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連載エッセー「本の楽園」 第31回 柄谷行人と憲法九条を考える

作家
村上政彦

 もう20年ほどになるだろうか。日本と韓国の作家のシンポジウムが韓国で催された。日本側の団長的な立場を担ったのが、柄谷行人さんだった。僕はこのときに初めて柄谷さんと会った。
 もちろん高名な批評家なのだから知ってはいたし、著作も読んでいた。ただ、生の柄谷さんと接したことはなかった。だから、少しばかり緊張していた。
 親しい編集者から聴いた逸話だが、柄谷さんは結婚していたとき、奥さんと揉めると、俺の頭をこんなことに使わせるのは、世界史の損失だというようなことをいったらしい。そんなテンションで、ものを考える人は、僕の身近にいなかった。
 成田だか、羽田だか、とにかく空港に集合した。ところが時間になっても柄谷さんが来ない。同行の編集者が電話をしたら家にいた。シンポジウムに出発する日が何日かは分かっていた。今日が何日であるかも分かっていた。しかしふたつが結びつかなかったという。   
 柄谷さんほどの頭脳の持ち主なら、そういうこともあるかと納得した。

 韓国に着いて、その日は歓迎宴だけで、翌日がシンポジウムだった。僕はユーモアをまじえて、何度か発言した。意外なことに柄谷さんは、僕のユーモアにそのつど反応してくれた。これは吉本の笑いの文化で育ったものにとって、文学的な発言が注目されるよりもうれしかった。
 シンポジウムを終えて、参加者はカラオケに流れた。韓国側の参加者は、軍隊で飲む「バクダン」という強烈なカクテルをつくって、日本側の参加者にふるまった。僕はアルコールがだめなので、まっさきに小柳ルミ子の『お久し振りね』を歌った。
 柄谷さんは、ずっと機嫌良く、よく飲み、よく話し、最後には率先してステージに上がり、日韓の参加者を招き上げて、みなで肩を組んでの大合唱になった。それはけっこう感動的な光景だった。
 この数日で、僕は柄谷行人という人が好きになった。とにかく話がおもしろい。刺激的で発見がある。一緒にいると、自分も頭が良くなった気がする。なかなか、こんな人はいない。
 宿舎になったホテルでチェックアウトをするとき、僕は年上の文学者とのつきあいはないが、柄谷さんとは友人になりたいというと、ある文壇バーの名前を挙げて、ここに来ればいつでも会えるよ、といった。
 僕は、その文壇バーは知っているが、アルコールがだめなので、ひとりで行くことはなかった。だから、柄谷さんとも、それ以来会っていない。しかし、著作は折りに触れて読んできた。

 今回、取り上げるのは、そのなかの1冊である。『憲法の無意識』は、おもに日本国憲法の九条について論じた講演をまとめた本だ。僕は、この本を読みながら、韓国の酒場で、柄谷さんの話に耳を傾けていたときのことを思い出していた。まず、おもしろい。
 九条は、日本国憲法の肝といえる箇所だが、これは、占領軍によって強制されたものだ。この事実は、改憲論者にとっての攻め所で、だから、自主憲法を制定しようという議論になる。
 ところが、柄谷さんは、これを逆手にとって、後期フロイトを引用し、強制されたことによって、九条は日本社会の無意識になった、だから、これまで改められることがなかった、と指摘するのだ。いままで、こんな洞察をした人はいない。

 人は通常、倫理的な欲求が最初にあり、欲動の情念がその結果として生まれると考えがちである。しかしそれでは、倫理性の由来が不明なままである。実際にはその反対に進行するように思われる。最初の欲動の断念は、外部の力によって強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである。(「マゾヒズムの経済論的問題」『フロイト全集18』岩波書店)

 柄谷さんは、後期フロイトのこのくだりを、こう解説する。

 フロイトのこの見方は、憲法九条が外部の力、すなわち、占領軍の指令によって生まれたにもかかわらず、日本人の無意識に深く定着した過程を見事に説明するものです。先ず外部の力による戦争(攻撃性)の断念があり、それが良心(超自我)を生みだし、さらに、それが戦争の断念をいっそう求めることになったのです。(「Ⅰ 憲法の意識から無意識へ」『憲法の無意識』

 さらに、続けて、こう述べる。

 憲法九条は、日本人の集団的な自我であり、『文化』です。子供は親の背中を見て育つといいますが、文化もそのようなものです。つまり、それは家庭や学校、メディアその他で直接に、正面から伝達されるようなものでなく、いつのまにか知らぬ間に(背中から)伝えられるのです。だから、それは世代の差を超えて伝わる。それは、意識的に伝えることができないのと同様に、意識的に取り除くこともできません。(同)

 柄谷さんの著作は、かなり難しいものも多いのだが、これは講演を整理した新書なので、読みやすく、分かりやすい。続けて、徳川体制に九条の先行形態を見出し、「自然の狡知」によって九条にカントの平和の理念が定着していることが述べられ、混沌とした現在の国際情勢において九条を実行する意味などが考察される。
 そして、九条は非現実的だといわれるが――。

 最もリアリスティックなやり方は、憲法九条を掲げ、かつ、それを実行しようとすることです。九条を実行することは、おそらく日本人ができる唯一の普遍的かつ『強力』な行為です。(あとがき『憲法の無意識』)

 本書の帯には、柄谷さんの近影らしい写真がある。あのときから見ると歳を取られたが、発言は、あいかわらず刺激的で発見がある。何より、言葉の本来の意味で、ラディカルである。

お勧めの本:
『憲法の無意識』(柄谷行人/岩波新書)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。