ホロコーストの真実をめぐる闘い――書評『否定と肯定』

ライター
本房 歩

法廷闘争のリアルな記録

 本書(『否定と肯定』)を原作とした同名の映画が、日本でも2017年12月から封切られた。その公開に合わせて同年11月に刊行された邦訳だ。
 ナチスによるホロコースト(大量虐殺)があったことを、はたして司法の場で証明できるか。本書は、実際にイギリスでおこなわれた1779日におよぶ法廷闘争のノンフィクションである。
 著者であるデボラ・E・リップシュタットはユダヤ人女性。父親はドイツが第三帝国となる前にアメリカに亡命し、母はカナダ生まれ。
 彼女は、ニューヨークのマンハッタンで育った。現在はジョージア州にあるエモリー大学で、現代ユダヤ史とホロコースト学を教える教授だ。
 ことの発端は、彼女がエモリー大学で教壇に立って間もない1993年に『ホロコーストの真実』と題する著書を出版したことだった。
 もともと、彼女は〝ホロコースト否定論〟に強い関心があったわけではない。そんなものは論ずるまでもない戯言だと思っていた。
 だが、実際にリサーチを進めると、否定論者に対する彼女の見方が変わっていく。否定論者たちがいかに悪辣で巧妙なカムフラージュを施しているかを知ったのである。
 そうして、彼らを論破した一つの決着点として出したのが、先述の『ホロコーストの真実』だった。
 もはや、議論の余地もなく決着はついたと思っていた。

予期せぬ名誉棄損訴訟

 ところが95年秋、イギリスの版元から速達が届く。イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングが、彼女とイギリスでの版元を相手取って名誉棄損の損害賠償請求を起こしたというのだ。
 アーヴィングは、もともとは単なる否定説支持者の1人だったが、91年に出した『ヒトラーの戦争』新版あたりから、明確にホロコーストそのものを否定するようになっていた。
 それで彼女は『ホロコーストの真実』のなかで、他の否定論者と共にアーヴィングの名を挙げ、わずかな紙幅を割いてその言説を批判したのだった。
 アメリカでこの訴訟が起こされていれば、一笑に付して終わるところだ。原告側が名誉棄損の真実性を、すなわちアーヴィングの側が〝ホロコーストは存在しなかった〟ということを証明しなければならないからだ。
 だが当時のイギリス司法では逆だった。被告とされた側に立証責任があったのだ。
 馬鹿げた裁判を無視しても、和解への調停に応じても、それは原告であるアーヴィングの主張を圧倒的に有利にしてしまう。
 彼女に残された選択は、外国での長い法廷闘争を受けて立ち、なおかつ完膚なきまでに勝利するほかないという険しい道だった。
 ここからの推移を、被告とされたリップシュタット自身が詳細に綴ったのが本書なのである。

理性を駆使して追い詰める

 繰り返しての渡航費と滞在費など、外国での長い法廷闘争には莫大な費用がかかる。なにより、勝つためには最優秀の弁護士チームをつくる必要があったし、法廷で証言する学識者たちも必要だった。
 しかも、そこに時間を費やされる間、彼女は大学での仕事を休まざるを得ない。
 アーヴィングはそれら難題を見越して、意図的にイギリスで訴訟を起こしたのである。
 何が起きたのかを理解したアメリカのユダヤ人社会からは、次々に支援の手が差し伸べられた。最優秀の弁護士たちもそろった。大学も最大限のサポートを敷いた。
 ただし、弁護団は勝つためにある法廷戦術を選択する。それはアーヴィングに裁判の焦点をそらさせないため、判決が下るまで、法廷のなかでも、法廷の外でマスコミに対しても、被告のリップシュタットが沈黙を守るということだった。
 マスコミは予想以上にアーヴィングの訴訟に注目しつつあった。法廷ではアーヴィングが聞くに堪えない言葉で彼女を愚弄し、ホロコーストの犠牲者や生存者を冒涜した。
 リップシュタットは、苦しい不本意な沈黙を守りとおしながら、だからこそ詳細に記録を取り続けた。本書には、法廷での原告の服装の詳細から裁判官の一挙手一投足まで、それこそ「活写」という言葉がふさわしいまでに描かれている。
 最後に本書のなかから、リップシュタットの一貫した強い信念を表明した部分を紹介しておこう。
 今回、彼女は図らずも被告として法廷に臨んだわけだが、彼女自身は人々から「否定論者を告訴したい」という相談を受けても、思いとどまるように諭し続けてきた。

 否定論者を黙らせたいなら、法律という鈍器で殴りつけるのではなく、理性を駆使して追いつめていくべきだ。わたしの目に映る法廷とは、原告・被告の双方に物証や厳然たる事実といった強力な証拠を提出させ、陪審や判事を徹底的に納得させるという方法をとることによって、正義を行う場所である。