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カストロが軍服を脱いだ日――米国との国交回復までの20年

ライター
青山樹人

国民から「フィデル」と呼ばれた男

 11月25日、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が没した。
 1959年のキューバ革命によって米国の鼻先で社会主義国家を樹立し、以後、2006年に弟のラウル・カストロ氏に議長職を譲るまで、半世紀以上にわたって最高指導者として国を率いてきた。
 1962年秋には、ソ連の核ミサイルがキューバに配備されたことが発覚し、米ソが全面核戦争の寸前まで緊張を高めた「キューバ危機」が起きる。また1996年2月には領空侵犯した米国の航空機をキューバが撃墜したことで、再び世界が震撼した。
 CIAによって、あるいはマフィアによって、前議長が「世界で最も数多く暗殺を計画された人物」になったことも、今回の訃報であらためて話題になったところだ。
 逝去の報に対し、米国在住の亡命キューバ人たちが喝采を叫んだという報道が伝えられる一方で、キューバ国民の多くは深い哀悼の意を示している。
 残忍な独裁者か人民を愛した指導者か、評価はまさしく歴史に委ねるしかない人物ではあるが、国民が平素から彼を「フィデル」と親しく呼んできたことは記憶に留めておきたい。
 知日派としても知られ、最晩年は自宅に日本庭園を造り、2003年の訪日では広島の原爆慰霊碑に献花している。

初の〝スーツ姿〟で現われる

 革命の時代からおよそ40年間、フィデル氏は公式の場では常に軍服姿だった。その彼が、初めて軍服を脱いで公式の場に現れたのは1996年6月25日のことである。
 それは、日本人である池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長を革命宮殿に迎えた時のことだった。国営放送の生中継を見ていたキューバ国民は、〝フィデル〟が190センチ近い巨体をスーツに包み、ストライプのネクタイを締めて、国家評議会議長として笑顔で歓迎のあいさつをする姿に目を見開いた。

聖教新聞社「グラフSGI」2016年5月号より

聖教新聞社「グラフSGI」2016年5月号より

 池田会長が議長のネクタイを触って「文化大臣の方がネクタイの選び方は上手いかもしれませんね」と言うと、その場は爆笑となり、フィデル議長も笑って「ネクタイのことはよく知らないんです」と応じた。
 その後、報道陣を退けた別室で、池田会長側は通訳のみ、議長側は閣僚らだけを伴い、1時間半にわたって会談している。民間人との会見としては異例の長さだ。詳細は明らかにされていないが、池田会長は『私の世界交遊録Ⅱ』(読売新聞社)のなかで、〝数々の苦言〟も率直に述べたことを綴っている。
 この会談がおこなわれた96年6月は、前述したように米国とキューバの間がキューバ危機の再来と懸念されるほど緊張を高めていた時期である。3月にはクリントン大統領が対キューバ禁輸措置であるヘルムズ・バートン法に署名し、孤立を深めたキューバは徹底抗戦の構えを示していた。
 その直後の6月、池田会長は最初の訪問地である米国からバハマを経由してキューバを訪れたのである。

「対話」に転じたカストロ

 米国を発つ数日前、ニューヨークに滞在していた池田会長は、キッシンジャー元米国国務長官と会っている。
 ベトナム戦争終結や米中国交正常化を実現させた「外交の魔術師」である。会長とキッシンジャー氏は旧知の友人同士であり、これが8回目の会談。会長がキューバを訪問すると知った同氏が、単身で会長のホテルの部屋を訪れたのだった。
 池田会長がキューバに到着すると、やはり旧知のハルト文化大臣がタラップの下まで出迎えた。そして、革命宮殿ではフィデル・カストロ議長が初の〝スーツ姿〟で会長を迎えたのである。
 翌7月、池田会長が創立した東京富士美術館とキューバ国立美術館の共催で、同国初となる「日本美術の名宝展」が開催された。異例だったのは、フィデル議長自らが同展の名誉実行委員長となり、会場にも足を運んだことだった。
 同じ7月、クリントン政権はヘルムズ・バートン法第3条の実施延期を発表した。
 さらに、暗殺を恐れて動かなかったフィデル・カストロ議長が、別人のように「対話」の旅を開始したことに世界はざわめいた。
 11月には自らバチカンを訪れ、ローマ教皇を表敬。かつて自分を破門したバチカンとの関係修復を図ると同時に、これまでの宗教弾圧政策を事実上放棄した。ちなみに2007年には、キューバSGIが仏教団体としては初めてキューバ司法省から法人認可を受けている。

米国との和解を成し遂げて

 その後、池田会長はキューバを代表する知性でありホセ・マルティ研究の世界的権威であるシンティオ・ヴィティエール博士と対談を開始し、対談集『カリブの太陽 正義の詩』(日本語版は潮出版社)を刊行している。
 キューバ人がキューバを〝マルティの国〟と称するほど、詩人・思想家のホセ・マルティ(1853-1895)こそは現代キューバの精神的支柱であり、フィデル氏も若き日の獄中で『マルティ全集』をむさぼり読んでいる。シンティオ博士は対談の中で「キューバ革命とは、それ自体、マルティの歴史的再誕ともいうべきものでした」と述べている。
 両者の対談開始に対し、フィデル議長は池田会長に「成功を近くで見守っております。『対談』の成功のために、私が必要であれば、何でもおっしゃってください」と伝えた。
 キューバ国民から〝キューバの使徒〟と仰がれるマルティの詩心、人間愛への信念を縦横に語り合った対談集は2001年に刊行され、キューバでもスペイン語版が出版された。
 2015年7月20日、米国とキューバは双方の大使館を再開し、じつに54年ぶりに国交を回復した。さらに16年3月20日、オバマ大統領が歴史的なキューバ訪問を果たす。現職の米国大統領の訪問は、1928年以来88年ぶりのことだった。
 東西冷戦の渦中で、革命の指導者となってキューバを率いる運命となったフィデル・カストロ氏は、ある意味で、生涯の最後の20年を費やして、祖国と世界との平和な関係へ着地することをやり遂げたといえる。

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』、『宗教は誰のものか』(ともに鳳書院)など。