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連載エッセー「本の楽園」 第40回 カズオ・イシグロの世界

作家
村上政彦

 10月はノーベル賞が発表になるので、この数年、日本のメディアはにぎやかになる。村上春樹が文学賞を受賞するかどうか――僕の知っている著名な批評家は、何年か続けて発表の当日、某放送局で罐詰になっていた。受賞となったらコメントするためだ(今年は誰がその役を担ったのだろう。ご苦労様である)。
 そのとき、僕の家では夕食のテーブルを囲んでいた。高校生の娘がふとスマホを見て、「お父さん、カズオ・イシグロって知ってる?」と訊く。ああ、いい作家だよ、と応えたら、ノーベル文学賞らしいよ、という。
 そうか。今年の受賞者はイシグロか。

 カズオ・イシグロは、日系イギリス人の作家だ。1954年、長崎県に生まれた。5歳で家族そろってイギリスに移住する。本人はいつか日本へ帰るのだとおもっていたらしいが、結局そのままになった。
 82年、処女長編の『女たちの遠い夏』を発表する。ついで『浮世絵の画家』を刊行。いずれも日本を舞台にした小説で、彼の記憶にある祖国を描いた作品だった。3作目で日本を離れ、イギリスを舞台にした作品を書く。『日の名残り』だ。
 これが89年のブッカー賞を受けた。ブッカー賞は、イギリスでもっとも名高い文学賞だ。日本なら芥川賞に当たるだろうか。いや、国際的な評価を考慮すると、ブッカー賞のほうが格上かも知れない。
 僕は本好きの娘に、うちの本棚にある彼の本を教えてやった。まず、読むべきは、『日の名残り』である。僕がこの小説を読んだのは、いまから30年近く前のことだった。文芸誌の新人賞をもらって、小説家としてデビューし、どうやって小説を書いていけばいいのか模索していた時期だ。
 僕より少し早く作家としてのキャリアを開始し、欧米の読書界で読まれている作家とあって、いい刺激になった。

『日の名残り』の語り手は、老執事の「私」。勤める屋敷は2世紀にわたるダーリントン家の所有が終わり、アメリカ人のファラディの手に渡った。私は往事と比べて遥かに少ない数の召使たちで屋敷を運営していたが、仕事に限界を感じる。
 そこへ主のファラディから、自分がアメリカへ戻っているあいだ、フォードを貸すから旅行をしたらいい、といわれ、元同僚のミス・ケントンの手紙のことを考えた。彼女は、ダーリントンハウスに戻りたがっているようだった。
 1956年7月、私は、主の勧めにしたがって息抜きの旅行を兼ね、屋敷の円滑な運営を図るため、ダーリントンハウスを出発した――。

 物語は、一週間ほどの私の一人旅が時間軸に沿って語られていく。語調が丁寧な「ですます」体なので、いかにも執事らしい趣きが醸成されているが、これは訳者の手柄といっていいだろう。
 私の旅は、二重の意味で旅である。ひとつは、名車を駆ってイギリスを巡る、文字通りの旅。僕らは、主人公を通じて当地の美しい風物を眼にする。また、イギリスならではの人や出来事を知る。
 もうひとつは、主人公が過去を探り、自分と出会う旅。私は、これまでの執事としての生活を回想する。老いてなお召使として励んだ父のこと。同僚のミス・ケントンのこと。時としてユーモアをまじえながら、作者は淡々と物語を編んでいく。その手付きは精緻である。
 旅の重要な目的は、屋敷の円滑な運営を図るためにミス・ケントンを訪ねることだが、私は、わざと彼女への本心を意識下に押し込めている。
 私とミス・ケントンは、同僚として屋敷を守ってきた。だから、彼女が誰に結婚を申し込まれようが、誰と結婚しようが、私には関係がないはずだった……そう。旅の重要な目的の一つは、私とミス・ケントンの関係に結論を出すことだ。

 この小説は、イギリスとは何かを問う小説でもあり、ファシズム(ナチズム)の研究でもある。
 結末近く、物語のピークが訪れる。それは第二次世界大戦中にダーリントンハウスで行われた、イギリスとドイツの首脳の、非公式の会議だ。偉大な執事とはどのようなものかを探求する私は、このとき身の上に起きた重大事を放棄し、執事としてふるまったことに大きな勝利感を得た。このような自己放棄の快楽は、ファシズムの快楽に通じるものではないだろうか。
 私とミス・ケントンの再会については触れないでおこう。イシグロのノーベル文学賞受賞を受けて、日本の出版社は彼の著作を増刷するそうだから、ここから先は、実際に読んでもらいたい。
 この作品は、30年近く前に書かれたものだが、古びてはいない。ノーベル賞委員会は、いい選択をした。

お勧めの本:
『日の名残り』(カズオ・イシグロ/土屋政雄訳/早川書房)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。