葦の髄から時評vol.14 「ライオンキング」1万回――史上もっとも成功したエンターテイメント

ジャーナリスト/編集者
東 晋平

日本に育まれた新しい文化の層

 劇団四季のミュージカル「ライオンキング」が、先日1万回の公演回数に達した(2015年7月15日)。観客動員数は通算で1000万人を超えている。
 もともと同作品はディズニーが1994年にアニメとして公開し、97年にミュージカルとしてブロードウェイで初演された。その四季版が東京で初演されたのは翌98年12月で、その後、大阪や福岡、名古屋、札幌でも上演。現在は東京と大阪の四季劇場でロングランを続けている。
 演劇の世界、わけても高度な身体能力が要求されるミュージカルの世界は、いわばプロスポーツの世界と酷似している。生まれ持った資質に加え、一朝一夕には届かない地道な鍛練と現場経験の場数がいる。さりとて人生のうちで身体がベストなパフォーマンスを生み出せる期間は長くない。
 それはフィジカルの話だけでなく、声にも通じる。声帯もまた加齢し、歌声がのびやかに出せる年齢というのは限られた期間なのだ。俳優たちは、涙ぐましい努力で身体や声の衰えと格闘し、それらを凌駕するなにものかを自身の中から掘り起こさねばならない。
 劇団四季が日本の(というより現在ではアジアのというべきだが)ミュージカルにもたらした大きな貢献は、自前で上演し続けられる専用劇場を構え、集客システムを構築し、俳優たちにも安定した経済環境を提供したことだ。
 それはちょうど日本のサッカーがJリーグを誕生させたことで、大きく進化を遂げたことと通じるものがある。なにしろ、かつてはミュージカルのロングランなど考えられなかった日本の文化風土で、「ライオンキング」が1万回公演を超えたのだから。
 今では8つの専用劇場を含む全国12の劇場で、劇団四季だけで年間3000を超す舞台が上演されている。子どもの頃にそれらの舞台を見たことで俳優になった世代が、すでに主役級になりつつある。韓国や中国からも俳優を受け入れ、多くの人材を育ててきた。この実績は本当に大きい。

「自分は何者なのかを思い出せ」

 ところで、「ライオンキング」の魅力とは何だろうか。まず、エルトン・ジョンや南ア出身のレボ・Mらによる楽曲、ジュリー・ティモアによる美しい衣装が、観客の心を一瞬でわしづかみにしていることは言うまでもない。
 同時に、平明な物語に込められた深い哲学である。エルトン・ジョンの楽曲のタイトルにもなっている「Circle Of Life(生命の輪)」。動物たちの暮らす王国では、生命は互いに共生し捕食され、分解と合成を繰り返す。個々の「死」は次の新たな「生」を創出しながら、全体の偉大な「生」を持続していく。〝すべてのものは、このめぐりめぐる偉大な生命の調和に結びついている〟というのが、この作品を貫く1つのテーマである。
 物語は、王国の王であった父ライオンが何者かに謀殺されたあと、自分には王座を継ぐ資格も力量もないと故郷を離れていた子ライオン・シンバが、やがて逞しく成長し、王国の危機に立ち向かうというものだ。
 自分は父のように偉大ではないと故郷への帰還を拒むシンバに、呪術師ラフィキは言う。「おまえは自分が何者なのか忘れたのか」「おまえは、生命のつながりの中で定められている、おまえの地位に就かねばならぬ」と。
 生命は、偉大な調和の中で、単に生と死を介してアミノ酸を受け渡しているだけではない。生きる姿勢や勇気もまた、生と死があるからこそ、次の生命に継承されていく。「ライオンキング」が記録的なロングランを続けているのは、こうした普遍的で大切なメッセージが、観る者の心に響くからだろう。
 ブロードウェイ版は、日本だけでなく世界各国でも上演されており、2014年には全世界での累計興行収入が62億ドルを超えた。これは、他の映画や演劇を含むすべてのエンターテイメントの中で史上最高額だそうだ。まさに、人類史上でもっとも成功したエンターテイメントになったのである。

「葦の髄から時評」バックナンバー:
vol.9 北京のデジャヴ――外形的な繁栄の次に来るものの予感
vol.10 中国史に流れ続ける〝宗教的なもの〟
vol.11 名も知らぬ人々との出会い――西安から敦煌へ、真冬の中国を往く
vol.12 敦煌莫高窟――記憶の古層に広がる「壮大な思想」
vol.13 加害者の「手記」を読んで――なぜ〝希望〟を紡ぎ出そうとしないのか


東 晋平 ひがし・しんぺい●神戸市生まれ。駒澤大学文学部卒。『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)、『彩花へ「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)、『彩花が教えてくれた幸福』(ポプラ社)などを企画構成。編訳に『オーランド・セペダ自伝』(潮出版社)。共著に『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)。他に詩人アンドレ・シェニエを描いたアニメ『革命の若き空』の脚本など。