かつてこのコラムで町の本屋について取り上げた。僕は実家の近所にある小さな本屋で文学と出会って小説家を志した。もし、この本屋がなければ、僕の人生は違ったものになっていたかも知れない、と書いた。
その後、僕はふとあることに気づいた。読書をするとき、手に取る本は、本を扱う人々についてのものが結構あるということだ。どうかすると、本業の小説についての本よりも、そっちのほうに関心を惹かれている。
僕は読むことが好きだ。書くことは、好悪で判断できない。こちらは自分が生きていくうえで、いちばん力を発揮できて、稼ぐこともできる営みである。読むことは趣味や遊びも含まれているが、書くことは働くことに直結している。
本がなければ、僕の生活は、きっと味気ないものになっているだろう。だから、本を扱う人々のことが気になる。その関係の本を見つけると、つい読みたくなる。このあいだ、図書館をパトロールしていたら、新刊コーナーに、『まちの本屋』という本があった。
著者は、地域に根差した本屋で働いている人物で、文字通りの『まちの本屋さん』である。岩手県盛岡市にある「さわや書店」の田口幹人さんだ。田口さんは、実家が祖父母の代から本屋を営んでいて、父から受け継いだ店を廃業した。それでも本屋が好きで、本屋の恩師ともいえる人の紹介で「さわや書店」へ勤めた。
冒頭で紹介されたエピソードに心をつかまれた。3・11の震災が起きて、盛岡市の「さわや書店」のスタッフは、被害の大きかった釜石市へ向かった。そこに「さわや書店」の店舗があったからだ。行って驚いたのは、棚にあるはずの本が、すっかりなくなっていたことだ。
津波で流れされたのか? しかし本だけが? 理由を訊いたスタッフたちは、深い感銘を受ける。地震が一段落して店を開いたとき、どっさり客がやって来て、1冊残らず本を買っていったというのだ。
生きるか死ぬかの非常時だからこそ、日常を取り戻してくれる本を手にしたい――人々は、そうおもったのではないか。また、街が根こそぎに破壊されたあと、慰安を与えてくれるような施設もメディアもない。しかし本はそれを与えてくれる。
僕は、このエピソードを読んだだけでも、『まちの本屋さん』を手にしてよかったとおもった。本屋は必要だ。しかも地域にしっかり根を張った本屋が。その存在は、地域の人々が集う文化的な広場の機能を果たす。
田口さんは、「さわや書店」での仕事を通して、これからの本屋の在り方を手探りしているが、繰り返し述べるのは、本屋は文化事業ではない、ということだ。本屋は本を売るのが商売だという。
ごく当然のことだが、これは、一つには、父親から受け継いだ本屋を廃業しなければならなかった彼の苦い経験が反映しているのだろう。そして、もう一つ、文化をつくるのは、本を手にした「お客様」だという考えがある。
本を売るだけでは、文化をつくることはできない。本を買って手にした人がそれを読んでこそ、文化は生まれる。本屋にとって、本は商品である。それを作品に変えるのは「お客様」なのだ。本屋は、文化をつくるきっかけになることができる。
近年の田口さんの試みで興味深いのは、本をつくる段階から関わったことだ。3・11の震災では多くの人が亡くなった。遺体は美しく生前の姿を保ったものばかりではない。傷ついた遺体も多い。
そういう遺体を遺族のために復元する仕事がある。「復元納棺師」だ。田口さんは、3・11の震災直後に岩手県の沿岸部に入り、300を超える遺体の復元を行った、復元納棺師と知り合いだった。
そして、その人物に本の執筆を依頼して、企画を大手の出版社へ持ち込んだ。発刊されたのが『おもかげ復元師』(ポプラ社)と『おもかげ復元師の震災絵日記』(同)だ。これをきっかけに、震災にまつわる本についての講演会を1ヵ月のあいだ毎週催した。
今でも震災関連書は店頭の郷土書コーナーで、どこよりも大きなスペースを割いて展開し続けています。本屋として震災に向き合い続けるのだという意思表示でもあります。
まちの本屋には、こんなこともできるのです。
田口さんの『まちの本屋』の定義は、
その地で本屋という商売を続けていくという覚悟
を持ち、
地域と向き合い、根づいている本屋
である。そして、町の本屋は出版業の最後に存在するのではなく、最前線に立っているという。
がんばれ、『まちの本屋』さん! 僕もみなさんが売りたくなるような、いい本を書きます!
お勧めの本:
『まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す』(田口幹人著/ポプラ社)