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第44回「SGIの日」記念提言を読む(上)

ライター
青山樹人

1983年から続く毎年の提言

 1月26日のSGI(創価学会インタナショナル)結成の日を記念して、今年も池田大作SGI会長の記念提言が発表された。
「平和と軍縮の新しき世紀を」と題した今回の提言では、21世紀の世界の基軸に軍縮を据える足場として、①「平和な社会のビジョン」の共有、②「人間中心の多国間主義」の推進、③「青年による関与」の主流化、を訴えている。
 また、核兵器禁止条約に各国が参加する機運を高める方途として、日本など有志国による「核兵器禁止条約フレンズ」の結成を提案。来年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議を機に「高度警戒態勢」を解除し、国連で第4回の軍縮特別総会を開催することを提唱した。
 開発が懸念されているAI兵器の非人道性に言及し、これを条約で禁止すること。さらに世界的な「水」問題解決への視座と、SDGs達成へ世界の大学がさらに協力すべきことを指し示した。
 このコラムでは、提言のなかに一貫している池田SGI会長の仏法者としての視点と英知に着目しながら、いくつかの観点にフォーカスを絞って、提言を読んでいきたい。

強靭な意志と楽観主義

 まず特筆したいことは、提言に終始流れ通っている、会長の力強い「平和への意志」と、必ずそれは可能であるという人間への信頼に基づく「断固とした楽観主義」である。
 気候変動、難民問題、貿易摩擦、軍事費の膨張など、世界を覆う暗澹たる諸課題を1つ1つ正面から取り上げながら、会長は目の前にいる友の肩を抱きかかえるように、言葉を紡ぎ出している。
 社会が直面している問題に対し、脅威や不安、猜疑心、敵意といったものを煽り立てる偏狭な「正義」が横行している時代。しかし、池田会長は希望と励ましという若き日からのスタンスを微塵も変えていない。
 そこには、闇が深ければ深いほど、烈風が吹けば吹くほど、人間はいよいよ新しい力を発現していける存在なのだという、仏法の極理の智慧がある。
 会長は提言の導入部で、

 私たち人間には、いかなる困難も乗り越えることができる連帯の力が具わっています。

と呼びかける。
 そして社会の混迷を深める要因として「あきらめ」の心を挙げ、哲学者ヤスパースの言を引きながら、人間はそれぞれ生まれや環境といった現実の制約を背負っているからこそ、

他の誰かとは代替できない個別の境遇という「狭さ」を、本来の自分に生きゆく生の「深さ」へと転換することができる

と指摘する。
 断固とした楽観主義と行動があるかぎり、あらゆるピンチはチャンスに変わり得る。
 会長は、自身もまた〝宗教者や民間人だからこそできることがあるはずだ〟との信念で行動してきたことを述べて、青年たちによる力強い関与への期待を綴っている。

肝となる「人間への信頼」

 そして提言の最後の一文もまた、

 SGIは、この教育が持つ限りない可能性をどこまでも信じ、青年のエンパワーメントを通して、すべての人々が尊厳を輝かせて生きられる「持続可能で平和な地球社会」の建設に邁進していく決意です。

という、力強い言葉で締めくくられている。
 この「人間への信頼」が、今の世界にあって決定的に揺らいでいる。
 テロリズムも、軍事拡大も、自国第一主義も、多様性を嫌悪する不寛容も、すべて「人間への信頼」を抱けないところに根源的な要因があるのだろう。
 一方で、そうした社会の現状に対峙する時に、やはり「人間への信頼」の有無は重要である。
 それを欠いた悲憤は、ある意味で純粋であればあるほど、どこかに社会を邪悪にしている〝巨悪〟がのうのうと存在しているのだという認識に引きずり込まれて、それを討ち倒そうとする衝動に、容易にからめとられてしまう。
 世界を「正義」と「悪」の両サイドに単純化し、「抑圧に加担する人々」と「抑圧されている人々」という二分化された構図だけで理解しようとすれば、たちまち絶望感と憎悪に飲み込まれていくだろう。
 そうした光景はすでに、日本も含め世界のいたるところで生じている。
 自分は正義の声をあげているつもりでも、構造としてはテロリズムを正当化する論理と通じ合うものに陥っているのである。

「平和不在」という病理

 SGI会長は、友人であるエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏(ローマクラブ名誉共同会長)の父、物理学者・哲学者のカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が指摘した、軍縮を阻んできた背景にある〝「平和不在」という病理〟に言及している。

 私が着目したのは、博士が平和を巡る問題を〝病気〟に譬えることで、いずれの国にも、また、どんな人にも決して無縁な課題ではないとの前提に立っていた点です。
 その考えの基底には、人間は善と悪に分けられるような存在ではなく、「確定されていない生き物」であるとの認識がありました。

 一見、平和を阻害する側にいるように見える人間たちもまた、〝「平和不在」という病理〟に蝕まれている病者なのである。
 同時に、戦争や飢餓、人権抑圧などにさらされ、あるいは抗(あらが)おうとしている側の人間も、やはりその病理に蝕まれ苦しんでいる病者である。
 会長が引用したヴァイツゼッカー博士の言葉のなかに、ひときわ味わい深いものがあった。

 わたしたちが、病気の症状をわたしたち自身のうちに認識しない限り、また他の人達とわたしたち自身を病人として受け入れることを習わない限り、いかにしてわたしたちは病人を助けることができましょうか。(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳/南雲堂)

 とりわけ池田会長の思想の衣鉢を継ぐことを自覚している人間は、このヴァイツゼッカー博士の視点に注意を払わなければならない。
 平和をめぐる問題を、あらゆる人間が罹患している〝病気〟だと見ることは、会長が指摘するように、それらを常に人間自身の側に引き寄せてくる。

 私たちは今こそ、「平和不在」の病理を克服する挑戦を大きく前に進めねばならないと思うのです。
 そのために重要な足場となるのが、「平和不在」の病理に対する認識を互いに持ちながら、治癒のあり方を共に探ること――すなわち、「平和な社会のビジョン」を共有していくことではないでしょうか。

 平和の不在を、あらゆる人間が共に罹患している〝病気〟だと見ることができない。自分の外部に存在する邪悪な者たちの問題、あるいはそれらの者たちが営む巨大な政治機構の問題だと見てしまう。
 それは、すでに人間への信頼を欠き、それ自体が独善の罠に陥った思考なのだ。
 そこから導かれるのは、体制を転換さえすれば万事がうまく運ぶという、すでに20世紀に破綻をした安易なイデオロギー的な幻想である。人間の可能性への信頼は捨て去られたまま、社会は「善良な市民」と「邪悪な勢力」に分断されてしまう。
「下」に続く)

リンク:
創価学会公式サイトSOKAnet「記念提言のページ」

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』、『宗教は誰のものか』(ともに鳳書院)など。