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『二十一世紀への対話』が示す 多次元の融合(融和)と価値の共有を論ず

中国文化大学「池田大作研究センター」所長
李彦良

 2014年11月4日、創価学会学生部主催の第6回「学生部連続シンポジウム」が、東京都内で行われた。「池田・トインビー対談から学ぶ」と題して行われた同シンポジウムで基調講演を行った台湾・中国文化大学「池田大作研究センター」李彦良所長の講演要旨を紹介する。

3つの融合

 1972年、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長は、20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビー博士と対談されました。人間・家庭・社会・国家と世界の問題を論じながら、はるかな未来を見すえた語らいは、のちに『二十一世紀への対話』と題する書籍にまとめられました。発刊から30年以上を経た現在では、28の言語に翻訳され、世界の指導者たちに読まれ続けています。
 本書をひもとくと、池田会長とトインビー博士が、人類をとりまく実に広範なテーマについて率直な語らいを重ねていることがわかります。そして対談を読み終えると、現代社会のさまざまな現象や国際情勢の変化を的確に読み解くことができるとともに、現代に生きる人間として何をすべきかがわかるはずです。
 他者との語らいによっていかに融合(融和)し、新たに生まれる価値をどう共有していくのか。池田会長とトインビー博士の対談はその手本を示していると思います。
 対談を注意深く読み進めていくと実に興味深いことがわかります。個別のテーマにおいては、池田会長とトインビー博士の語らいに見解の相違が存在することです。
 たとえば、「生命がこの地球上にどのようにして出現したか」について、ダーウィンの進化論的な考えに立つ池田会長に対し、トインビー博士は異なる立場で意見を述べています。ここで何よりも大切なことは、異なる思想・信条・文化的背景をもったトインビー博士に対して、池田会長が見解の相違をそのままに終わらせず、インタラクティブ(双方向)な対話の中から、新たな価値を見いだそうと融合(融和)に力を尽くされている点です。
 これまで私は、池田会長の多数の著作や対談集を研究してきました。研究を通じてわかったことは、世界の知性と語らいを深める池田会長の対話が、おおよそ3つの段階を踏まえて相互理解に向かうのではないかという点です。
 その池田会長の対話のステップを、ここでは便宜的に「3つの融合」と名づけたいと思います。
 第1段階は「差異的融合」です。ものごとに対するお互いの認識の違いやその程度を確認する作業です。続く第2段階が「範囲的融合」です。広い範囲に散らばっているお互いの差異を整理し、共通点を見いだすことができないか検討を重ねる作業です。そして第3段階が「共通認識的融合」です。第1段階、第2段階の2つの作業を踏まえながら、お互いの間に横たわる認識の隔たりを具体的に埋めていき、共通認識を作り上げていく作業です。
 池田会長は、この3つの融合をまるで循環するように絶えず繰り返し、世界の知性との語らいの中から共感と信頼を勝ち得ています。私はこの状態を「融合循環」と名づけたいと思います。これはあたかも、小さいさざ波から、大きな波浪が生まれていくようなものです。池田会長の対話には、雄々しき波浪のごときダイナミックな力が秘められているのではないかと感じています。

融合の姿勢が新たな価値を生む

『二十一世紀への対話』について研究を進める中で感じることがあります。現代に生きる私たちは、目先の利益にとらわれるあまり、安穏で調和のとれた地球環境を損なったり、品格なき振る舞いによって、人間としての尊厳を失っているのではないかとの懸念です。かつて池田会長がトインビー博士との対談で手本を示されたように、お互いが個性や価値観の違いを認め合い、新たな価値を生み出していく「融合(融和)」の姿勢こそ、世界の平和につながるものだと思うのです。
 私は、平和の価値を生み出す対話に求められる資質とは、知性や教養もさることながら、豊かな人格に裏打ちされた深き人間性にあると考えています。対談集を読み進めていくと、異なる思想や文化的背景を持った世界の知性たちが、池田会長の人格に触れ、やがて信頼や共感の気持ちを示していく様子がわかります。他人の幸福をわが喜びとする池田会長の寛大さや、見返りを求めない無私の心が相手の心を揺さぶるのだと思います。
 真の意味で寛大な人間だけが他人の幸福を心から喜ぶことができます。また見返りを求めない無私の奉仕ができるのです。たとえば、世の中のお父さんお母さんが、わが子のために何の見返りも求めずに愛情を注ぐようなものです。
 ここで大切なことは、奉仕の心や無私の愛情が義務感によっては生まれない点にあります。世の中には、「両親」という職業はありませんが、もし仮に母親に成り代わることを仕事にした場合、果たして無償の愛を注ぐことはできるのでしょうか。子どもは親の愛情に触れる中で豊かな感受性を育み、自己を表現するすべを身につけていきます。仮に与えられる知識や情報量が同じであったとしても、義務感から生まれる行動は、無私の奉仕に及ばないのです。
 このことは、個人と個人の関係だけではなく、国家に置き換えて考えることもできます。国や社会が人間の幸福を忘れて政治を行う時、経済至上主義による環境破壊や公害の問題が巻き起こってくるはずです。事実、新興国などでは、よく見られる状況です。
 若き青年の皆さんには、時代や社会を動かす大きな力があります。ぜひ皆さん一人一人がそれぞれの立場で『二十一世紀への対話』を研鑽され、平和な世界実現のために努力されることを願ってやみません。

<月刊誌『第三文明』2015年1月号より転載>