「おまかせデモクラシー」の時代は終わった

北海道大学公共政策大学院准教授
中島岳志

宗教団体の公共性・青年世代の公共意識と政治の関係とは。

行き詰まる政治と宗教の「分離」

 政治と宗教の問題を考えるときには、セキュラリズム(secularism=政教分離主義、世俗主義)という考え方をしっかり押さえておくべきです。
 宗教は基本的にホリスティック(holistic=全体的)な世界観をもつ、すべてを包み込む観念です。すべてを包み込む以上、宗教者は、「ここからは宗教的領域、ここからは非宗教的領域」などと分けたりはしません。
 それが近代社会のなかで、宗教的な領域と非宗教的な領域は次第に分化していきました。そこで出てきたのが、いわゆる「政教分離」問題です。しかしそれは政治全般と宗教全般の分離ではなく、教会と政府の分離問題です。
 セキュラリズムには3つの段階があります。
 第1に、「宗教の分化」という現象です。かつての社会では、たとえば医療の領域も宗教的領域でした。科学が進展するにつれて医療の領域は宗教から除外されるようになりました。教育や福祉も、宗教とは別の領域として分化しています。
 第2は、「宗教の私事化」です。宗教はパブリック(公的)な問題には対処せず、プライベート(私的)な悩みに対応するものだという考え方です。
 第3は、「宗教の減退化」です。近代科学が発展していくにつれて、宗教そのものの力が減退化していくとする考え方です。マックス・ヴェーバーが「脱呪術化」という言い方をしたとおり、非科学的な領域である宗教は、科学の進歩によって淘汰されていくというのです。
 まずこの3番目について考えてみましょう。21世紀の社会では宗教の力が減退化するどころか、科学が発展するにつれて宗教領域が再活性化する現象が起きています。科学が進歩すればするほど、人間は科学の限界にぶち当たらざるを得ないし、理性が揺らがざるを得ない。原発が最たる例です。科学の粋を集めた技術の先にいったい何があったのか。科学の進歩は、宗教の淘汰にはつながりません。
 それでは2番目の「宗教の私事化」についてはどうでしょう。宗教は私事化するどころか、むしろ脱私事化しているのが現状です。たとえばエンゲージド・ブディズム(社会参加する仏教)などがそうです。震災の被災地においても、宗教団体やお寺の機能に注目が集まっています。公共圏において、宗教が果たすべき役割が見直されているわけです。
 このように、近代社会が模索してきた宗教のセキュラリズムは、明らかな行き詰まりを見せています。
 問題なのは、1番目の「宗教の分化」です。これをすべて否定することは難しい。たとえばどれだけ医学が進歩したとしても、解決できない病気や問題はたくさんあります。ホスピスのように、医療の分野にもう一度宗教的領域が関与することもあります。だからといって、医学と宗教が一体化すれば問題が解決するわけではないのです。
 同じことが教育や政治の分野でも言えるでしょう。宗教的領域とそれ以外の領域が、完全に分離することも、逆に完全に一体化することも難しい。
 ではどのあたりに線引きをすればいいのか。これまでのセキュラリズムとは違った新たな関係性が、いま模索されているのだと思います。

憲法が縛っているのは国民ではなく国家だ

 政治と宗教について言えば、一口に「政教分離」と言ったときに、「政」が政治のことなのか政府のことなのかで意味が違います。「教」も宗教全般なのか、ヨーロッパ的な教会なのか、あるいは特定の教団なのか。この組み合わせによって「政教分離」の意味はまったく違ってしまいます。
 最低限合意が得られそうなラインは、特定の教団や宗教的なグループが、政治全般をコントロールすることや、逆に政治全般、政府全般が特定の宗教団体を弾圧したり、教義にまで手を突っこむ形で介入することは許されない、というところでしょうか。
 実際、日本国憲法第20条では《国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない》と規定しています。国家権力は、思想・信条の自由に手を突っこんではいけない、と国民の側から国家権力に禁止条項を規定しているわけです。
 問題はそこから先です。実は日本やフランスなどは過剰なセキュラリズムの国で、宗教全般と政治全般を完全に分けようとしています。多くの日本人は、「宗教者は政治に一切関わってはいけない」と考えてしまっています。宗教者の政治活動を縛るような解釈は、国家を縛る憲法の精神とは逆のべクトルなのです。
 日本は政教分離を追求するあまり、宗教全般と政治全般をあまりにも厳格に立て分けようとしすぎました。毎年8月15日の終戦記念日には、日本武道館で戦没者追悼式が開かれます。「追悼」とか「慰霊」と言うからには、宗教的行事のはずです。
 ところが人々は、戦没者追悼式から、無理やり宗教的要素を除外しようとして、「黙祷は宗教ではないが、手を合わせると宗教になる」「献花をするのは宗教ではないが、焼香をすると宗教になる」などと、かなり形式的な線引きに終始しています。これは本質論から逃げていると言わざるを得ません。
 その点インドは、日本とは違って政治が多元的な宗教を平等に扱ってきました。マハトマ・ガンディーの命日(1月30日)には、デリーにあるガンディーのモニュメントの前で国家行事としての式典が行われます。
 この式典はどういうやり方をするかというと、仏教徒やキリスト教徒、ヒンドゥー教徒など、各宗派の代表が集まって5分間ずつお祈りをするのです。そこに与野党のトップや首相も集まります。国家が宗教を除外するのではなく、宗教の多元性を認めてフェアに扱う。これが宗教共存を前提とした、インドの多元主義的なセキュラリズムです。
 マハトマ・ガンディーはこう言いました。「山の頂は一つである。頂上に至るまでには、複数の道が存在する」。真理とは山の頂のようなものであり、真理に至る道は宗教・宗派によって違うというのです。真理に至る道は複数あることを認める。こうした宗教多元主義こそが、ガンディーの考え方でした。
 どちらかというと本来はこういった感覚のほうが、日本人が長らくもっていたものに近いのではないかと思います。それが、急激な近代化の流れのなか、歪んだかたちで狭義のセキュラリズムに陥ってしまったのでしょう。
 もちろん、政治と宗教があまりにも一体化してしまうと、また別の問題も生じます。この場合、主に宗教の側が被害を被ってしまいます。政治はあくまで妥協の産物であり、さまざまな合意形成をしながら少しずつ進んでいくものです。その妥協の産物が、宗教的信念に抵触することも大いにあり得ます。そうすると宗教が政治に引きずられ、宗教と政治の〝主従関係〟が逆転してしまう弊害が出てくるかもしれません。
 この、宗教と政治の距離感をどうするかが重要なポイントになると思います。

自分の手が届く範囲での具体的な政治参加

 有権者による政治への関与は、ただ選挙に行くことだけではありません。選挙に行ったあとは、政治家に文句を言うだけ。そんな〝おまかせデモクラシー〟の時代は終わりました。自分たちの手が届く範囲で、人々が具体的に政治的行動をするべき時代が訪れています。
 フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルは、『アメリカのデモクラシー』という本で「結社」の重要性を説きました。多数者の味方であることを吹聴する一部の政治家が権力を肥大化させ、その政治家に大衆が一方的に従順する。すると多数者の専制が生まれるというのです。専制政治を生まないためには「結社」こそが必要なのだとトクヴィルは主張しました。
 労働組合や宗教団体のような中間的団体に参加しながら、他者に対する想像力をもつ。自分とは異なる異質の他者と議論しながら、緩やかな合意形成を目指す。少数者の意見を、きちんと丁寧にくみ上げていく。結社を通じたフェース・トゥ・フェースの議論こそが、専制政治を避けるために必要なのです。
 日本では、1998年以降、毎年3万人を超える自殺者が生まれています。孤独死や児童虐待も後を絶ちません。こうした問題を解決していくためには、国家と国民の間に位置する宗教団体のような結社が紐帯を強めていくことがいちばんです。
 ガンディーは「私は自分の手の届く範囲で奉仕します」と言いました。彼は徹底して、人間の顔が見える政治を信頼していたわけです。大切なことは、宗教心や信仰心をもった人々が、自分の手の届く範囲で地域の人々と関わっていくことです。特に今の青年世代は、上の世代が思っている以上に、人の役に立ちたいという意識が強い。こうした公共意識をどのように政治につなげていくかが、今後問われてくる問題です。
 創価学会のような宗教団体が政治参加することには、憲法上何の問題もありません。遠慮する必要などないわけです。創価学会も地域社会のなかで開かれた存在になってきています。このように公共性を重視する宗教団体の活動は、これからもっと拡大されていくべきだと思います。

<月刊誌『第三文明』2012年5月号より転載>


なかじま・たけし●1975年、大阪府生まれ。大阪外国語大学外国語学部(ヒンディー語学科)卒業。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。米ハーバード大学南アジア研究所の研究員を経て現職。専門は南アジア地域研究、近代政治思想史。99年にインドを訪れ、ヒンドゥー・ナショナリストとの共同生活を通じて宗教とナショナリズムについて研究。著書に『パール判事』『ガンディーからの<問い>』『保守のヒント』など多数。2005年に著書『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞を受賞。