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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第10回 戦後沖縄空手界を支えた重鎮たち

ジャーナリスト
柳原滋雄

戦後沖縄空手界を支えた4人の巨星

 文献資料の乏しい空手の歴史にありながら、19世紀以降、著名な武人が集中して出生した時期がいくつか見受けられる。
 例えば、松村宗棍(1809年生まれ)、照屋規箴(同)、多和田真睦(1814年生まれ)を仮に第1グループと位置づければ、第2グループとして、親泊興寛(1827年生まれ)、安里安恒(1828年生まれ)、松茂良興作(1829年生まれ)、糸洲安恒(1831年生まれ)の一群が挙げられる。いずれも沖縄空手の草創期に名を連ねた武人にほかならない。
 さらに40年ほど時代をくだって第3グループといえる人びとに、屋部憲通(1866年生まれ)、富名腰義珍(1868年生まれ)、喜屋武朝徳(1869年生まれ)、花城長茂(同)、本部朝基(1870年生まれ)らがいる。
 さらに20年後の第4グループとして、知花朝信(1885年生まれ)、徳田安文(1886年生まれ)、許田重発(1887年生まれ)、宮城長順(1888年生まれ)、遠山寛賢(同)、大城朝恕(同)、摩文仁賢和(1889年生まれ)、城間真繁(1890年生まれ)、祖堅方範(1891年生まれ)といった人びとが挙げられる。
 その上で、戦後の沖縄空手界を支えたのは、20世紀初頭に生を受けたさらに20年ほど時代を下った第5グループともいうべき人々だったことを指摘しなければならない。

戦後の沖縄空手界をけん引牽引した重鎮の4人(1977年当時)。左から比嘉佑直(小林流)、長嶺将真(松林流)、上地完英(上地流)、八木明徳(剛柔流)

戦後の沖縄空手界をけん引牽引した重鎮の4人(1977年当時)。左から比嘉佑直(小林流)、長嶺将真(松林流)、上地完英(上地流)、八木明徳(剛柔流)

 具体的には、松林流を創設した長嶺将真(1907年生まれ)、小林流を開いた知花朝信の直弟子・比嘉佑直(1910年生まれ)、上地流開祖の二代目・上地完英(1911年生まれ)、剛柔流開祖・宮城長順の直弟子・八木明徳(1912年生まれ)の4人である。
 太平洋戦争で壊滅的な被害をうけた沖縄では、本土と同じく、戦後まもなくは生きることに精一杯で、空手修行をつづけられた人は一部であった。
 戦後の最初の空手組織「沖縄空手道連盟」が結成されたのは1956(昭和31)年で、長嶺将真道場において結成され、会長に知花朝信、副会長に長嶺を選んでスタートしたのが始まりだ。
 同組織は10年後の1967年に「全沖縄空手道連盟」に改編され、初代会長に長嶺が就任している。
 同じ年、本土では全日本空手道連盟の笹川良一新会長が誕生し、競技空手が推進された。ときを同じくして、大山倍達の創設したフルコンタクトルールの極真空手が本土で爆発的なブームに発展した。
 そんな中、沖縄空手界を根底から揺るがす事態が訪れる。

「空手の琉球処分」

 1981年、沖縄空手界は揺れに揺れた。
 空手競技が国民体育大会(国体)の正式種目となったものの、参加するには全日本空手道連盟に加盟しなければならない。だがこのとき、競技空手と一線を画する立場にいた沖縄だけが全空連に加盟していなかった。
 その結果、6年後に予定される沖縄海邦国体において、空手の本場である沖縄県の選手が国体に参加できないのはおかしいという意見と、沖縄の空手はあくまで試合にはなじまないものだから現状のままでよいとする意見とが激しくぶつかり合う事態となった。
 単純な話として、青少年が空手をつづけるためには、「試合」という目標は非常に有効だ。
 試合イコール競技といえるが、若年層の空手人口のすそ野を広くするには、競技を取り入れることはやむをえないという考え方と、競技を容認すれば沖縄空手は変質して別のものになってしまいかねないと強く危惧する考えが行線をたどることになった。
 結果として、この事態を収拾することになったのは、長嶺将真や比嘉佑直らの行動で、競技を認める「沖縄県空手道連盟」を新設し、伝統を固持すべきという立場の「全沖縄空手道連盟」と分裂する形となった。
 当時の「全沖縄」の会長は八木明徳で、上地流の上地完英もそちらに残る形となり、戦後の沖縄空手界を牽引してきた重鎮4人が分裂する形となった。
 その後10年近くをへて、4人は1990年に沖縄空手道懇話会が設立された際の呼びかけ人・世話人として肩を並べ、沖縄空手界は再統合へと向かう。
 懇話会の後継組織である「沖縄空手道連合会」などの呼びかけで、2008年には沖縄空手界を横断する組織として「沖縄伝統空手道振興会」も発足する。
 この1981年の事態を指して、空手界における「琉球処分」と評する人もいる。本土の全空連に、沖縄空手が統合される結果となったことを指摘するものだ。
 それでも、伝統を重視する人たちの中にも、競技化の流れによって空手がメジャー競技となり、世間に認知され、競技人口が増えたことを認める人は少なからずいる。
「競技」と「伝統」――。2つの流れをめぐり37年前には火花を散らしたが、ここに来て「競技」はオリンピック種目としての開花期を迎え、伝統空手側は、沖縄空手のユネスコ無形文化遺産登録をめざして運動を行う流れとなっている。
 今年(2018年)8月に空手会館や県立武道館をつかって開催される「第1回沖縄空手国際大会」の成功が、伝統空手側の試金石になると見られている。

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。