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葦の髄から時評vol.18 「売られる〝作り話〟」――「いいね」を付けたページは大丈夫ですか?

ジャーナリスト/編集者
東 晋平

ストーリーありきの報道でよいのか

 日本報道検証機構が、ムスリム女性を扱った毎日新聞記事の問題を公表している。記事とは、2016年1月4日付朝刊社会面トップに大きく掲載された企画、「憲法のある風景・公布70年の今」第3回。
 都内に住む30代の日本人ムスリム女性2人が、1人は顔も実名も出し、もう1人は名前を伏せて登場する。「信じる私 拒まないで」「日本人ムスリム偏見との闘い」といった見出しのもと、ムスリムゆえに彼女らがゆえなき差別を強いられてきたことが記されている。
 ところが、記事にはそもそも彼女らが話してもいないことが、事実関係とは大きく異なる形でいくつも書かれていた。女性の1人が事前に原稿のデタラメを指摘し、「ムスリムが差別されてかわいそうだ」というイメージの報道にしてほしくないと修正を求めたにもかかわらず、〝虚構〟のまま記事は掲載されてしまった。
 女性らの訴えのとおりだとすれば、記者はそこにある事実を報道したのではなく、自分が書いてみたいと思ったセンセーショナルなストーリーに沿って、実在の人物を都合よく利用したことになる。本人たちに多大な苦痛を与えただけでなく、読者に作り話の記事を売り、ジャーナリズムへの信頼を大きく毀損したことにもなるだろう。
 2人の女性は毎日新聞社側の対応に納得できないとして日本報道検証機構に訴え、第三者機関の「開かれた新聞」委員会での審議を求めているという。

撤廃された「100万円ルール」

 日本の司法で名誉棄損の損害賠償額が大きく跳ね上がったのは、21世紀が明けようとする頃だった。それまではたとえメディアで虚報を流され名誉棄損の裁判で勝訴しても、賠償額が100万円を超えることはなく、たいていは訴訟費用にすら足りないほどの少額だった。
 この額にとくに法的な根拠があったわけではない。法曹界では「100万円ルール」と称され、過度に〝報道の自由〟を慮った結果、単に過去の判例を踏襲するということが繰り返されていたのである。
 週刊誌メディアが全盛だった時代、どんな悪質なデマを書こうと、それで売り上げが伸びれば賠償金など〝必要経費のうち〟と嘯かれていた。書かれた側も、訴訟を起こしても費用負担が残るだけだからと泣き寝入りすることが少なくなかった。
 2000年頃から司法が賠償額を数百万円に、さらに一千万円台に上げたことは、90年代後半から週刊誌の売り上げが減りはじめたことと関係がある。一部の雑誌が売り上げを稼ぐために、それまでにも増して常習的に悪質な人権侵害記事を書き飛ばすようになったからだ。
 あまりにもモラルを欠いた報道の氾濫に、司法がこれ以上は看過すべきでないと判断したのである。

リテラシー教育の重要性

 ところで、90年代後半から週刊誌が売れなくなったのは、こうした人権侵害報道への批判が高まったことに加え、この時期から普及しはじめたインターネットにお株を奪われたことが大きい。
 そして、〝作り話で稼ぐ〟という手法もまた、少し手口を変えて紙メディアからネットメディアに引き継がれている。
 Facebookなどで「いいね」が付けられている記事を見ると、奇妙な共通項が多いことに気づく。
 典型的なのは、態度の悪い人間の傍若無人な振る舞いに、勇気ある誰かが胸のすくような言葉を浴びせたというような話だ。細かいシチュエーションは違えども、なぜかこの種の話が毎日のように「いいね」されて回ってくる。
 しかし、見ると見事に「いつ」「どこで」「誰が」が曖昧にされている。その目で見てきたような迫真の記事ながら、その記事の真実性を証明できる要素がじつは何もない。
 悪い話ならともかく、人は喝采を送りたくなるような話に触れると、疑ってかかるという回路が遮断されてしまうのだろうか。
 文字どおり「いいね」をクリックしたくなる〝いい話〟だが、よく見るとその記事には似つかわしくない広告が山のように載っていて、ページをめくるたびにサイト運営者側にはアフェリエイトの広告代がジャラジャラと入ってくる仕組みである。ライターたちは、きっと朝から晩までストーリーの創作に余念がないのだろう。
 読んでいる人は自分の財布が痛んでいる自覚がない。けれど、彼らに払われている広告費は、最終的に商品価格に含まれて消費者の負担になるのである。
 インターネット時代になって、私たちが触れる情報量はそれ以前の数千倍とも試算されている。否応なく、人々は無意識に余計な情報を取り込まないよう回避するのだが、そのセンサーが皮肉にも「いい話」には反応してしまう。
 ネットメディアには、誰でもが何でも書けてしまう。国によっては学齢期に報道への接し方を学ぶメディア・リテラシー教育が進んでいるが、日本はどうなのだろう。
 1つの記事、1つの放送を見ながら、それが「報道」としてどれほどの要件と質を担保しているのか検証していく訓練を、ぜひ10代前半の教育で徹底してほしい。

「葦の髄から時評」バックナンバー:
vol.13 加害者の「手記」を読んで――なぜ〝希望〟を紡ぎ出そうとしないのか
vol.14 「ライオンキング」1万回――史上もっとも成功したエンターテイメント
vol.15 光琳屋敷のモダン――日本のデザインの元祖、没後300年
vol.16 光悦の黒楽茶碗――「誓願」こそが人生の翼となる
vol.17 山崎豊子さんの足跡――戦争を憎み、時代と四つに組んだ作家


東 晋平 ひがし・しんぺい●神戸市生まれ。駒澤大学文学部卒。『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)、『彩花へ「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)、『彩花が教えてくれた幸福』(ポプラ社)などを企画構成。編訳に『オーランド・セペダ自伝』(潮出版社)。共著に『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)。他に詩人アンドレ・シェニエを描いたアニメ『革命の若き空』の脚本など。