冷戦終結とイデオロギー政党の凋落
結党以来50年の歴史のなかで、公明党は既に4分の1の歳月を自民党との連立与党として過ごしている。
2014年末の総選挙では、史上最低の投票率のなかで公明党は前回より得票を30万票増やし、現行の選挙制度下では最高の議席を獲得した。NHK出口調査によれば同党を投票先に選んだ無党派層の割合も前回より3ポイント増えており、連立政権における公明党への評価と期待が国民有権者のあいだに高まっていることを裏づけている。
その一方で、軍国主義下での国家神道強要を拒絶し、投獄され獄死した牧口常三郎(創価学会初代会長)の衣鉢を継ぐ政党が、きわめて復古主義の目立つ安倍首相のもと、自民党と連立を組んでいることへの疑問や批判も少なくない。
このことについて筆者は以前にも言及したことがあるが、日本政治の未来を考える上できわめて重要な問題をはらんでいると思うので、あらためて俎上に載せたいと思う。
左右に分裂していた社会党が統一された1955年、これに対抗して自由党と日本民主党が合同して結成されたのが自由民主党である。いうまでもなく、当時の世界を覆っていた冷戦構造を反映したものだ。以来、日本の国会のメインストリームでは、社会党と共産党、社会党から分派した民社党が、政権与党である自民党と〝対決〟するという冷戦構造をそのまま移植したかの構図を描いてきた。
これら野党は、イデオロギー対立を背景とした冷戦時代には、米国と親和する自民党政治と〝対決〟姿勢を見せることで一定の支持を得てきた。1990年代に入りこれらの政党が瓦解し凋落したのは、東西冷戦が過去のものとなり、世界が〝対立〟の時代から〝調和と統合〟の時代へ大きく変容し始めたことと無関係ではない。
〝対立の緩和〟を進める政党
この点で1964年に結党された公明党は、そもそもイデオロギーの対立に依拠していない。〝庶民大衆の側に立つ〟というポジションから、あるいは〝清廉な政治の実現〟という理念から、野党として政権党である自民党を追及してきたが、たとえば1972年の日中国交正常化では、周恩来と自民党政権との間で交渉役を託され両国の合意形成に大きく寄与している。80年代に入ると与野党の議席伯仲を背景に、「中道路線」の軸となって社会党や民社党を自民党との政策協議に参画させる媒介者ともなった。
また、国政よりもはるかに早い段階から、ほとんどの地方議会において公明党は自民党系会派などと合議を深め与党を形成してきた。
他の野党が政権与党との〝対決〟そのものをレゾンデートルとしてきたのに対し、公明党は早い時期から政権政党との〝合議〟の形成を探りながら、国内政治においても国際外交においても、きわめて現実的に「対立」の緩和と解消を大きな命題として進めてきたといえる。
その公明党がポスト冷戦の90年代にいくつかの試行錯誤と紆余曲折を経て、自民党からの要請を受ける形で国政でも連立政権に至ったことは、少なくとも特段驚くことではないように思う。
権力に対する宗教の3タイプ
公明党が早い時期から〝対決〟ではなく〝合議〟のスタンスをとってきたのは、この党が創価学会の仏教思想に出自を持ち、その献身的な支援によって成り立っていることと切り離せない。
宗教の政治権力への向き合い方は3タイプある。
1つは、関わらない。俗世の権力に背を向け、聖なることに専心する。この場合、宗教は個人の内面や死後の安らぎを説くことはできるが、現実社会の不条理の是正への関与はきわめて難しい。なによりも権力に対する民衆の自立性を促さないので、結果的に権力の民衆支配を容易にする。江戸時代に政治的に換骨奪胎された「葬式仏教」がその典型だ。
2つは、迎合し協力する。戦前・戦中、軍部の侵略戦争を賞讃し、信徒に隷属と奉仕を奨励して国民の戦時総動員に積極的に協力した多くの教団はこの典型だろう。ちなみに、かつて自社さ政権時代に政権の肝煎りで結成された反創価学会運動の「四月会」に名を連ねた教団や、今の「日本会議」に名を連ねる教団には、戦時下で軍部に積極的に協力した勢力が多く見受けられる。
3つは、自立的に関わる。地上の王権に対して隷属することを拒絶しながら、しかし現実社会の運営に当事者として民衆を関わらせ、合意の形成を促していく。創価学会と公明党が試行錯誤しながら半世紀以上の歳月を費やしてきたのはこのスタンスである。
宗教が政治権力と同一次元で〝対決〟してしまえば、本来は平和と正義を実現すべき宗教が民衆の中に「分断」と「対立」を生み出し、暴力すら辞さないような「憎悪」に至りかねない。しかも創価学会は日本社会の中の一定の数を占める巨大な民衆運動である。むしろ、現実社会で常に避けきれない「対立」をどう緩和し修復するかというところに宗教の果たすべき役割があるはずだ。
こうした宗教者の理念に支えられた政党である公明党が、野党時代から〝対決〟よりも〝合議〟に重きを置いてきたことは当然といえる。冷戦期、公明党以外の野党は社会の中に「対立」を作り出すことで支持を得て生き延びてきた。共産党は今もこの路線を墨守して党勢拡大を図っている。
平和構築とは「対立の解決」
「一強多弱」といわれるような現在の政治状況を作り出している大きな要因は、野党の側にあるだろう。それはなによりも〝対話する能力〟の欠如である。野党の多くは党内ですら対話がままならずに罵倒と分裂の離合集散を繰り返している。そして自民党というモンスター政党とも対話ができない。
対話の力を欠くがゆえに、冷戦崩壊から四半世紀以上を経てもなお〝対決〟する姿勢そのものにレゾンデートルを置くことでしか、党内も収まらず国民にもアピールできないという状態に陥っているのではないのか。
その結果、昨年の閣議決定に至る安保法制審議でも実際には公明党が「与党内野党」として自民党相手に説得と合意に孤軍奮闘し、野党は外野で反対を叫ぶだけで何ら自民党への影響力を示せずに終わってしまった。与党を批判することは野党の責務ではあるが、批判そのものが自己目的化してしまうのでは何の意味もない。
平和学で言う「平和の構築」とは、単にスローガンとして平和を論じ戦争反対を叫ぶことではなく、現実の「Conflict Resolution」(対立解決)を具体的に進めることである。それは、国家と国家の武力衝突というレベルから、政党と政党の意見対立、地域住民の利害の不一致、個人の内面の葛藤といったレベルまで、さまざまな場面で必要とされる。
野党は古色蒼然とした発想と手法から脱却し、対決や批判を自己目的化するのではなく、忍耐強い対話を進めながら、そこに国民の関心と議論を誘導していくべきだ。
「2.0」時代の公明党に求められるもの
一方の公明党に求められているのは「幅広く議論を喚起する能力」だと思う。今の公明党は非常に優秀な実務家集団として、あの安保法制の閣議決定で見せたような緻密な論理を積み上げる説得と合議には高い能力を示していると思う。
だが、それらがメディアの政治部記者にすらよく理解されておらず、国民に伝わっているとはお世辞にも言い難い。これまでの50年とは違い、インターネットによる政治の双方向性も進みつつある。以前は「マスコミが報道してくれない」と弁明できたが、今はそういう時代ではない。1つ1つのテーマについて、何が問題で、どういう議論が存在していて、自分たちはどう考え、どう妥協点を見いだそうとしているのか、もっと積極的に経過そのものを真摯に国民に語っていくべきだと思う。
あわせて、今や世界の先進国で大きな潮流となっている同性婚の問題や、これからの医療技術の進歩によって生じるであろう生命倫理の問題など、宗教的視座の叡智が期待される分野についても、受け身に回るのではなく、与野党と国民を巻き込んだ議論を積極的に喚起していってほしい。そのためにも、公明党としての政治課題を掘り下げていくシンクタンクを持つことを提案したい。
「対決」の政治から「対話」の政治へ。公明党のありようは、仏教思想が今日の世界の問題解決と成熟にいかなる貢献をなし得るのかという人類史的な実験でもあるのだ。
公明党、次の50年への課題と展望(上)――「チーム3000」と日本の民主主義
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