長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第7回 戦後の再出発
最後の署内柔道大会 焼け野原となった那覇に戻ってきてからの長嶺の仕事は、みなと村の管理だった。当時、那覇港から陸揚げされる物資の荷揚げ作業を国場組が一手に仕切っており、警察内部で長嶺に担当させようという声が出たという。 […]
最後の署内柔道大会 焼け野原となった那覇に戻ってきてからの長嶺の仕事は、みなと村の管理だった。当時、那覇港から陸揚げされる物資の荷揚げ作業を国場組が一手に仕切っており、警察内部で長嶺に担当させようという声が出たという。 […]
洞窟内の那覇警察署 長嶺将真は1944年10月、首里出身の女性、喜瀬ヨネと入籍した。長嶺が37歳、ヨネは27歳だった。 それからわずか数日後、那覇市内がほぼ壊滅することになる「10・10空襲」が発生した。日本軍はほと […]
本部と船越の確執 ここで沖縄の空手家から見た船越(富名腰)義珍という存在について見ておきたい。長嶺将真は警視庁での研修に派遣された1936年、本部朝基の「大道館」だけでなく、早くから東京で普及にあたっていた船越の道場も […]
初任地の嘉手納で喜屋武朝徳に師事 長嶺将真が沖縄警察の巡査試験に合格したのは1931年秋のことだった。20人ほどの枠に100人近くが応募し、18人が合格した。長嶺もその中に入ることができた。中国から復員して2年が過ぎて […]
商業2年のときに唐手を始める 長嶺が現在の高校にあたる那覇商業学校に入学した1922年(大正11年)は、日本空手史のエポックを画した年として知られている。 長嶺の泊小学校在学中に運動会で唐手(からて)指導をしてくれた […]