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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第22回 競技分野の実績で抜きん出る劉衛流

ジャーナリスト
柳原滋雄

仲井間家に伝わった一子相伝の空手

 劉衛流という空手流派は、沖縄では多くの人に知られているが、日本本土では無名に近い存在かもしれない。ただ空手の世界大会(型部門)に出場する喜友名諒(きゆな・りょう 1990-)選手らの姿を見れば、多くの人はテレビ映像などで見たことがあると感じるだろう。
 劉衛流の起源は意外に古い。19世紀、那覇市久米村生まれの仲井間憲里(なかいま・けんり 1819-1979)が中国で6年ほど修行して持ち帰った拳法を起源とし、仲井間家に一子相伝で代々継承されてきた。系統としては那覇手に属し、棒やサイなど独自の古武道体系を持つ。「秘伝」として存在していたこの流派が、世界に広まることになったのは偶然の経緯からだった。

沖縄県主催の会合であいさつする佐久本嗣男さん

沖縄県主催の会合であいさつする佐久本嗣男さん

 現在、この流派を継ぐ5代目の佐久本嗣男(さくもと・つぐお 1947-)は、恩納村出身の空手家で、もとは陸上選手として日本体育大学で学んだ。学生時代、空手(剛柔流)との二足の草鞋の日々を過ごし、卒業後、沖縄に帰郷して高校教諭となった。
 最初に赴任したのは県立名護高校だったが、近くにはこれといった剛柔流の道場は見当たらず、どうしたものかと思案していると、「変わった空手をしている人がいる」との話を耳にした。その人物は市内の小学校長で仲井間憲孝(なかいま・けんこう 1911-89)といった。
 訪ねて行き空手を教えてほしいと頼み込んだものの、言下に断られた。それでも食い下がって懇願を続けた結果、許可が下りたのが佐久本と劉衛流との出会いだった。以来、2人の師弟関係は憲孝が亡くなるまで19年に及んだ。
 憲孝は、劉衛流開祖・仲井間憲里の孫に当たり、幼少のころから父親に劉衛流の技を厳しく仕込まれ、37歳で免許皆伝を許された。自宅の庭先で、仲井間と佐久本の稽古が始まった。当時は今と違ってわからないところを質問することもためらわれるような雰囲気で、見て覚えよという昔ながらの指導方法だったという。劉衛流の特徴は、技が攻防一体である点、技の連続動作が非常に多い点にあるという。
 その後、佐久本が、30代半ばで自ら型競技の試合に出ようと決めたのは、顧問を務める高校空手部の生徒たちを発奮させるため、戦う姿勢の模範を示したいとの気持ちからだったと語る。

(試合に)勝てると思って行ったわけではありません。もともと選手になるために空手を始めたわけでもありませんでした。

〝稽古の鬼〟と化した佐久本は、1年365日鍛錬を怠らず、35歳のとき、九州大会で優勝。その後全国大会でも優勝し、とんとん拍子で世界挑戦の切符を手に入れた。アーナンなど劉衛流の型を演じながら、世界大会7連覇の前人未到の偉業を成し遂げた。
 ただ世界の頂点に登り詰めたものの、沖縄大会(予選)で優勝することは一度もなかった。沖縄では6回も悔し涙をのんでいる。その悔しさがあるからこそ、「今もここまで熱くなって空手に打ち込めるのかな」と心境を打ち明ける。

佐久本を支える教え子たち

浦添市に道場をもつ世界王者の一人、豊見城あずささん(中央右・手前)

浦添市に道場をもつ世界王者の一人、豊見城あずささん(中央右・手前)

 現在、劉衛流は沖縄県下に12の道場をもち、青少年を中心に600人以上が汗を流す。道場責任者の多くは、佐久本が高校教諭時代に指導した生徒たちという。
 その代表格の一人に、浦添高校時代の教え子である豊見城あずさ(とみしろ・あずさ 1973-)がいる。
 高校時代に日本一の成果を残したものの、本土の大学に進学後、空手から遠ざかった時期があった。その豊見城に、もう一度試合に出てみないかと呼びかけたのは、かつての師である佐久本だった。
 沖縄に戻ってきた豊見城が稽古を再開した際、劉衛流という流派がこれほどまでに発展し、世界大会で活躍する選手を多く輩出するとは夢にも思わなかったと語る。

 当時、沖縄県庁に勤務していた佐久本先生と2人で県庁内の狭い道場で練習しました。2、3年すると、嘉手納(由絵)や清水(由佳)などの後輩ができて、先輩の佐和田香織さんも一緒に稽古するようになりました。

 やがて後輩らと3人一組の団体形で世界一の実績を残す。現役引退後は支部道場を任せられ、現在、浦添市内に常設道場を持っている。今も師匠の佐久本や、東京オリンピックでの入賞が有力視される喜友名諒ら現役選手たちと共に汗を流す日々という。
 現在、流派の道場生のうち、200人が月1回、合同稽古を行う。世界のトップクラスの現役選手が身近にいて、子どもたちも有力選手の息づかいを感じながら、自身の目標に向かって精進する“プラスの循環”が出来上がっている。
 佐久本は

月1回、指導者クラスと合同稽古を続けています。だからこそ、劉衛流では型が狂うということがない

と胸を張る。競技のために型を変えているなどの批判があるのを気にしてか、

私は競技のために型を変えたりしない

と何度も口にした。
 その上で、劉衛流は競技空手とのイメージが先行していることに、こう反論する。

 劉衛流はれっきとした沖縄伝統空手です。私は沖縄とゆかりのある空手はすべて伝統空手と定義しています。私たちは伝統も競技もどちらも行っているという立場で、競技だけをやっているつもりはありません。

五輪のメダルをめざす

世界選手権で団体形2連覇を達成した3人。左から金城新、喜友名諒、上村拓也。喜友名は個人形の3連覇も達成(2018年2月 那覇市・泊会館)

世界選手権で団体形2連覇を達成した3人。左から金城新、喜友名諒、上村拓也。喜友名は個人形の3連覇も達成(2018年2月 那覇市・泊会館)

 2020年8月、東京オリンピックでは、日本武道館を会場に、空手競技が初めて取り入れられる。今回、型は個人型のみで、3人一組で行う団体型はない。そのため、型部門は男女各1人の選手しか日本代表として出場できないジレンマがある。その中にあって、劉衛流の喜友名諒、金城新(きんじょう・あらた)、上村拓也(うえむら・たくや)は有力候補だ。
 3人は11月にスペイン・マドリードで行われた世界選手権の団体形で2連覇を達成。喜友名は個人形の部で、師匠の佐久本と並ぶ3連覇の快挙を成し遂げた。
 彼らは365日、1日も休むことなく、稽古に余念のない日々を過ごしている。1日5時間の稽古に加え、劉衛流龍鳳会の一員(道場責任者)として、子ども達をはじめとする門下生らにも3~4時間指導する。
 沖縄出身の空手家が、オリンピックというひのき舞台で、世界の頂点に立つ日は来るのだろうか。(文中敬称略)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。