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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第9回 空手の淵源と流派

ジャーナリスト
柳原滋雄

福建省から伝わった武術

 かつての琉球王国および明治期以降の沖縄で生まれ育った武人は、名を残した著名な者から、無名のまま歴史のはざまに埋もれていった者まであまた存在すると思われる。
 空手の歴史研究は文献が極めて限られているため、学術的にはいまだ混沌とした分野に思える。それでも近年、さまざまな調査研究により、おぼろげな輪郭は浮かび上がってきた。
 例えば、琉球大学空手道研究会の初代会長を務め、卒業後は那覇市内の公立小学校に勤務しながら、休みを利用しては台湾や中国本土にしばしば出かけ、空手のルーツを研究してきた太極武道館の金城昭夫館長(きんじょう・あきお 1936-)は、大正期以前から存在した空手の型の名称のほとんどが、中国福建省の福州と泉州の地方言語であることを突きとめた。
 サンチン、セイエンチン、ナイハンチ、パッサイ、クーサンクーなど50ほどの古流の型はいずれも同様で、それはそのまま、これらの型をもたらしたのが琉球人ではなく、中国福建省出身の武術家であった可能性を示している。
 古来、琉球はその地理的な近さから、中国の中でも福建省との結びつきが極めて強かった。その地方言語が、いまの沖縄空手の型の名称に、なごりを残しているというわけだ。
 その結果、沖縄空手のルーツをめぐる金城氏の結論は、「古来より中国拳法が琉球(沖縄)に幾度となく伝来し、形成された」ものということになる。karatedensinroku
 金城氏の研究成果は、『空手伝真録(上)~源流型と伝来の謎を解く』(2005年)と『同(下)』(2008年、いずれもチャンプ社発行)につぶさに記されている。
 その中には、糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)が創作したとされる5つの平安(ピンアン)型の原型を教えたのは中国から漂着したチャンナンという武人であり、その人物は中国の太平天国の乱を指揮した武将の一人であるとの興味深い仮説なども含まれる。
 金城氏は24歳から130回にわたり台湾・中国訪問を行ってきたというが、同じ福建省といっても、200キロしか離れていない福州と泉州でも一昔前までは方言がまったく異なっており、言葉が通じないほどだったという。その金城氏によると、型の名称は、那覇手(剛柔流)は福州語が多く、首里手(小林流)は泉州語が多いといった地域的な違いも見られるようだ。
 それぞれの流派のルーツがうかがえる意味で、興味深い事柄に思える。

「首里手」「泊手」「那覇手」の時代から

 もともと流派の概念がなかった沖縄空手の源流は、19世紀に入り、地域的に「首里手(しゅりて)」「泊手(とまりて)」「那覇手(なはて)」の3つの流れに収斂されていったとされる。いずれも現在の那覇市内の地域にほかならないが、現在の流派とも密接につながるものだ。
「首里手」は首里城近辺で役人を主体として広まった空手で、歴史は古い。歴史上に名を残している人物としては、松村宗棍(まつむら そうこん 1809-1899)やその師匠であった佐久川寛賀が有名だ。
 首里手はいまの沖縄しょうりん流(小林流など)の流れであり、本土では松濤館、和道流などの系統にあたる。
「泊手」は、泊港から崇元寺周辺の泊地域で発達した系統で、首里手に似通っていながらも、独自の型を保持する流派だ。松茂良興作(まつもら こうさく 1829-1898)が中興の祖として有名で、松茂良は伝説の空手家・本部朝基(もとぶ ちょうき 1870-1944)の師匠としても知られている。現在、泊手の流れをくむのは、松林流、少林・少林寺流、剛泊会などの流派だ。
「那覇手」は那覇港周辺で定着した流派で、現在の沖縄剛柔流、本土の剛柔流、さらに上地流などの系列に当たる。東恩納寛量(ひがおんな かんりょう 1853-1915)が名を残しており、その弟子である宮城長順(みやぎ ちょうじゅん 1888-1953)が日本空手初の流派である剛柔流を開いた。

自宅で取材に応じる金城昭夫氏(2018年4月)

自宅で取材に応じる金城昭夫氏(2018年4月)

 また上地流は、上地完文(うえち かんぶん 1877-1948)が開いた流派である。
 戦後の沖縄空手界においては、「小林流」「松林流」「剛柔流」「上地流」が4大流派とされた時期があったが、現在は小林・松林をまとめて「しょうりん流」と括り、3大流派として数えることが多いようだ。
 ただはっきりいえることは、首里手の松村宗棍、那覇手の東恩納寛量、宮城長順、上地完文はいずれも中国本土への渡航経験があり、そこで本場の武術に接し、それを取り入れて帰琉した経験をもつことだ。
 松村は琉球政府の高官として「官」の立場での留学であり、その他は民間人としての渡航という立場の違いはあったものの、空手の源流が中国にあることは、型名称のなごりを含めても疑いようがない。
 その意味で、冒頭の金城氏が「(現代)空手の歴史は思っているほど古いわけではありません。200年程度の歴史です」と述べるのもうなずける。
 長年の歴史的経緯から沖縄では好意的に「唐手」と称した時代が比較的長くあったが、日清戦争に勝利した日本で昭和期に入って世論が〝反中〟に傾くと、中国を意味する「唐」の字を嫌がる人が増え、「空」の字に変えられたのは既述のとおりである。
 空手の礎をもたらした恩人は、間違いなく、日中の関わり合いの中に存在する。

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。