連載エッセー「本の楽園」 第49回 アジア主義は再生するか

村上政彦

現在は、どのような時代か? ポスト・モダンといわれた時代は、とうに過ぎた。ある高名な批評家に質問したら、ポスト・ポスト・モダンと笑った。呼び名は誰かに任せよう。僕は、モダンを「文明の篩(ふるい)」にかけて、使えるものと使えないものを仕分けし、新しいモダニティーをつくる時代がきているとおもう。
そこで「文明の篩」に残るものを考えてみたい。リストの上位にくるのは、「アジア主義」である。アジア主義とは何か? アジア主義にとって重要な思想家・竹内好(よしみ)は、定義は難しいとしながら、「比較的私の考えに近いもの」として、ある事典を引いて、こう示して見せる。

 欧米列強のアジア侵略に抵抗するために、アジア諸民族は日本を盟主として団結せよ、という主張。(後略)(『アジア歴史事典』平凡社)

僕は1980年代のなかばから、竹内の著作を読むようになって、自分の文学とアジア主義について考えてきた。その結果として、やがてアジアを主題にした小説を書くようになったのだが、アジア主義そのものは、時代遅れの意匠として、ほとんど顧みられることはなかった。
誰かアジア主義をアップデートしてくれる者はいないか。近年になって、ぽつりぽつりと真摯にアジア主義と向き合う人が現われてきた。そのうちの1人が中島岳志だ。『アジア主義 近代のその先へ』は、彼が示して見せたアジア主義を再生するすぐれた取り組みだ。
中島は、

 湖に浮かべたボートをこぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく。

というヴァレリーの箴言を引いて、アジア主義を再生するためには、まず、歴史を踏まえる必要があるという。そこで西郷隆盛の征韓論に始まり、日本のアジア主義の源流のひとつである玄洋社の頭山満、彼の志を引き継いだ黒龍社の内田良平などの動向をたどっていく。
それは明治から昭和にかけての近代の日本が、日清戦争を戦い、韓国を併合し、満洲国を建国した侵略の歴史と重なる。彼らアジア主義者は、初発の志としてアジアとの連帯を掲げていたのだが、結果としてリアルポリティクスに呑み込まれていった。このあたりの記述は、歴史的な読み物としておもしろいし、読み応えがある。
さて、アジア主義の初発の志が果たされなかったのは、なぜか? アジア主義は心情と思想が分離していた、というのが、竹内の見立てだ。
竹内によれば、アジア主義には3種類の側面がある。①政略としてのアジア主義。これはおもにリアルポリティクスの側が採用した。連帯を装っての侵略だ。②抵抗としてのアジア主義。これは宮崎滔天などに代表される、素朴にアジアとの連帯を志す動向。③思想としてのアジア主義。これを代表するのは、岡倉天心、柳宋悦、大川周明など。
政略としてのアジア主義は論外なので、議論に値するのは、抵抗としてのアジア主義と思想としてのアジア主義だ。前者は積極的な行動を伴っていて、たとえば宮崎滔天は果敢に中国革命へと関わっていく。
しかし彼には、岡倉などの思想としてのアジア主義が携えているような、思想的な構えはなかった。現実に抗うための思想の軸がなければ、素朴な連帯の志は、冷徹なリアルポリティクスの力にねじ伏せられるしかない。結局、滔天は運動から脱落していく。
一方、思想としてのアジア主義を代表する岡倉、柳らは、思想はあってもダイナミックな行動が伴わない。現実を変えるには、行動が必要なのはいうまでもない。

 滔天は天心と出あわなかった。

というのが竹内の見立てだ。中島によるアジア主義を再生するためのプログラムは、まず、思想としてのアジア主義を立て直そうというものだ。彼は岡倉、柳、大川らの思想を綿密に検討し、「多一論」を見出す。
岡倉は「アジアは一つ」といったが、多一論とは、「バラバラでいっしょ」であり、「いっしょでバラバラ」という思想だ。

 二でありながら一であり、一でありながら二である関係。多と一が絶対矛盾しながら同一化する関係。「多なるもの」は「一なるもの」に還元され、「一なるもの」は「多なるもの」として現われる。世界は多元的であるがゆえに一つである。

中島は、アジアには、もともと多一論の伝統があり、思想としてのアジア主義にもその内実があると見る。そこへ回帰することが急務なのだ。
ちなみに、アジア主義が政略としてのアジア主義に傾いていった事情について、僕は当時の日本が西洋文明を輸入したとき、それに付随しているオリエンタリズムまで受け取ってしまったことに一因があるとおもう。
グローバリズムが広がるなか、アジア主義は極めてアクチュアルな主題だ。僕は、新しいアジア主義者を標榜する中島武志の、これからの活動に注目したいし、大いに刺激を受けたい。

お勧めの本:
『日本とアジア』(竹内好/ちくま文庫)
『アジア主義 近代のその先へ』(中島岳志/潮出版社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。