banksy

連載エッセー「本の楽園」 第34回 バンクシーとは何か?

作家
村上政彦

 いつのことだったか、あるアーティストがパレスチナの分離壁に絵を描いた、とニュースで知った。壁に描かれた切り取り線と鋏には、政治的なメッセージが込められているように見える。
 へー、なかなかおもしろいじゃないか――僕は、バンクシーという、グラフィティ・アーティストとして活躍する覆面作家を、気になるもののリストに登録した。それからときどきメディアがバンクシーを取り上げると、犬が音のするほうへぴくっと耳を動かすように、彼の動向に注意をはらうようになった。

『Wall and piece』は、バンクシーの作品集だ。帯に「謎に包まれたグラフィティ・アーティスト」とあるように、バンクシーは、イギリス・ブリストル生まれの男性としか分からない。顔も年齢も不明。ほぼ匿名の存在である。
 この作品集の冒頭には、バンクシーのステートメントとおもわれる一文がある。

 街をマジに汚しているのは、ビルやバスに巨大なスローガンをなぐり書きして、僕らにそこの製品を買わないかぎりダメ人間だと思い込ませようとする企業のほうだ。やつらは、ところ構わず平気で僕らにメッセージを浴びせるくせに、僕らが反論することは決して許さない。やつらがケンカを売ってきたから、反撃の武器に壁を選んだのさ。
 世の中をもっとよくしたくて警官になるやつもいれば、世の中をもっとかっこよく見せたくて破壊者(ヴァンダル)になるやつもいるんだ。

 うーん、正統派のグラフィティ・アーティストだ。ストリートの壁に現われるグラフィティは、抵抗のアートという側面を持つ。アートを美術館という制度のなかへ封じ込めようとすることへの抵抗。そして、そういう制度の側にある勢力への抵抗。
 ただ、バンクシーは、作品が単なる政治的なメッセージに還元されてしまわないように、政治とは適度な距離を保っているようにおもえる。作品には、いつもユーモアを添え、自分がグラフィティ・アーティストであることを忘れない。
 たとえば、農場に放たれた牛や豚に描かれた文字や絵は、これを描いているバンクシーの姿を想像するだけで愉快になる。

 もし君が地下鉄もない街で育ったなら、何か別のモノに描かなければならない。でも、農家は散弾銃を持ってたりするから、描くのは思うほど簡単じゃない。

 また、ストリートへ解放されたアートが、有名になることで特権化され、高値で取り引きされて美術館へ封じ込められる逆説への抵抗も試みる。有名な美術館やギャラリーに、自分が描いたパロディ作品を持ち込んで密かに展示するのだ。
 このとき、美術館やギャラリーがストリートとなる。ルーブル美術館に展示された「モナリザ」のパロディ(顔がスマイルマークになっている)は秀逸だ。

 僕が幼いころ、姉さんが僕の絵をごっそり捨ててしまったので、どこにやったのかと尋ねたら、肩をすくめて言った。「ルーブルに展示されるはずもない代物だし」。

『バンクシー・イン・ニューヨーク』は、バンクシーがニューヨークで1ヵ月のあいだ活動した記録だ。
 2013年10月、ほぼ毎日、ニューヨークの街中にバンクシーの作品が現われ、それがSNSを通じて拡散される。グラフィティはもちろん、インスタレーション、パフォーマンスなど、さまざまな手法を駆使して、バンクシーはこの大都市をひっかきまわした。
 メディアは騒ぎ、人々はバンクシーを追い求め、画商は彼の作品で一儲けしようと画策する。その結果、何が起きたか――。

 バンクシーの〝レジデンシー〟のおかげで、多くのニューヨーカーが自分の街や自分の観察眼、芸術作品の楽しみ方、そして何よりも驚くべきことに、そこに住んでいる人間を再び捉え直すことができた。

 バンクシーの活動によって世界が活性化される。たぶん彼は何よりも退屈が嫌いだろう。おかげで僕らも愉しませてもらえる。

お勧めの本:
『Wall and piece』(バンクシー著/廣渡太郎訳/パルコ)
『バンクシー・イン・ニューヨーク』(レイ・モック著/毛利嘉孝・鈴木沓子訳/パルコ)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。