ポピュリズム政治家と「気分」の政治の危険性

北海道大学大学院法学研究科准教授
中島岳志

日本維新の会などの動きにみる、日本政治の問題点とは何か。

「リスクの個人化」を目指す橋下徹市長

 現在の日本政治の対立軸について①リスクの個人化、②リスクの社会化、③リベラル(自由主義的)な価値観、④パターナル(干渉主義的)な価値観の4象限で考えてみましょう。
 生きている限り、人間はいつ交通事故に遭ったり難病にかかるかわかりません。くじ引きのように突然振りかかるリスクを、個人が背負うべきなのか(①リスクの個人化)。それとも国家の再配分機能を重視し、個人のリスクを社会全体で背負うべきなのか(②リスクの社会化)。
 リスクの社会化の担い手は、行政的な公共圏(国家)だけではありません。NPOや宗教団体といったソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)、たとえば仏教でいう「利他」の精神をもった人々による市民的公共圏も、リスクの社会化を助けてくれます。
 ③リベラルな価値観をもつ人々は、他者の個人的志向や宗教心にまで踏みこんで「あなたは××をやりなさい」と自分の価値観を強要しません。反対に④パターナルな価値観をもつ人々は、他者に特定の価値観を押しつけるわけです。構造改革を志向しつつ、国土強靭化を推進する自民党は、①と②にわたっています。他方で自民党の憲法改正草案を見ると、公共の秩序を守るために言論・表現の自由は限定されるべきだとしている。自民党は①②と④に属しているわけです。
 慰安婦発言(※注1)や体罰容認発言(※注2)に象徴されるように、大阪市・橋下徹市長が共同代表を務める日本維新の会は④パターナルな価値観を先鋭的に打ち出しています。米軍の新型輸送機オスプレイの飛行訓練についても、橋下氏は大阪府八尾市に何の相談もなく「八尾空港で受け入れる」と宣言しました(※注3)。こうした〝上から目線〟なトップダウン的政治手法もパターナルです。
 橋下氏は「グローバル資本主義のなかで競争に勝てる人材が重要だ」と考えています。競争に勝てないのもすべて自己責任で、生活保護も圧縮しようとしている。④パターナルな価値観と①リスクの個人化を重視する典型的な政治家です。siryo03
 しかし、日本維新の会の政治家が、全員橋下氏のように①と④を重視しているわけではありません。橋下氏と一緒に共同代表を務める石原慎太郎氏は、何を考えているのか分析不能ですが、たちあがれ日本から合流した平沼赳夫氏や園田博之氏は、④を重視します。彼らはただ憲法改正だけをやりたい。東国原英夫氏のように②を重視して行政改革だけをやりたい議員もいます。橋下氏の爆発的な人気だけで成り立っている政党が、日本維新の会です。7月の参議院選挙で厳しい結果が出ると、もともと一枚岩ではない同党は分裂してしまうかもしれません。

※注1:今年5月、大阪市の橋下徹市長は「戦時中の慰安婦制度は必要だった」「在日米軍はもっと風俗業を活用してほしい」と暴言。この発言は世界中のメディアに報道されて国際問題となった。
※注22008年10月、大阪府知事時代の橋下徹氏は「口で言って聞かないと手を出さないとしょうがない」と体罰容認発言。今年1月に大阪市立桜宮高校で体罰による生徒の自殺が発覚すると、一転して見解をひるがえした。
※注3今年6月、橋下徹氏は米軍の新型輸送機オスプレイの飛行訓練を八尾空港(大阪府八尾市)で受け入れると表明。大阪府・松井一郎知事(日本維新の会・幹事長)と橋下氏が、八尾市長にひとことも相談していなかったことが批判を浴びた。

橋下徹現象と「決断主義」の危うさ

 ナチス・ドイツを支えた法学者カール・シュミットは、不透明で混沌とした時代には「敵と味方」という二分法で決断力を発揮するリーダーに支持が集まると言いました。カール・シュミットは面白いことを言っています。決断の具体的な中身は問われず、リーダーがズバッと決断すること自体が支持を集めるというのです。
 低迷を続けた民主党・野田佳彦内閣の支持率が、瞬間的に上がった局面がありました。昨年11月、国会答弁で野田首相が衆議院解散を決断・宣言したときです。橋下氏は決断主義が支持を集めることを熟知しているがゆえに、体罰容認発言をしたかと思えば、高校生の自殺問題が明るみに出た瞬間に体罰を否定してみせる。何を決断したのか、中身なんてどうでもいい。決断主義によるサプライズ政治により、多くの支持を集められればそれでいいと思っているのです。
 橋下氏の決断主義を支持する人々は、決断の中身を吟味しているわけではありません。彼らは橋下氏がズバッと決めたこと自体に反応しているだけですし、憲法改正や歴史認識、行政改革といったオピニオンを熟議しているわけではないのです。
 フランスの思想家トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』のなかで、地域社会や宗教団体といった中間領域によってアメリカの民主主義は高まると主張しました。国家と個人の間に位置する中間領域が失われ、人々がバラバラに浮遊していく。フワッとした人々の気分を代弁するかのように政治家が語り、大衆メディアが一緒になって世論を醸成する。「そういう社会はいずれ崩れるだろう」とトクヴィルは予言しました。
 リスクの個人化とパターナルな価値観を重視する橋下氏には、政治的な論理の一貫性がありません。彼はポピュリズム(大衆迎合主義)とパフォーマンスによって「決断する政治家」という姿を人々に見せ、人々の声を代理表象しているかのように振る舞うのが非常にうまい。
 政策の中身を熟議せず「決断主義」という一点で脊髄反応してしまう世論と、橋下氏のようなポピュリズム政治家が結合したときには危ない。橋下徹現象が広がれば広がるほど、ファシズムと全体主義の危険が高まると思うのです。

公明党は自民党暴走のストッパーになれ

 日本維新の会と橋下徹氏は、グローバル化と競争社会化によって勝ち組と負け組が出るのは仕方ないと考えます。今やアメリカは、たった1%の富める者と99%の貧者に分かれてしまっています。リスクの個人化を追求すればするほど、日本でも不満を強いられる人々が増えていくはずです。
 彼らの不満をどう解消していくのか。経済格差という亀裂をごまかすために、ナショナリズム(国家主義)と国民統合によって人々に架空の平等性を与えていくのです。ナショナリズムは一定の国境に囲まれたなかに住んでいる人は平等な主権者であるとします。年収何億の人も、そうでない人も投票所では平等に1票です。実際には格差が拡大していても、こうした平等性を与えることで国民統合を果たそうとします。そうなれば、経済格差が広がるだけでなく国民はバラバラに解体されてしまうでしょう。政治の再配分の機能もはたらかず、むしろ悪質で排外的なナショナリズムが高揚しがちになるのです。
 自民党と連立政権を組む公明党は、橋下氏とは正反対の考え方をします。価値観はどこまでもリベラルであって、他者の価値を無理やり侵害しようとはしない。「福祉と平和」を追求してきた伝統がある公明党は、リスクの社会化が重要であると考えます。
 7月の参議院選挙では、おそらくアベノミクスと憲法改正、TPP(環太平洋経済連携協定)が争点になるでしょう。安倍内閣の是非をめぐる論争が起きたときに、公明党は自民党のネガティブな面を補う政策を提唱すべきです。
 現行の憲法96条では、3分の2以上の国会議員の賛成があれば憲法改正の手続きを取れると規定されています。自民党など96条改正派に全議席の3分の2を確保させてはいけません。公明党がキャスチングボート(政策決定権)を握れば、安倍首相の憲法96条改正に歯止めをかけられるのです。
 自民党の憲法改正草案を読むと、彼らは憲法改正の要件を「3分の2以上の国会議員の賛成」から「過半数の国会議員の賛成」に引き下げようとしています。自民党に憲法96条を改正されてしまったら、過半数の国会議員の賛成によってコロコロと憲法を変えられる日本になってしまうのです。
 もし日本維新の会が国政で力を増せば、自民党と組んで憲法改正を強行するかもしれません。公明党は与党内で自民党の歯止め役にならなければいけませんし、橋下氏の人気に引きずられて日本維新の会にモノを言えないようではいけない。
 安倍内閣に参画する公明党が、参議院選挙の結果どこまでキャスチングボートを握れるのか。公明党の存在は、政治がバランスを保つために極めて重要なのです。

<月刊誌『第三文明』2013年8月号より転載>


なかじま・たけし●1975年、大阪府生まれ。大阪外国語大学外国語学部(ヒンディー語学科)卒業。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科博士課程修了。米ハーバード大学南アジア研究所の研究員を経て現職。専門は南アジア地域研究、近代政治思想史。99年にインドを訪れ、ヒンドゥー・ナショナリストとの共同生活を通じて宗教とナショナリズムについて研究。著書『パール判事』『ガンディ-からの〈問い〉』『保守のヒント』など多数。2005年に著書『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞を受賞。