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「政教分離」の正しい理解なくしては、人権社会の成熟もない

弁護士
竹内重年

 

 信仰者や宗教団体が政治参加することは違憲ではないのかといった疑問を投げかける人がいまだにいるようだ。いわゆる「政教分離」問題である。世界では宗教的思想をもつ政党は一般的だ。ドイツでは宗教政党が国政で活躍し国民の理解を勝ち取っている。政権与党の「キリスト教民主同盟」は幾人もの首相を輩出し、メルケル首相も同党党首である。
  ――現代ドイツ政治の骨格形成に不滅の足跡を残した憲法学者ゲルハルト・ライプホルツ。弱冠19歳でハイデルベルク大学の哲学博士号を取得し、ナチス・ドイツの迫害を戦い抜き、イギリスに亡命。オックスフォード大学教授となる。後にはドイツ連邦憲法裁判所判事となった人物である。
 若き日にライプホルツに師事し、日本に「ドイツ政党法」の知見を広めた竹内重年氏に「宗教と政治」について話を聞いた。

政教分離は「国家と宗教」の分離

――そもそも政教分離とはどのような概念でしょうか。

竹内 政教分離とは国家と宗教が完全に分離していることを意味します。重要なことは「国家と宗教」の分離であって、「政治と宗教」の分離ではないということです。日本国憲法の精神が求める政教分離は、国家の宗教的中立性を要求しているのであって、宗教者の政治的中立を要求しているわけではありません。
 政教分離の概念を理解するためには、我が国における「信教の自由」の成立過程を理解する必要があります。
 明治維新によって徳川幕府が倒れた時、新政府は前政権が欧米列強と締結してしまった不平等条約を改正する必要に迫られていました。「富国強兵」政策をとり、諸外国と対等な立場で外交を行うために、近代的な憲法典を制定する必要があったのです。初代首相の伊藤博文はドイツの憲法典にならい、「人知自然の発達を促す」信教の自由を保障することにしました。しかし国民の人権のためではなく、国家の発展を目的に制定された憲法典は不完全なものでした。
 明治憲法では、「臣民たる義務に背かない限り」という制限つきで、信教の自由が保障されていました。問題は何が義務に当たるのかということです。
 明治憲法下では天皇自身を「現人神」とあがめる国家神道が「国教」的地位を与えられました。神社は公的な法人であり、神職には官吏の地位が与えられていました。
 また官吏や国民が、「国家の祝日」その他の公の儀式に神社へ参拝することは国民の義務だとされていたのです。一方で「治安維持法」などを制定し、神道以外の宗教を徹底的に取り締まりました。戦前の創価教育学会も、キリスト教、大本教などの諸教団とともに激しく弾圧されました。

――実質的に信教の自由は空文化されていたということですね。

竹内 私には忘れられない小学校での思い出があります。真冬の寒い時期、校長先生に戦争の必勝を祈るように促され、裸足で近くの神社に参拝させられたのです。校庭に戻ってくると、校長先生が「諸君が武運長久を祈ってくれたから、日本の軍隊が栄えて、ますます勝利をおさめるだろう!」というのです。私は思わず聞いてしまいました。「神社参拝をしたら、なぜ戦争に勝てるのでしょうか。因果関係がわかりません。日本軍はさまざまな場所で玉砕しています。神社で一生懸命祈っても、負けるものは負けているじゃないですか」と。そうしたら校長先生の怒ること怒ること(笑)。「無礼者ッ! 非国民ッ! お前は祈り方が足りないッ!」と厳しく叱責されてしまったのです。
 私も人並みに軍国少年で、別に反軍国主義であったわけではありません。それでも内申書には「学業優秀なれども操行(道徳科目)『丙』――」と書かれてしまいました。当時、操行で一番下の「丙」評価を受けることは旧制中学への進学が閉ざされることを意味していました。どんなに成績がよくても「不良学生」とみなされ、不合格にされるのです。
 さいわい戦争が終わって軍部支配は崩壊し、進学に事なきを得ましたが、あらためて恐ろしい出来事だったと思います。宗教の名において理性や科学を尊ぶ心が失われ、正しい認識ができなくなってくる。そのような、人間の精神的な自由が抑制される社会の恐ろしさを痛感します。
 政教分離は、国家が暴走して人間の内面を抑圧し、戦争にまで至らしめてしまった過去の痛ましい歴史を反省するために生み出された概念なのです。

信教の自由は三つの基礎構造から成る

――日本国憲法においては信教の自由はどのように保障されているのでしょうか。

竹内 信教の自由は3つの基礎構造によって成り立っています。すなわち「内心の自由」「宗教的行為の自由」「宗教的結社の自由」です。
 1点目の内心の自由とはいかなる宗教を信ずるのも信じないのも一切自由であるということ。また信仰しない自由や、みずからの信仰を告白することを強要されない自由があることです。
 戦前のように、告白を強要され迫害を受けるなどの不利益を避けるためです。つまりどのような宗教を選びとるかは個人の自由であり、国家権力が干渉してはならないということを意味します。
 2点目の宗教的行為の自由とは、信仰目的で祭壇を設けたり、祈祷礼拝を行ったり、式典行事を自由に開く権利があるということです。
 3点目の宗教的結社の自由とは同じ信仰をもった人間が集まり、宗教団体を結成する自由があるということです。付随して宗教を宣伝する自由もあると考えられています。宗教団体を組織した以上、自分たちの教義を社会に訴えることは当然のことだとされています。善意に基き、他宗派の人々を積極的に改宗させていく布教活動は宗教の骨格だといえるからです。
 信教の自由は人間精神の根源的な部分に根ざしています。内心の自由は「思想・良心の自由」につながっています。宗教的行為は「表現の自由」につながっています。そして宗教団体を組織することは「結社の自由」にもつながっている。信教の自由がどれほど大切な精神的価値であるか、おわかりいただけると思います。

信仰者・宗教団体の政治参加は正当な権利

――宗教団体が政治に関わることを違憲だと主張する人もいます。

竹内 日本国憲法第20条第1項の後段「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」を引き合いに、宗教団体が政治活動をしたら政教分離にならないのではないかという議論があるようですが、大変な誤解です。この規定は、国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示したものです。
 憲法学の立場では「政治上の権力」とは「統治的権力」を意味します。政治活動そのものではなく、法律を作ったり、人を裁いたり、税金を徴収したり、公務員を任免する「公権力」を意味しているのです。現代の我が国においては「統治的権力」はすべて国や公共団体に独占されています。よってこの議論は最初から成り立たないのです。
 また日本国憲法は「結社の自由」を保障しています。宗教団体にも当然結社の自由がある。信仰者が集まって宗教団体を組織することは一切自由であり、結成された宗教団体がいかなる政治活動をすることも自由なのです。宗教本来の役割は布教活動でしょうけれども、布教以外の活動をしてはならないのではない。少なくとも憲法は禁止していない。もし信仰を理由に政治活動が禁じられるのであれば、宗教を理由とした逆差別になってしまうのです。
 政教分離の「政」とは政治でも政党でもありません。「国家」です。伝統的な法学の世界においては、慣用句的に「政教分離」と言っていますが、本質的には「国家と宗教の分離」と表現すべきでしょう。

――憲法学者として、信仰者が政治に関わることの法的な意味をどう受け止めますか。

竹内 これまで述べてきたように、信教の自由は先人の多年にわたる多大な犠牲の上に獲得されてきた尊い権利であり、大切な精神的遺産です。国民の絶えざる努力によって守り続けねばなりません。その意味で宗教者が政治に参加すること自体、心打たれる思いがします。
 慈悲や寛容の精神をもち、人間の幸福を追求し増進していく姿勢に立つのであれば、まさに政治の理想とも合致すると思います。国民生活の隅々にまで「人間の尊厳」や「精神の自由」を行き渡らせてこそ、健全な日本社会を作り上げることが可能だからです。
 特に日本国憲法は人権の尊重を謳っています。憲法の精神を守るために信仰者が政治に関わるのであれば素晴らしいことです。若い世代の皆さんが、憲法の精神を守るために、積極的な貢献をしてもらいたいと願っています。

<資料>
明治憲法と日本国憲法の「信教の自由」条文比較

●大日本帝国憲法第二十八条
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス(=国民は、国家の安全をさまたげず、国民の義務に反しない限りにおいて、信教の自由を有する)

●日本国憲法第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

<月刊誌『第三文明』2012年9月号より転載>

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たけうち・しげとし●1933年、岡山生まれ。熊本大学教授、明治大学教授などを務め、現在、弁護士。法学博士。著書に『憲法の視点と論点』(信山社)、『ライプホルツとその時代』(有斐閣学術センター)ほか、訳書に『20世紀における民主制の構造変化』(木鐸社)など。