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18歳選挙権を考える――本質的な問題の解決が若者の政治参加を促す

立命館大学大学院特別招聘准教授
西田亮介

 ネット選挙や18歳選挙権によって、果たして若者の政治参加を促すことはできるのか。その背景にある本質的問題に目を向ける。

勝てないゲームを要求される若年世代

 若年世代の政治参加に関して、3つの本質的な問題があると考えています。
 現在推進されている18歳選挙権の導入については、世界的な動向を鑑みても妥当だと思います。ただ、それで若者の投票率が上がるかというと疑問です。若年世代の投票率が低いことに対して、よく「若者が投票に行かないから、若者向け政策が実現できない」といわれます。確かに若年世代の投票率は、2014年の衆院選で、20、30代は40%を割り、団塊世代に比べると半分程度です。 
 投票率だけでは、政治に対する影響力は見込めないというのが一つ目の問題です。若年世代の投票率は昔から低かったのですが、以前は人口ボリュームが多かったので、そこそこの「投票数」がありました。ところが、現在の若年世代は、投票率が低いうえに、人口ボリュームも小さいため、投票数は格段に少なくなっています。
 少子高齢社会では、若年世代の投票率が多少向上したとしても、年長世代の票数にはとても及びません。実際に政治に影響を与えるのは「率」ではなく「数」ですから、若年世代は、〝勝ち目のないゲーム〟を強いられているとも言えます。日本の人口動態上、投票率と政治参加を直接結びつけること自体が、若者にとってあまり得策ではありません。

高額な供託金

「若者も政治に参加するべきだ」「つべこべ言わずに投票には行け」といった「べき論」をよく見かけます。このような使い古された物言いが、若者たちに届くことはないでしょう。
 一方で、〝楽しい選挙〟や〝選挙に行くことはカッコいい〟といった若者向けとおぼしきフレーズも目にします。総務省でも普及啓発事業として、選挙ポスターに若者受けしそうな芸能人を活用し、関心を引く取り組みを推進しています。こうした取り組みは否定されるべきものではありませんが、近視眼的に、若者に媚びる方法ばかりがフォーカスされてしまうことで、以下に述べる本質的な問題が覆われてしまうことがあります。
 2つ目の問題は高額な供託金です。若年世代からすると、同世代の立候補者が増えるならば、政治に対する心理的な距離が縮まるのではないでしょうか。しかし、今の制度では立候補する際、衆院選の選挙区、知事選では300万円、地方議員選挙でも30万~60万円の供託金が必要です。
 年長世代に比べて資本形成が遅れている若年世代にとって、高額な供託金は、相対的に重たい負担となり、フェアとは言えません。しかし、供託金引き下げの議論は、棚上げされているように見えます。こうした構造的で、現実的な問題を放置したまま、若者の政治参加を促そうとしても前には進まないと思います。

フレームワークが欠如している日本

 そして3つ目の問題が政治についての教育の問題です。
 たとえば政治経済の授業では、三権分立の話など原理原則や歴史の話が中心です。歴史の授業では、第2次世界大戦以降についてはほとんど扱われていません。現代社会の授業で一部触れますが、そこでは人権問題、環境問題などイシューベース(問題別)で縦割りの内容になっています。
 現状の有権者教育のもとでは、基本的な民主主義観や今の政治状況をどのように捉えるのかといったフレームワーク(判断するための基準、枠組み)を形成する機会に事欠きます。よく模擬選挙が必要だと言う人がいますが、生活者が求めているのはもっと〝使える〟フレームワークではないでしょうか。今の政局で起きている出来事を判断し、咀嚼し、そのうえでどこに投票するかを決定するためのよって立つ思考の枠組みとなるものです。
 政治を理解するフレームワークがない状態で、情報量ばかりが増えていく。それは小さなカップにコーヒーをたくさん注いでいるようなもので、入りきらずに外にあふれていってしまいます。それではむしろ政治に対する興味を失ってしまうでしょう。
 歴史を振り返ると、日本でも過去に何度かそうしたフレームワークの形成を促進しようとしたことがありました。1つは、1947年の日本国憲法施行直後に、当時の文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』(国立国会図書館デジタルコレクション青空文庫)というテキストです。これは新しい憲法をわかりやすく周知し、理解を促そうとした教材でした。
 もう1つは、やはり文部省が制作した『民主主義』(上/下、48/49年発行 国立国会図書館デジタルコレクション復刻版)というテキストです。非常に分厚いテキストで一瞬腰が引けるのですが、民主主義の歴史や重要性、そしてその実践について、非常にわかりやすく書かれています。
 終戦直後は、日本人が政治のあり方や民主主義のあり方について、真剣に考えざるを得なかった時代だったのだと思います。その時に生み出された知恵は、政治に関してよって立つ枠組みを持たない日本の多くの有権者にとって、あらためて振り返ってみる価値があるでしょう。若年世代の政治参加の促進を目指すならば、かつての知恵を現代版にアップグレードする作業が求められると思います。

時代にあった道具を提供

 現在、「情報と政治」という授業を行っています。選挙の後に、学生に地元紙の選挙欄の記事を読ませたのですが、彼らは「書かれている事実は理解できるが、意味がわからない」と言います。数字や記述が詳細に書かれた新聞記事を読んでも、そこから選挙結果の意味や、今後どうなっていくのかといった〝行間〟、つまり背景情報を補完して読むことができないのだと思います。
 そうであれば、そこを埋めていく作業や、民主主義を学ぼうと思った人が学べる機会を提供していかなければ、いくらネット選挙やカッコいい選挙、18歳選挙という形で、若者に政治参加を促したとしても、仮に投票率は多少上がっても、実質的な変化にはつながっていかないのではないでしょうか。
 フレームワークを提供するためには、メディアの役割も大きいと思います。特に新聞は、テレビのように放送法で縛られているわけではなく、あくまで自主規制の範疇なので、潜在的な自由度は高いはずです。記事のあり方も、若い人でも読み解けるような形へと変えていく改革が必要です。 
 生活者がまったく政治に関与しなくても、経済も外交も順調に進み、政治家においても汚職も腐敗も起きずに社会を繁栄させていくことができれば、それが最もコストパフォーマンスが高い統治機構ということになりますが、現実にはありえません。
 とはいえ、常に政治をウオッチングすることも困難です。だからせめて選挙の時には関心を持とうということになるわけですが、短い選挙期間で多くの情報を理解し、判断するためには、やはりフレームワークを形成し、適切な意思決定をしていかなければいけないと思います。
 そのための補助線を引く作業は、ジャーナリストやメディア、研究者も担っていくべきなのかもしれません。今は、たとえて言えば、道具を提供せずに素材だけを大量に提供して食べさせようとしているような状態です。
 必要なことは、時代にあった道具を提供することです。その道具をつくろうとする作業のなかで、コモンセンス(共通感覚)のようなものが日本でも磨かれていき、結果として若者の政治参加が進めばよいのではないでしょうか。

<月刊誌『第三文明』2015年7月号より転載>

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にしだ・りょうすけ●1983年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。博士(政策・メディア)。北海道大学大学院公共政策学連携研究部附属公共政策学研究センター研究員。毎日新聞社客員研究員。国際大学GLOCOM客員研究員。ソーシャルビジネス、情報化と政治、「新しい公共」などを研究。著書に『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)、『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、共著に『無業社会 働くことができない若者たちの未来』(朝日新聞出版)などがある。Tip.Blog――東京と京都を行き来しつつ