葉が持つ〝百の仕事をこなす人〟との意味にも通じます。
 1つの専門的な仕事だけで食べていけたのは、企業が多くの人を雇い、それぞれに専門的な仕事をさせる仕組みがあったからですが、今はそれができない時代になってきています。
 ヒッピーコミューンのような例は極端かもしれませんが、これからの日本は、そのような人が、いろいろな仕事をするような働き方に回帰していくのではないかと見ています。とはいえ、何か特別な難しいことをやる必要はありません。たとえば、一流家具は作れなくても、ちょっとした家具なら作れるという人であれば、自作の家具を1万円くらいで売ってみるのもいいのです。そのような、ちょっとしたことをいくつか持っておくだけでだいぶ違ってきます。
 しかも、今はテクノロジーが発達し、クラウドソーシングのようなマッチングのサービスがいくつもあります。たとえば、「Airbnb(エアビーアンドビー)」というサービスは、自分の家を旅行者に有料で貸し出すというサービスを行っています。こうしたサービスを駆使すれば、専門性や特別な技術がなくても、収入を得る方法をいくつも考えることができます。
 そうやって1人ひとりが、フリーハンド(自分の裁量)でできることを増やしていくことが、第3の道になり得ると思います。

「新しい情の世界」がセーフティネットになる

 今までの日本の社会の中には、ある種の強い絆的な「情の世界」がありました。社会心理学者の山岸俊男氏はこれを「ヤクザ型コミットメント」と呼び、「無理やり信頼させられている同調圧力の強い社会」といっています。
 それが今、地縁共同体や戦後の企業社会といった〝箱〟の機能が崩壊し、それまでセーフティネットの役割を果たしていた「情の世界」が消えつつあります。すると今度は、どこでつながりを持てばいいのかが重要なテーマになります。
 世界では、見知らぬ人と知り合うことも1つの情という認識があります。日本でもムラ社会が成立した江戸時代の前までは、そのような認識をしていた時代もあったと思います。私はこの見知らぬ他人を信用する現在のアメリカ的一般信頼社会のようなものが「新しい情の世界」だと捉えています。
 そして、この弱いつながりの中にある「新しい情の世界」を大事にメンテナンスしていくことが、私たち自身の生存戦略となり、これからのセーフティネットになると思うのです。
 そこでは、フェイスブックのようなインターネットの力が役立ちます。かつて、アメリカ社会も信頼が崩れようとしていた時期がありましたが、インターネットの力を借りて見知らぬ他人との信頼が復活しました。このことは、拙著『『自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門』』で詳しく書いていますが、人間関係を気楽に維持し、自分の信頼度を担保してくれるフェイスブックのような便利なツールが登場したことによって、見知らぬ人同士が信頼し合うことが可能になったのです。
 この「新しい情の世界」をつくることで、もし急にリストラされて会社という箱の外に放り出されてしまったとしても、薄く弱いつながりの人たちが自分に影響の及ばない範囲で手を差し伸べてくれ、新しい仕事や転職、独立の情報を与えてくれることもあるかもしれません。
 社会のすみずみの裏側で網の目のようにつながっている「新たな情」というセーフティネットをつくることができれば、この世の中で安心して生きていくことができると思うのです。

根本的な議論の必要性

 社会の中には、就活で一度でも失敗したら人生終わりだと思っている若者や、40歳を過ぎたらもう転職できないと思いリストラに怯えている人がたくさんいます。
 でも、本当はすぐに白黒をつけるのではなく、もっと中間的な見方やいろいろな選択肢があっていいと思います。その選択の自由が失われていることが、日本社会の最大の課題だと考えます。
 今の日本では、保守が生き残り、リベラル勢力が完全に消滅したという見方があります。しかし、伝統的な家族観が素晴らしいというような保守的な哲学ばかりが日本を覆い尽くすことになれば、生きづらい世の中になります。さらに中間的な見方が失われていきます。
 また、日本では「正義」という言葉の使い方が、欧州とはちょっと違っています。欧州では「正義」と「正義」がぶつかった時に、その間に入り「公正」に判断することを「正義」としていますが、日本では皆が「正義」について語るばかりで何が「正義」かわかりません。中国や韓国との関係などもそうですが、個別のイシュー(論点)について議論してはいるものの、その議論をするお互いが、そもそもの「正義」について議論することをどうも忘れている気がしてなりません。
 社会が不安定になり、白黒つけない中間的な見方が失われてしまっている今、それを取り戻していくためにも、本来の「正義」や「公正」「自由」とは何かという、根本的な議論から始めていくことが大切だと思います。

<月刊誌『第三文明』2015年1月号より転載>

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ささき・としなお●1961年、兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。88年に毎日新聞社に入社。警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人や誘拐、海外テロ、オウム真理教事件などを取材する。99年に月刊アスキー編集部に移籍。2003年からフリージャーナリスト。総務省情報通信白書編集委員。『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー携書)、『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書)など著書多数。佐々木俊尚公式サイト