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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第29回 古武道(上)沖縄で育まれた土着の武器術

ジャーナリスト
柳原滋雄

古武道の2つの系統

 沖縄において「空手と古武道は車の両輪」とはよく耳にする言葉である。だが沖縄空手と古武道の成り立ちは、歴史的にはかなり異なっている。例えば空手の古流型の名称はサンチン、ナイハンチ、パッサイ、クーサンクーなど多くが福建地方なまりの中国語に由来するのに対し、古武道の型は考案した琉球人の名前または地元の地名など、沖縄固有の名称に由来するものが多いからだ。これらは古武道が純粋に沖縄発祥のものとして定着した経緯を指し示している。
 古武道といっても最初に思い浮かぶのは、棒やサイ(釵)など、武器術習得の際にまず習う武器だろう。ほかに漁師が使ったエーク(櫂)や農具である鎌、さらにヌンチャクなどもある。サイは中国から伝来したものとされるが、これらの多くの武器はもともと人びとの身近にある道具で、自分の身を守るための武術として発達したとされている。背景には、薩摩藩の圧政により、武器を取り上げられた歴史的な経緯があったからともいわれている。また、棒については各村々で独自の棒術が発達し、村の祭りなどでしばしば披露されるなどしてきた歴史がある。

東京で初開催された沖縄空手大演武会(2019年2月、JR東京駅隣接会場)

東京で初開催された沖縄空手大演武会(2019年2月、JR東京駅隣接会場)

 沖縄の武器術といっても、本来空手と無縁のものではない。腰使いなどに空手と同様の動きが多く含まれる。そのため空手で一定の修練を積んでから取り組むのが古武道との考え方があり、その逆は少ないともいわれている。
 現代の古武道には大きく2つの流れが存在する。一つは平信賢(たいら・しんけん 1897-1970)が戦後に集大成した「琉球古武道」、さらに又吉眞光(またよし・しんこう 1888-1947)が起こした金硬(きんがい)流空手古武術(「又吉古武道」または「沖縄古武道」と称する)の2つである。
 これらを沖縄伝来の古武道の「双璧」とするのが一般的だが、どちらがより広く普及しているのかという具体的資料は存在しないようだ。ざっくりとした感じでは、地元沖縄では普及率は半々で、スペインやフランスなどヨーロッパ諸国では又吉系のほうがより広く普及しているとの見方がある。また、2つの古武道のほかに、沖縄では「劉衛流」や「本部流」にも独自の古武道体系が伝わっている。
 古武道の武器は各種あるが、琉球古武道の場合、一般には棒、サイ、トンファー、エーク、ヌンチャク、鎌、鉄甲(てっこう)、スルチン、ティンベーの9種類。又吉古武道の場合もほぼ変わらないが、より種類は少ないかもしれない。
 また、双方に伝承される型には、「佐久川の棍」「周氏の棍」など同じ名称のものが見られるが、構成は似ているものの内容は微妙に異なっている(平信賢系統では上記のそれぞれに大と小の2種が存在することが多い)。一般に琉球古武道のほうが伝承される型の数は多い。
 棒を例にとると、琉球古武道は18種類を伝承し、又吉古武道は朝雲の棍、周氏の棍、津堅の棍、佐久川の棍、添石の棍の5種類を伝える。
 これらの2系統は、技法に優劣はつけられないものの、棒の振り方などに違いが見られる。一般的な特徴として、又吉古武道は力強い動きを持ち味とし、琉球古武道は足の入れ替えや握りのスイッチなど技の細かさが見られると指摘する声がある。

沖縄戦で消滅寸前に陥った武器術

 1944年10月の沖縄大空襲をはじめ、沖縄本土を舞台とした地上戦で県民の4分の1が命を落としたとされる沖縄戦――。「鉄の暴風」と呼ばれるほどの爆撃で、多くの空手家も命を落とした。有名なところでは剛柔流の宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)の一番弟子であった新里仁安(しんざと・じんあん 1901-45)や首里手系の徳田安文(とくだ・あんぶん 1886-1945)が戦死したほか、花城長茂(はなしろ・ちょうも 1869-1945)、本部朝基(もとぶ・ちょうき 1871-1944)や喜屋武朝徳(きゃん・ちょうとく 1870-1945)などの著名な空手家も同時期に他界している。
 古武道においても屋比久孟伝(やびく・もうでん 1878-1941)や棒術の大家であった知念三良(ちねん・さんらー 1874-1945)が戦時期に亡くなっている。
 戦後は人びとが生活に追われ、沖縄の武器術は伝承者がいなくなり、消滅する事態が懸念された。そんなとき、シャノン・マキューン民政官(米政府派遣の現地統括責任者。軍人が民政官を務めてきたが、ケネディ大統領の命令で派遣された初の文官民政官。後にユネスコの要職なども歴任)から武器術保存を具体的に勧められて行動したのが、知花朝信のもとで小林流空手を学んでいた仲本政博(なかもと・まさひろ 1938-)だった。

 戦後まもなくは道具もない、施設もない、教える先生方も少なく、古武道が消滅する寸前でした。

いつも稽古する自室で鎌を握る仲本政博さん

いつも稽古する自室で鎌を握る仲本政博さん

 そう語る仲本は24歳で平信賢の門を叩き、10年近く師事した。その意味では数少ない直弟子の一人であり、現在、道場を開いている平信賢の直弟子は他に見当たらないという。以来、古武道歴はゆうに半世紀を超え、現在も午前2時から3時の間に起床すると、まず自室で握るのは武器という。

 ちなみに「佐久川の棍」の考案者とされている唐手(トゥーディー)佐久川こと佐久川寛賀(さくがわ・かんが 1786-1867)は、仲本の祖母方の祖先にあたる。

 空手と古武道は歴史的な成り立ちは異なりますが、原点はどちらも同じです。琉球王朝時代の首里の武人たちはほとんど古武道をやっていました。北谷屋良(チャタンヤラー)のサイや佐久川の棍などを考案したのはみな空手の達人たちです。古武道は琉球人が編み出した武術にほかなりません。

 古武道の利点を質問するとこんな答えが返ってきた。

 古武道を始めたとき、当時の空手の先輩からこんなものを習ってどうするんだとも言われました。空手しかやっていない人には、当時は古武道に対する無理解がありました。武器術を習うことによる利点は、相手が武器を持っている場合の対応の仕方がわかるようになることです。例えばボールペン、指輪、腕時計、ベルト、ジャンパーなどでも、古武道の心得のある人はそれらを使ってすぐに応用できるので、マルチな対応が可能になります。

文武館の古武道博物館(那覇市)

文武館の古武道博物館(那覇市)


 ちなみに平信賢系古武道(琉球古武道)の9種類の武器をひととおり使えるようになるには、15年くらいかかるという。仲本の得意な武器はヌンチャク、次男の仲本守(なかもと・まもる 1971-)はサイを得意とする。
 また、師匠の平信賢はもともと空手では松濤館を開いた船越義珍(ふなこし・ぎちん 1868-1957)の弟子であり、首里手系の空手をもととする。その点でも、仲本とは似通った側面がある。
 仲本政博は沖縄初の国費留学生として半年間、息子の守は空手指導のため3年間、それぞれ中国福建省で滞在経験をもつなど、中国本土との人脈も多い。
 仲本の運営する文武館では、建物の1つのフロアを古武道博物館として展示する。(文中敬称略)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。