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池田SGI会長70年の軌跡(上)――「民衆が世界を変える時代」開く

ライター
青山樹人

はじめに

 192ヵ国・地域にひろがる、世界最大の在家仏教教団である創価学会インタナショナル(SGI)。
 この地球を包む民衆の連帯をつくりあげた池田大作SGI会長が、19歳で戸田城聖・創価学会第2代会長と出会い、創価の「師弟の道」を歩み始めたのは1947年8月のことである。
 終戦からまだ2年の夏。すべては、ここから始まった。
 今月で70年の佳節を刻むにあたり、この間に池田会長という一人の人間が何を成し遂げてきたのか。その軌跡を3回にわたって概観したい。

人間のための宗教

 1947年8月14日。19歳だった池田青年は、友人に誘われた創価学会の座談会で戸田城聖と出会い、10日後の24日に創価学会の信仰に入る。
 この時の心境を、会長は後年「日本経済新聞」連載の『私の履歴書』に、こう記している。

 正直いって、その時の私自身、宗教、仏法のことが理解できて、納得したのではなかった。戸田先生の話を聞き、姿を見て、「この人なら……」と信仰の道を歩む決意をしたのである。(『池田大作全集』22巻)

 ここで注意を払うべきは、何らかの宗教的な啓示や確信によるのではなく、戸田城聖という人物の人格に触れて、その人と「師弟」という人間と人間の真剣な関係性を築こうとするところから、池田会長の仏法者としての歩みが始まっているところだ。
 宗教がどんなに高邁(こうまい)な教理を語ったとしても、それが人間の人格に体現され、振る舞いや生き方を通して他者を薫発(くんぱつ)し、社会に価値を創造していかなければ意味がない。
 ひとことで言えば〝宗教のために人間がある〟のではなく〝人間のために宗教がある〟ということであり、池田会長の今日に至る一貫した信念そのものである。
 多くの宗教が、往々にして閉ざされた独善の世界に入り込み、あるいは現実社会から遊離した救済を語るのに対し、SGIが「人格」や「友情」を育むことを重んじ、「よき市民」「よき社会人」であろうと格闘し続けるところに信仰の重要な意味を見出している姿は、じつに70年前の池田会長の一歩から始まっているのである。

学会が大発展した理由

 創価学会が戦後、日本最大の民衆運動に発展した理由について、〝高度成長期に地方から都会に出てきた孤独な人々に信仰共同体を提供したこと〟という類の、学者や評論家の講釈は古くから多くある。
 しかし、そのような皮相的な見方だけでは、創価学会が21世紀の今もなお日本社会で揺るぎない存在感を示し、まして世界192ヵ国・地域に広がり、どの国でも国家や社会から高い信頼と評価を得られていることの説明にならない。
 なにより当事者の創価学会員自身が、こうした一知半解の解説には違和感を覚えるだろう。
 なぜ創価学会がここまで発展し、今も世界で発展を続けているのか。未来学者のヘイゼル・ヘンダーソンとの対談集でこの理由を問われた池田会長は、端的にこう答えている。

 まず、一人ひとりの人間革命に焦点をあて、皆が小さな自分のエゴを乗り越え、人々のため、社会のためという大きな目的に生き抜いてきたことです。
 一宗教団体の狭い枠にとらわれず、社会的存在として、どう行動すべきかを常に問い直し、具体的には「平和」「文化」「教育」を柱とする民衆運動を世界に広げてきました。(『地球対談 輝く女性の世紀へ』主婦の友社)

 同時に、池田会長が挙げたのは、次のことである。

「徹して一人の人を大切にしてきた」ことも強調したいと思います。
 私の人生は、そのためにありましたし、リーダーにも、そう訴え続けてきました。それ以外に、何か〝秘策〟があるわけではありません。(同)

 ある時は一瞬の出会いを通して言葉をかけ、握手を交わし、記念写真に納まり、ある時は箴言(しんげん)や和歌を届け、数えることもできないほどの揮毫(きごう)を書き、伝言を託し、店先で語らい、ピアノを奏で、会長は人間の限界に挑むように、常に〝一人の人〟を励まし続けてきた。
 むろん、それでも物理的に会長と直接の出会いを持てる人には限りがあるが、講演、スピーチ、講義、小説、随筆、詩、メッセージ等々、ありとあらゆる言論を通し、会長はどんな時も、その向こうにいる〝一人の人〟を見つめて、讃え、励ましてきた。
 日本はもちろん、世界にも創価学会のような運動が見当たらないのは、池田会長のように人間と向き合う指導者が稀有(けう)だからに他ならない。

民衆を〝平和の砦〟とする

 池田会長は、誰よりも民衆を信じ、民衆を愛し、民衆を励まし続けてきた。
 辛労(しんろう)を尽くして一人ひとりを励まし、一人の人間のなかにある〝世界を変える力〟を発現させてきた。
 民衆が見下され、利用され、犠牲になってきた不幸な歴史に終止符を打ち、民衆が世界を変えていく新しい時代へ、自らが民衆の一人として先頭に立ってきた。
 なかんずく特筆すべきことは、会長が「女性」という、やはり人類史上ずっと弱きものとして虐げられてきた存在に光をあて、信頼し、尊敬し、その力を引き出して、現実の社会を動かしてきたことだ。
 国内政治では、55年体制が発足した1955年の統一地方選挙で、東京都議会をはじめとする地方議会に、公明党の淵源となる地方議員を誕生させた。
翌年の参院選大阪地方区で、若き池田室長の指揮のもと、学会が支援した候補は「まさかが実現」と全国紙が書いた勝利をおさめ、今や公明党は3000人近い議員を擁して、国政でも地方政治でも日本社会の〝揺るがぬ柱〟の存在になっている。
 また、冷戦時代の中国やソ連に対しても、非難をものともせず、日本の「民衆」の一大勢力として信義と友情の橋を架け、民衆の往来、教育文化交流を深めてきた。それがゆえに創価学会は今なお、日中間、日ロ間の揺るがぬ紐帯(ちゅうたい=結び合うもの)となっている。
 国連の歴代のリーダーや世界の名だたる知性たちが、創価学会と指導者である池田会長を高く評価する理由の一つは、会長が民衆の力を引き出し、民衆を〝平和の砦〟とし、民衆の言論の力で現実の世界を変革するという、未聞の大運動を成功させてきたことにある。

「宗門事件」の本質

 こうした〝民衆のエンパワーメント〟による社会変革を可能にできた何よりの理由は、創価学会の三代の会長が、民衆を〝宗教の主体者〟にしてきたことにあるだろう。
 寺院や僧侶に依存しなければ人々の信仰(現世と死後の安穏)が完結せず、信仰は個々人の心の内面に留まっているべきである――。江戸時代からの宗教政策で日本社会に染みついていたこうした宗教観を打ち破り、創価学会は民衆に仏道修行の実践を教え、深淵な教義を開放し、自他共の幸福をめざして行動する宗教的自立を促してきた。
 創価学会にめぐりあい、池田会長の励ましに触れ、悩み多き庶民たちはそのままの姿で〝地涌の菩薩〟の誇りも高く立ち上がった。本来なら救いを乞い求める側だった人々を、勇敢に人々を救う側へと変えてきたのである。
 同時に、池田会長は各国の会員を丹念に励まし、自らも世界の知性やリーダーと対話を重ねることで、創価学会の信仰を一国のナショナリズムの枠に閉じない普遍的な信仰へと鍛え上げてきた。
 創価学会が長年にわたり在家として守り支えてきた日蓮正宗宗門は、池田会長が本格的に世界との対話を開始した1970年代半ばごろから〝出家の権威〟を振りかざして学会に牙をむき、ついには大恩ある学会の解体さえもくろんで、結局は自滅へと転落した。
 この20世紀の最後の25年間に連続した第1次・第2次の「宗門事件」は、学会が民衆の宗教的自立の深化とナショナリズムの超克を成し遂げていく経過と、パラレルに起きているのである。
 結果として、日蓮正宗という形骸化した日本の一宗派から〝破門〟されることで、創価学会は一気に「世界宗教化」を加速させることになった。
 今年(2017年)は、マルティン・ルターによる「宗教改革500周年」の佳節にあたる。
 キリスト教徒である作家の佐藤優氏は、

 プロテスタントを生んだ「宗教改革」は、キリスト教を民衆の手に取り戻そうとする運動であった。(「希望の源泉 池田思想を読み解く」第1回/『第三文明2016年8月号』)

と述べたうえで、

 キリスト教の宗教改革から500年を経た今、創価学会が仏法における宗教改革を進め、世界宗教になろうとしている。「歴史は繰り返す」ということを、あらためて感じます。(同)

と語っている。

「池田SGI会長70年の軌跡」シリーズ:
池田SGI会長70年の軌跡(上)――「民衆が世界を変える時代」開く
池田SGI会長70年の軌跡(中)――仏法の叡智を人類共有の宝に
池田SGI会長70年の軌跡(下)――新しい世界を開くための教育

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』、『宗教は誰のものか』(ともに鳳書院)など。