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日本ができる国際貢献のあり方とは

東京外国語大学教授
伊勢﨑賢治

 国際的にみて、集団的自衛権はどのような位置づけなのだろうか。国際情勢に詳しい、伊勢﨑賢治氏に話を聞いた。

薄い日本の存在感

 日本で憲法9条がなくなろうと、集団的自衛権行使が容認されようと、国際情勢には影響はないでしょう。それほど日本の存在感はなくなっているのです。
 日本では集団的自衛権の問題は、中国の脅威とともに語られることが多いようですが、日中の全面戦争なんて空想の域を出ない話です。中国のような超大国を相手に、いったいどうやって日本が全面戦争するというのでしょう。アメリカも中国も核保有国ですから、日本を守るためにアメリカが核を撃ち合うなんて考えられません。最悪、かつての冷戦時のアフガニスタンや、現在のクリミア半島のように日本がなってしまうことが考えられますが、アフガニスタンやイラクでの対テロ戦で消耗しきっているアメリカが、日本のために通常戦を戦うなんて期待するほうがおかしい。
 世界に対する中国の影響力の大きさは相当なものがあります。日本からは尖閣諸島しか見えないかもしれませんが、中国は地理的にはロシアともインドともアフガニスタンともパキスタンとも接している。パキスタンとスリランカには軍港を造り、敵国で経済大国になりつつあるインドを封じ込め、シーレーンも確保しています。アフリカ諸国も中国なしには成立できない政府が大半です。日本が対抗できる相手ではありません。
 もちろん、尖閣諸島周辺で中国との武力衝突が起きる可能性はありますが、それは戦争ではありません。中国には拡張主義があるので、日本から米軍基地がなくなったらフィリピン沖の南沙諸島のように尖閣なんて実効支配されてしまうかもしれません。現状ではアメリカとともに中国と適度の緊張関係を保ったうえで、中国にあまり人に迷惑をかけない超大国になってもらうのを待つしかないでしょう。
「北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうするのだ」「日本近海でアメリカの艦船が狙われたとき、海上自衛隊はどうするのか」と騒ぎたてる人がいますが、こういう状況は国際的に見れば集団的自衛権ではなく、個別的自衛権の話です。

対テロと集団的自衛権

 自衛隊は現在、内戦が続く南スーダンでPKOに参加しています。もし国連が撤収すれば、南スーダンはルワンダの二の舞いになってしまう恐れがあります。各国の大使館が南スーダンから撤収するなか、国連は引かずに頑張っています。ここでPKO3原則を盾に自衛隊が引いてしまったら、「人道主義に反する」と見られてしまいます。保護を求めている住民を見殺しにはできません。これが「戦場の正義」です。
 昨今の国連PKOのマンデート(任務)に「住民の保護」が入るのは普通です。最近のコンゴでは、ついに先制攻撃まで実行しました。この好戦性に警戒を示す向きもありますが、「住民保護のための人道主義に基づくものだ」という正義が国際社会を席巻するようです。
 一方で、こうした「戦場の正義」を言い出すとキリがありません。こういう正義は「武勇」を鼓舞します。政治が軽薄な武勇によって左右されていいわけがありません。
 9・11テロ以降、国際社会では集団的自衛権行使のすそ野がますます広がっています。国連PKOも好戦的になるなか、集団的自衛権が積極的に国際紛争に介入する傾向が強まっています。その中の最も大きく、これからの近未来を支配していくのが「テロリストとの戦い」です。国対国の戦争とは違い、この戦争は「概念との戦争」です。日本の「オウム事件」を思い起こせばわかるように、テロの温床は平穏な日常生活にあります。誰でも「概念」に感化されればテロリストになってしまう。戦争と日常の区別がつかないのです。このやっかいな戦争に立ち向かうのがNATOなどの集団的自衛権行使なのです。国際社会にとっての集団的自衛権はこのことであって、今日本の政治で議論されているものは焦点がずれています。
 では安倍政権が意図することは何か。それは首相が言うように戦後レジームを変えたい、憲法9条を何とかしたいというだけのことのようです。国際社会の緊急課題に真面目に向き合っているとは思えない。

必要とされていない「火力」による貢献

 私はアメリカともNATOとも仕事をしてきたわけですが、彼らに「火力」(軍事力)が不足している印象はまったく受けません。自衛隊が火力で貢献しようとしても、どのみち国内の大きな反対勢力のブレーキがかかることは、当のアメリカがいちばんよく知っていることですし、日本は火力の貢献について期待されているわけではありません。
 とはいえ、国際社会は好戦的になっていますし、この流れは止めようがありません。そもそも、国連は地球規模の集団的自衛権そのものとも言えます。「テロとの戦い」が地球規模の課題になるなか、それへの「参戦」を拒むことはできないし、するべきではありません。でも参戦を「戦う」ではなく「闘う」に置き換えてみるのはどうでしょうか。
 実は、アメリカは戦争に疲れています。今年、アフガンの駐留米軍が大幅に撤退しますが、軍事的勝利もないままに、建国史上最長となる13年もの間、戦争を続けた結果、もう戦争の継続を支持する民意も財力もありません。
 出口の見えない戦況をどうにかしようと、2006年、アメリカは対テロ戦の軍事マニュアルを書き換え、ドクトリン(基本原則)化しました。ここには〝人心掌握のためには武力は必ずしも有効な方法ではない〟と明確に書かれています。また抗日戦を勝利した毛沢東の言葉〝人民は水であり、解放戦士(=ゲリラ)は水を泳ぐ魚である〟も引用されています。つまり、ゲリラに対抗するには民衆を味方につけ、ゲリラを干上がらせるしかないと。しかしこれができないのです。アフガニスタンでも見事に失敗しました。
 日本はなぜ、アメリカがこれをやらなければならないとわかっていながらできないことを追求しないのでしょうか。ドイツやノルウェーはNATOの一員として兵を出す一方で、テロが巣くう現地社会の内政に果敢に介入し、アメリカを強く補完しています。日本は兵を出していないという、現地社会にとって大変よい立ち位置にいるのに、どうしてこういう分野にもっと積極性を示さないのでしょうか。
 国際外交には、2国間に問題が発生しているとき、第3国が仲介して平和解決を模索する方法があります。「オスロ合意」などで有名なノルウェーがいちばんいい例です。
 日本も率先して国際紛争の仲介者になるべきですが、それには相手を知る高度なインテリジェンス能力が必要です。周知のようにわが外務省のそれは無に等しいレベルですから、人材を育成するところから始めなければなりません。
 政府主導の平和外交能力の取得を待つ間、民間の財団や宗教団体に平和外交をまかせることもできます。その意味で創価学会は中国との関係も歴史的に良好ですし、世界中にネットワークを持っていますから、幅広い層を巻きこんでどんどん平和外交を展開してほしいと思います。
 安倍政権の集団的自衛権に関する幼稚な議論に乗る前に、やるべきことはたくさんあります。日本ならではの平和的な国際貢献をすべきです。

<月刊誌『第三文明』2014年6月号より転載>


いせざき・けんじ●1957年、東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、スラム街の住民運動に関わる。その後、国際NGOの一員としてアフリカ各地で活動。また国連平和維持軍幹部として東ティモールやシエラレオネで、日本政府特別代表としてアフガニスタンで武装解除の指揮をとる。「紛争解決請負人」「武装解除人」と呼ばれる。現在、東京外国語大学大学院教授(平和構築・紛争予防講座)。著書『紛争屋の外交論』など多数。