ウッディ・アレン

連載エッセー「本の楽園」 第25回 ウディ・アレンの映画術

作家
村上 政彦

 TVを視ていたら、あるCMで太宰治を文豪といっていた。太宰は好きな作家なのだが、これには違和感があった。確かに、すぐれたいい作家である。しかし彼には、文豪という冠は似合わない。
 日本文学の中で文豪といえば、夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎あたりだろう。彼らには文豪にふさわしい威信がある。重みがある。太宰には、それがない。いや、ないことが魅力なのだ。

 文豪は、ちょっと近寄り難い。友達にはなれない。だから、文豪である。太宰は、もっとちかしい感じがある。ひょっとすると、友達になれるかもしれない、とおもわせるところがある。僕だけでなく、たぶん多くの読者が、そういう印象を抱いているはずだ。
 映画の世界で太宰治に近い監督がいる。ウディ・アレンだ。ジョン・フォードや黒澤は巨匠である。しかしウディに巨匠の冠は似合わない。彼も、ひょっとすると、友達になれるかもしれない監督なのだ。

 僕がウディ・アレンのことを知ったのは中学生ぐらいのころだった。定期的に買っていた男性雑誌(Hなやつじゃありません)で取り上げていたのだ。ただ、そういう人がいることを知っていただけで、映画を観ていたわけではない。
 ウディが監督した映画を初めて観たのは、20代の半ばごろだった。確か日曜の昼間、TVで『マンハッタン』を放送していたのだ。僕の部屋にあったブラウン管の小さなTVだった。
「へー、ウディ・アレンだ」とおもって何気なく観ていたら、この映画がおもしろかった。冒頭がいい。ニューヨークの街の風景が、美しいモノクロームの映像で流れ、そこにガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』が重なる。すぐに作品の中へ引き込まれた。
 それからはレンタルビデオで、ほとんどの彼の作品を観た。どれもおもしろかった。僕のための監督だとおもった。数年後に作家デビューして、暮らし始めた東京の街で『ラジオデイズ』を観た。もちろん、この作品もおもしろかった。だが、僕の中のウディのナンバー1は『マンハッタン』だった。

 ウディ・アレンは1935年に生まれてニューヨークのブルックリンで育つ。10代のころから広告会社でジョークを書いて稼ぐようになった。19歳になると、TV局の新人作家養成プログラムの一環としてハリウッドで働く。
 やがてコメディアンとしてステージに立つ。それから映画『何かいいことないか子猫チャン』への出演と台本の執筆をきっかけに映画業界へ進出していく。このあとは、僕らの知っているウディ・アレン物語がつむがれるわけだ。
『ウディ・アレンの映画術』(以下、『映画術』)によれば、『マンハッタン』は彼の映画の中でいちばん興業的に成功した作品らしい。ただ、本人は、ウディ・アレンといえば『マンハッタン』といわれることに不満のようで、あれが自分の頂点ではないと洩らしている。
 この『映画術』は、映画好きが見れば分かるように、『ヒッチコックの映画術』を踏まえている。36年間にわたるウディへのインタビューをもとに構成されているので、そこで彼はアイデアの発想から、脚本、キャスティング、映像、音楽、編集と映画について語り尽くしている。

 たとえば『マンハッタン』は、ニューヨークを主人公にした映画で、この街をどれだけ美しく撮れるかに挑んだ映画だったという。実際マンハッタンを訪れた人によれば、こんな街ではないという意見もあるようだ。
 だが、ウディは現実のニューヨークを撮ったのではなく、彼の観てきたかつてのハリウッド映画の中のニューヨークを再現したのだという。だから、最初からカラーではなく、モノクロに決まっていた。
 僕はこのインタビューを読んで、ひとつ納得できた。つまり、『マンハッタン』のニューヨークは、現実の街ではない。ウディの夢見る街なのだ。夢の風景だから、美しいのは当然である。 
 
 ウディ・アレンは、年間に1本の映画を撮ると決めているようで、毎年、勤勉に仕事をしてきた。彼の映画に対する姿勢は、クリエイティブな仕事をするものにとって、大いに参考になるとおもう。
 未来の映画監督への助言を求められて、彼は、こういう。

 いま僕に思いつく唯一のアドヴァイスは、大切なのは仕事をすることだ、ということだな。自分の映画の作品評は読むな。自分の作品に関してあれこれ議論するな。ただ休みなく働け。

 また、脚本の章では、こうもいう。

 大事なのは書くこと、書く過程を楽しむことなんだよ。批評なんて読む必要はない。人が映画の話題を持ち出しても、スポーツや政治やセックスの話題にさっと切り替えて、自分はただこつこつ書き続けることさ。

 他人の思惑を気にしないことについて、著者は分析する。

 ウディの場合、芸術に対する考え方もモンク(注・ジャズピアニストのセロニアス・モンク)に似ている。モンクは言っている。「大衆が望むような演奏はするな。自分のやりたい演奏をして、大衆をそれに追いつかせるんだ。」

 太宰治は、人にどう見られているかをとても気にする作家だった。実は、ウディにも、そういうところがあるのかも知れない。だから、他人の思惑を気にしない努力をすることで、才能を守ってきたのではないか。
 いずれにしても、彼はひたすら自分流を貫いて、「ウディ・アレン」スタイルを築いた。それはハリウッドの大作映画を撮る監督のように大衆を惹きつけるわけではない。しかし趣味のいい少数のファンを魅了する。僕もそのひとりである。

お勧めの本:
『ウディ・アレンの映画術』(エリック・ラックス著/井上一馬訳/清流出版)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。