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自公連立政権7年目①——政権交代前夜の暗雲

ライター
松田 明

24年で17人の首相

 2012年12月26日に再発足した自公連立政権は、いよいよ7年目に入った。
 第1次安倍内閣と合わせると、安倍晋三氏の首相在職日数は2019年2月23日で戦後2位の2617日になる(1位は大叔父にあたる佐藤栄作氏の2798日)。
 元号が平成に変わった時点の首相は竹下登氏だったが、そこからは毎年のように首相の顔が変わった。第2次安倍内閣ができるまでの平成の24年間で首相は17人だ。
 サミットのたびに日本のリーダーが変わっていたことを考えると、第2次安倍内閣以降の安定した長期政権は、内政でも外交でも腰を据えた政策遂行を可能にしてきた。
 安倍首相が2018年12月4日までの6年間に訪問した国と地域は78。延べで数えると156ヵ国・地域にのぼる。
 2018年11月に発表された「労働力調査」でも、就業者数と雇用者数はいずれも70カ月連続で増加。完全失業者数は101ヵ月連続の減少を示している。
 2012年に836万人弱だった訪日外国人の数も、18年には遂に3000万人を突破した。18年7-9月期における訪日外国人旅行消費額は1兆884億円(観光庁の統計)に達している。

安定のカギは公明党

 この安定政権のカギとなっているのが、自民党と連立を組む公明党の存在だ。
 2009年までの最初の自公連立政権に比べて、第2次安倍政権から公明党の存在感が格段に増し、同時に自公の関係が安定度を高めて国際情勢の激変にも対応できてきたのは、ひとつには山口那津男代表の力量が大きいように思う。
 冷静で穏やかな口調が印象的だが、いかにも弁護士出身らしく、発言が常にロジカルでそのまま活字にできるほど過不足がない。
 公明党支持者以外からの人気も高く、山口代表になってから公明党のポスターを貼らせてくれる家が増えたという声が、各地の地方議員たちからも多く聞こえる。
 山口氏の代表在職日数は、2019年1月中旬には3400日を超す。現在の自公連立政権が安定しているのは、公明党が安定しているからでもある。
 一方で、公明党が自民党、とくに今の安倍総裁の率いる自民党と連立を組んでいることを疑問視する人々もいる。安倍首相や自民党への非難が高まる場面では、必ず公明党に対しても「自民党のブレーキ役になっていない」「選挙協力によって自民党政治を延命させている」「野党に戻るべきだ」との批判がつきまとってきた。
 日本のマスコミの政治報道は、視聴者・読者の耳目を引こうとして、多くが「政局報道」に終始している。しかも「分かりやすさ」と「単純化」を混同して、しばしば二項対立の構図で語ってしまう。
 現場で取材している政治部記者らは、もう少しリアルな政治の複雑性と多面性を肌で感じているはずなのに、報道は無難なテンプレに寄せて語りがちだ。
 この6年余の期間、公明党が連立政権の座にいることが何をもたらしてきたのか、少し視点を変えて検証してみたいと思う。

台頭した〝極右勢力〟

 まずは、第2次安倍内閣が誕生した2012年末の日本を思い出してみたい。
 失政に失政を重ねた民主党がわずか3年余で国民から「NO」を突きつけられ、再びの政権交代が起こった第46回衆議院選挙。
 じつは民主党の約960万票を上回る1220万票以上を得票し、議席数で自民党、民主党に次ぐ第3党の座を獲得していたのは日本維新の会だった。代表は石原慎太郎氏、代表代行は橋下徹氏である。
 橋本氏が率いる大阪の地域政党として、急激に勢力を伸ばしていた大阪維新の会は、3ヵ月前の2012年9月に国政進出を表明。
 その月のうちに国政政党・日本維新の会を結党すると、翌日には自主憲法制定などを主張する日本創新党(山田宏党首)がこれに合流した。さらに11月には石原慎太郎氏と平沼赳夫氏が共同代表を務める太陽の党が合流した。
 自民党に次ぐ得票を叩き出して一挙に衆議院で54議席を獲得したのは、こうした政治家を擁した〝極右政党〟だったのである。
 日本維新の会は2013年3月に改訂した綱領で、

 日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。

と掲げている。

最悪の日中関係

 2012年は尖閣諸島をめぐる対立で、日中関係が〝国交正常化以来で最悪〟に陥っていた年でもあった。
 この年の4月に東京都の石原慎太郎知事(当時)が、魚釣島、北小島、南小島を都で買い上げる方針を発表した。領有権を主張する中国や台湾は猛反発し、慌てた民主党政権は、9月11日に3島を国有化したと発表する。
 以後、中国の艦船や航空機による領海領空侵犯はほぼ毎日のようになり、中国国内では日系デパートが焼き討ちされるなど大規模な暴動が続発した。
 もともと民主党政権下で高まっていた人々の政治に対する失望感やナショナリズムの空気を、テレビ映えを意識した過激な物言いで求心力に変えてきたのが橋下氏だった。
 2012年9月26日の自民党総裁選で、石破茂氏と安倍晋三氏が決戦に残り、安倍氏が総裁に返り咲いたことも、この時期の世論や保守層の空気を反映している。
 このように2012年9月から12月の総選挙にかけての時期は、国内的にはナショナリズムが強まって憲法改正論者や右寄りの政治家たちが一気に勢力を拡大し、外では中国との関係が一触即発の緊張をはらんでいたのである。

「公明外し」要求した石原氏

 ただし、この時期の自民党内の動きは単純ではない。
 2012年9月の総裁選には5人が立候補し、改憲論者である石破茂氏が最有力と見られていた。安倍氏に関しては、本人の健康状態が主要因で第1次安倍政権を投げ出したイメージもあり、当初は有力視されていなかったのだ。
 実際、第1回目の投票では石破氏が498票中トップの199票を獲得し、安倍氏は144票だった。
 ところが既定の過半数に達しなかったことで党所属国会議員による決選投票が行われると、麻生派や高村派などの支持を固めた安倍氏が、石破氏を逆転して総裁の座を射止めたのである。
 衆議院選挙の公示を目前にした11月30日、日本記者クラブでの党首討論会で、日本維新の会の石原慎太郎代表は、記者から自民党との連立の可能性を問われてこう答えている。

 私は公明という政党はあまり評価できない。日本を衰弱、衰退させた大きな原因は憲法だと思う。憲法を大幅に考え直すことに、どうも公明党の幹部は反対のようだ。公明党が同意しないなら、自民党が公明党と連立している限り、自民党には期待できない。(毎日新聞12年12月1日)

 つまり、「憲法改正」という共通の悲願に向けて、自民党が日本維新の会との連立を組む場合は、邪魔になる公明党を外すべきだというメッセージを、保守支持層や自民党を意識して公の場で発したわけである。
 だが、12月16日の投開票で自民党が大勝し、日本維新の会が1200万票以上を獲得しても、安倍総裁は公明党との連立政権を選択した。
(②に続く)

「自公連立政権7年目」シリーズ:
自公連立政権7年目①――政権交代前夜の暗雲
自公連立政権7年目②――首相の巧妙な戦術
自公連立政権7年目③――大きく好転した日中関係
自公連立政権7年目④――平和安全法制の舞台裏

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