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連載エッセー「本の楽園」 第41回 なつかしい時間

作家
村上政彦

 先日、都内で開かれた、ある文学者の会に参加した。ちょっと風邪を引いていたのだが、これは僕が事務方を担っているので休むわけにいかない。その日は、もうひとつ別の文学者の会があって、これも僕が中核のメンバーの1人なので出ないわけにいかない。
 それは、まあ、いい。少しくらいの風邪なら、社会人はみんな無理して働いている。もっともこういうとき、無理をしないのが、僕のポリシーなのだが、仕方がない。物書きも社会人の1人だ。ただ、問題なのは、会から会までに2時間程の時間があることだ。
 女性ならウインドーショッピングをする。映画好きなら映画を観る。どちらでもない僕は、さて、どうしたでしょう?

 答えは、読書である。たまに、こういう隙間の時間ができるので、僕はそういうときのための本を用意している。読みたいのを我慢して、わざと寝かせてあるのだ。2時間あれば、新書なら1冊読むことができる。
 この日は2冊の本を持って家を出た。1冊は車中で読むための本。こちらは実用書なので、このコラムでは書かない。取り上げるのは、もう1冊の新書だ。
 僕は、ある文学者の会を終えて電車に乗り、次の会が開かれる最寄りの駅で降りた。近くにいいカフェがあるのを知っていたので、そこへ入る。コーヒーを注文して、外の風景が見える窓際の席へ坐った。
 ようやく本を開く。詩人・長田弘の『なつかしい時間』。

 僕が読書をするときには、たいてい片手に付箋を持っている。書評など、仕事のための読書では、そうしないと、大切な文章を取り逃がしてしまう。しかし、このときは純粋な愉しみとしての読書なので、付箋はない。なんという贅沢。ただただ、読むための読書ができるなんて。
 こういうときの読書にいちばん適しているのは、僕にとっては長田弘だ。それもエッセーである。彼の文章は、分かりやすい言い方をすると、しみじみしている。詩は、その言葉を受け取るのにそれなりの労力を要するが、エッセーの場合は、「しみじみ」を味わいながら、詩よりもわりと緩く読める。この「緩さ」もポイントだ。
 緩く、しみじみ――これがいいのだ。

『なつかしい時間』は、NHKの「視点・論点」という番組で、詩人が17年にわたって語ったエッセーが収められている。取り上げられる話題は、言葉、本、人、風景、時間、故郷など、広く私たちの世界を見渡せるようになっている。
 20世紀末から21世紀初めまで、世紀をまたいで、詩人は、私たちの時代、社会の在り方を見つめ、やわらかに批判する。いや、批判という言い方は適切でないかもしれない。たしなめる、といったほうがいいか。僕らは、静かに頭を垂れ、詩人の言葉に聴き入ってしまう。
 しかし、やはり、長田弘の文章がいいのは、本に触れたところだ。このコラムを書くための再読で付箋を貼った箇所を、任意に引いてみる。

 本は読まなくても困らないし、読んでわからなくてもかまわない。読書の原点になるのは、自分の日常のなかに、とにかく一冊の本がある、なければ置く、ということであり、ともかくそこに本があるというところから、読書という経験ははじまります。

 本を開くということは、心を閉ざすのではなく、心を開くということです。

 読書というのは、振り子です。たとえ古い本であっても、過去に、過ぎた時代のほうに深く振れたぶんだけ、未来に深く振れてゆくのが、読書のちからです。

 人というのは、生きている本だと思うのです。ですから、死んだ人間は、誰もが『一冊の本』をのこして死んでいく。

 死者と語らうというのは、死者ののこしていったその本を、一人読むことだと思うのです。

 冴えている。これだけ読むだけでも、本を手に取ることで、どれだけ自分の生きている世界が広がるか、深くなるかが分かる。
 僕がもっとも心に残ったエッセーは、「一冊の本の話」だ。詩人が子供のころに『王さまの歎き』という童話を読んだ。作者は作家の宇野浩二。王様がフェルドウジというえらい学者に、その国の歴史を書いてほしいと依頼し、17年かけて完成する物語。
 長田は、のちにハイネの詩「詩人フィルドージ」で、この学者と再会する。宇野の童話は、ハイネの詩を物語に仕立て直したものだった。そして、ハイネの詩は、詩人フィルドゥースィーの逸話を伝えた、ペルシアのアルーズィーの『ペルシア詩人伝』を詩に書き改めたものだった。
『王様の歎き』のフェルドウジは、10世紀から11世紀に生きたペルシアの詩人、歴史家フェルドゥースィーのことだったのだ。彼の著作は『王書』といい、いまは日本語でも読めるらしい。長田は、このエッセーで述べる。

 一冊の本が人のなかにのこすのは、リンク、つながりです。一冊の本から一冊の本へ、一つの言葉からもう一つの言葉へ、ときには国境を超えて、リンク、つながりを生む本があります。」「お話ししたかったのは、人の心を棲まわせる、そのような一冊の本の話です。

 いやー、やっぱり、冴えてますね。僕も、そんな本が書きたいと思った。長田弘の文章を読む最大の功徳は、本を読むのが愉しいと思えて、もっと本を手に取りたくなることだ。僕の本棚には、まだ、長田弘の全詩集が寝かせてある。いつ、これを読もうか。

お勧めの本:
『なつかしい時間』(長田弘/岩波新書)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。