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注目される沖縄伝統空手(中)――沖縄の空手家・長嶺将真とその時代

ジャーナリスト
柳原滋雄

本土空手の風潮に警鐘を鳴らす

 沖縄県議会で「空手の日」が制定されたのは稲嶺知事時代の2005年3月のことだった。「唐手」と称されていた武術が、琉球新報社主催の空手家長老たちによる紙面座談会で「空手」にしようと決まったとされる1936(昭和11)年10月25日にちなみ、その日を「空手の日」と制定。これまで記念行事を行ってきた。
 2016年10月の記念演武祭では、那覇市内最大の繁華街である「国際通り」を使って、一斉に何人で型演武が可能かとのギネス記録に挑戦し、3973人で達成したと認定された。
 このとき演武の対象となったのが「普及型Ⅰ」と呼ばれる簡易な型で、1941年に松林流創始者の長嶺将真(ながみね・しょうしん、1907~1997)が考案し、宮城長順(剛柔流創始者)が創作した「普及型Ⅱ」とともに現在も広く県内で使われている。

長嶺将真が著した『沖縄の空手道』

長嶺将真が著した『沖縄の空手道』

 その長嶺が67歳のときに出版した『史実と伝統を守る 沖縄の空手道』(75年、新人物往来社)は、いまも空手に関する記事や文献においてしばしば引用される貴重な資料だ。
 長嶺は40代半ばまで警察官として勤務し、自主退職後、戦後まもない時期にもかかわらず、那覇市中心部に100畳ほどの本格的な空手道場を建設、生涯かけて空手普及に尽力した人物。1961年には「沖縄空手道連盟」会長に就任し、以後4期連続で会長職を務めるなど、戦後の沖縄空手界を牽引した人物の一人として知られる。
 その長嶺が400ページ近い上記の単行本を上梓した75年といえば、日本本土では大山倍達(ますたつ)が設立した極真会館によるオープントーナメント全日本大会が定着。劇画「空手バカ一代」の少年雑誌への連載やテレビアニメが開始され、喧嘩に強くなりたい10~20代の若者を中心にフルコンタクト空手が席捲、全盛期を迎えていた。
 さらに60年代からすでに「寸止め」による組手試合も盛んになっており、こうした競技優先の風潮に、沖縄空手界の重鎮として長嶺が抱いた深い危惧は、この著作に目を通せば一目瞭然だ。例えば、まえがきには次のように記されている。

 正道をそれている現在の空手道の方向を正して、史実と伝統をあやまりなく後世に伝えなければならない。

 さらに、

 純武道として生まれた沖縄の空手を、スポーツ化して試合空手に育てたのは外ならぬ日本本土の先生方である。

と述べ、本土の空手を「見せる空手」「ショー的空手」と表現し、

 競技としての組手ではなく、真剣勝負としての組手を十分に研究しなければ、武術としての空手道は生まれない。

と危機感をあらわにした。

『沖縄の空手道』では、平安(ピンアン)、ナイハンチからチントウ、公相君(クーサンクー)まで松林流に現存する18種類の型すべてが長嶺自身の演武写真(連続)とともに解説されている。それは「現代の風潮を見るにつけても、後世の『形』の乱れが杞憂されて、ここに残すべきものを痛感した次第」と本人があとがきに残したとおり、正しい型を保存したいとの趣旨だ。空手界の先人の遺訓なども収録され、この書籍は、その後英訳刊行され、世界の空手愛好家たちのバイブルとなった。
 もともと松林流は、「首里手(しゅりて)」「泊手(とまりて)」「那覇手(なはて)」の3種類の沖縄流派のうち、「泊手」の影響を強く受ける流派で、北米・南米を中心に海外にも130道場を擁する。

「空手は競技化になじまない」と考えた長嶺

 長嶺将真に直接薫陶を受けた世代である世界松林流空手道連盟会長の平良慶孝(たいら・よしたか)さん(74)は、長嶺の本を流派の型を網羅的に解説・掲載したという意味では「戦後の沖縄で最初に発行された本です」と振り返る。戦前には写真と挿絵で型を解説した『空手道大観』(仲宗根源和編、1938年)という大部の書籍があったが、戦後はこの長嶺本が嚆矢(こうし)と説明する。

 長嶺先生は自由組手そのものを否定していたわけではありません。組手をしないと、間合いや立ち合いの仕方はわかりませんから。しかし、奨励はしないというスタンスでした。(平良会長)

 また、同じく長嶺の直弟子の一人である同連盟副会長の新垣敏光(あらかき・としみつ)さん(74)もこう語る。

 長嶺先生が言われるには、昔の沖縄空手にはルールはなかったんだと。空手の勝負は競技などではけっして決められない。本来、生きるか死ぬかのものであり、空手の発祥そのものの考え方なんですね。必然的に、フルコンルールの試合も、寸止めルールの試合も、競技のための空手には批判的な立場でした。

 さらに平良会長はこう述べる。

 オリンピックも競技である以上、伝統空手との違いは当然あります。スポーツ空手が盛んになったとしても、これまで(沖縄で)続いてきた伝統空手が失われることはないと思います。

 ルールがないと成立しない競技(スポーツ)の世界と、死に結びつきかねない真剣勝負の世界はやはり次元の異なるものだ。古来沖縄の武術家の間では「かけだめし」と称して路上での手合わせが行われた。だが、無用な事故や大怪我を避け、競技を成立させるには、ルールをつくることはやむをえない。また、公式競技というわかりやすい形がなければ、武術が大衆に根づくこともありえない。一方、競技化されることで、武術そのものが変質してしまう危険性も生まれる。
 競技と伝統――。今も本質的なジレンマを抱えたままだ。


「注目される沖縄伝統空手」シリーズ:
注目される沖縄伝統空手(上)――「空手」は沖縄発祥の武術
注目される沖縄伝統空手(中)――沖縄の空手家・長嶺将真とその時代
注目される沖縄伝統空手(下)――世界から沖縄に集まる空手愛好家たち


やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。