アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で何があったのか――映画『サウルの息子』

ライター
倉木健人

「ゾンダーコマンド」という仕事

 無名の新人監督の作品にして、2015年カンヌ国際映画祭でいきなりグランプリを獲得した、いま世界中の映画関係者にもっとも注目されている映画である。
 1944年のアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。主人公であるハンガリー系ユダヤ人のサウルは、ここでナチス親衛隊から選抜された「ゾンダーコマンド」として黙々と働いている。

©2015 Laokoon Filmgroup

©2015 Laokoon Filmgroup

 収容所には毎日、数千人のユダヤ人が送られてくる。まるで何かを大量生産する工場のように、ユダヤ人たちは整列させられ、衣服を脱がされる。ナチスの監視のもと、それらを誘導するのがサウルたちの仕事。
 鉄の扉が閉められ、次の瞬間、悲鳴と絶叫が響き、鉄扉が内側から狂ったように叩かれる。サウルたちは感情を殺したような眼で、さっきまで同胞が着ていた衣類のポケットをまさぐって金品を探し、衣類は焼却炉に運ぶ。
 静かになった鉄扉が開くと、その死体の山をやはり焼却炉に移し、ガス室の壁や床の血液や汚物を大急ぎで洗い流す。死体の灰は川に投げ捨てられる。
 ゾンダーコマンドとて、殺戮を免れているわけではない。ナチスの極悪の所業の最大の目撃者として、数カ月すれば殺されて交換される。
 ナチスはユダヤ人を大量虐殺するにあたって、ドイツ兵に殺戮によるPTSDが出るのを回避するために、「収容所」でのガス処理を思いついた。その収容所でも、凄惨きわまる作業を同じユダヤ人から選抜したゾンダーコマンドにやらせたのである。

少年の遺体を運び出すサウル

 カメラは、まるでサウルの網膜を借りたように、この凄惨な収容所での一部始終を見る。その日、鉄扉が再び開いて、サウルが死体の山の処理にかかろうとすると、うめき声が聞こえてきた。
 まだ10代の少年が瀕死の状態ながらも生き残っていた。軍医は、こともなげにあっさりと少年を絶命させてしまう。だが、サウルはこの少年の死体を命がけで運びだし、ユダヤ教のラビの祈祷ののちに埋葬しようとする。
 なぜそんな無茶なことをするのかと問われて、サウルは「息子だ」と言う。けれど、仲間は彼に「おまえに息子はいないじゃないか」と言う。
 監督のネメシュ・ラースローは1977年ハンガリー生まれ。『ニーチェの馬』のタル・ベーラのもとで助監督をしていた。サウル役のルーリゲ・ゲーザは役柄と同じくハンガリー生まれのユダヤ人。現在はニューヨークに住み、俳優の経験もあるのだが詩人として活動し、ユダヤ教神学校で教鞭もとっている。

©2015 Laokoon Filmgroup

©2015 Laokoon Filmgroup

 何かの部品製造の量産を強いられている工場のように、収容所では息つく暇もなく次から次へと大量殺戮が続く。それでも毎日、数千人単位で到着するユダヤ人。ガス室では間に合わなくなり、昼夜を問わず火炎放射器や銃で殺戮がおこなわれる。
 自分たちの処刑が迫っていることを知ったゾンダーコマンドの一部は、武器を手にしてナチスへの蜂起を試みる。
 同じ人間に対して微塵も「生命の尊厳」を見ようとはしないナチスの行為。すでに亡骸となっている1人の少年を、そんなことが叶うはずもない極限状態の中で、信仰にしたがって埋葬しようとするサウル。
 この映画は衝撃的な一片の寓話であり、同時に戦後70年目に世に問われた、人類の過ちへの告発である。
 息が詰まるような悲痛な107分なのだが、映画史に残る不朽の名画になることは疑いない。
 

『サウルの息子』(原題:Saul Fia)

2016年1月23日(土)より衝撃のロードショー 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町

第68回 カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品
第73回 ゴールデン・グローブ賞 外国語映画賞受賞
第88回 アカデミー賞 外国語映画賞ノミネート

最期まで<人間>であり続けるために――

1944年、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。
同胞のユダヤ人をガス室に送り込む任務に就く<ゾンダーコマンド>のサウルは、
息子の遺体を正しく埋葬しようと、人間の尊厳をかけて最後の力を振り絞る。

監督・脚本:ネメシュ・ラースロー
共同脚本:クララ・ロワイエ
出演:ルーリグ・ゲーザ、モルナール・レヴェンテ、ユルス・レチン、トッド・シャルモン、ジョーテール・シャーンドル

原題:Saul Fia 英題:Son of Saul 
2015年|ハンガリー|カラー|ドイツ語・ハンガリー語・イディッシュ語・ポーランド語他|107分|スタンダード
字幕:齋藤敦子
字幕監修:コーシャ・バーリン・レイ、高橋武智 
配給:ファインフィルムズ
配給協力・宣伝:ミモザフィルムズ
後援:ハンガリー大使館、イスラエル大使館
© 2015 Laokoon Filmgroup

『サウルの息子』公式サイト


くらき・けんと●1963年生まれ。編集プロダクションで主に舞台・映画関係の記事づくりにたずさわる。幾多の世界的映画監督にインタビューを重ねてきた経験があり、WEB第三文明で映画評を不定期に掲載予定。趣味は旅行と料理。