連載エッセー「本の楽園」 第2回 ブームのその後 ラテンアメリカ文学最新事情

作家
村上政彦

 僕とラテンアメリカ文学の出会いを順序立てて語ると、世界文学と日本文学の在り方を交えた長い話になるので、読者を退屈させるわけにもいかないから、要所だけをしるすことにする。

 20歳前後の頃のことだ。ふらっと入った古書店で何気なく手にした小説が、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』(1967)だった。これはおもしろかった。僕は小説家になりたいとおもっていたが、当時はヌーボーロマンというフランスの前衛小説の影響を受けていて、なかなか小説が書き出せずにいた。
 しかし、すでにフランスでは前衛の季節が終わりつつあった。実は、僕の中でもそうだった。僕は物語が好きだったのだが、ヌーボーロマンは物語を否定していた。それには文学史的な理由があるのだが、僕は気に入らなかった。だんだん前衛が退屈におもえるようになってきた。

『百年の孤独』は違った。物語が生き生きと躍動していた。スタイルも前衛とは違ったやり方で、19世紀西洋の小説作法を進化させていた。こんな小説もある。こんなやり方もある。やはり、小説に物語は必要だ。
 僕は、はっきりと前衛を卒業した。そして、自分の小説を書き始めた。ただ、『百年の孤独』のようなスタイルは取らなかった。前衛の影響を受けることで19世紀西洋の小説作法から自由になったように、『百年の孤独』のおかげで前衛の小説作法からも自由になった僕は、表現のスタイルとして、19世紀西洋の小説をモデルに選んだ。それを自分なりにカスタマイズして、物語を語ることを、創作の基本に据えた。
『百年の孤独』を読まなくても、多分、僕は小説を書いていただろう。だが、いまとは違った小説を書くことになったとおもう。
 これが、僕とラテンアメリカ文学の出会いの要所なのだが……あ、長い? やっぱり。ごめんなさい。
 
 では、本論に入る。
 ラテンアメリカ文学は、文字通り、ラテンアメリカという風土の中で書かれた文学だ。おもにスペイン語とポルトガル語で表現される。僕の中の、ラテンアメリカ文学の3人を挙げると、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ガルシア・マルケス、バルガス・リョサである。ボルヘスはアルゼンチンの作家、マルケスはコロンビアの作家、リョサはペルーの作家だ。
 ただ、文芸ジャーナリズム的な言い方をすると、ラテンアメリカ文学を代表する作家はマルケスになるだろう。彼は1982年にノーベル文学賞を受けている。これは70年代に始まったラテンアメリカ文学のブームを加速させる祝砲となった。

『百年の孤独』でラテンアメリカ文学を知ったという人も多い。この小説は33ヵ国の言語に翻訳されて、600万部が売れたという。さらに『百年の孤独』の方法である魔術的リアリズムは、その後、新しい表現の方法を求めていた世界の多くの作家たちに影響を与えた。
 魔術的リアリズムは、一言で表すと、現実と夢の融合といってもいい。『百年の孤独』では、死者が蘇って生者に会いに来る。普通の娘が洗濯物を干している最中に空へ舞い上がって昇天する。ほかにも現実にはありえないことが起きるのだが、そういう逸話が現実の出来事と併存している。

 現実と夢の融合といえば、そのコースを開拓したのはフランツ・カフカだ。『変身』は、ある男が朝になって眼醒めたら巨大な昆虫になっていた――という物語である。こんなことは現実にはありえない。それが作中では、ごく自然なこととして、現実の出来事と併存している。
 つまり、魔術的リアリズムはカフカの方法の変奏ともいえる。マルケスはカフカを愛読していたそうだから不思議ではない。カフカがそういう場所へ行き着いた理由を順序立てて語ると、人間の精神史を交えた長い話になるので、今度は本当に要所だけをしるすと、神話的なものの復活である。人間の心には、現実にはありえない、神話的なものに惹かれる傾向があるのだ(詳しくは、また)。

 魔術的リアリズムは、文学的な流行になった。欧米ばかりか、アジアにも広がった。2012年にノーベル文学賞を受けた中国の莫言が、マルケスの熱心な読者であることはよく知られている。
 さて、リョサは2010年にノーベル文学賞を受けた。これは僕の見るところ、魔術的リアリズムを流行させたラテンアメリカ文学ブームの弔砲だ。ひとつの文学シーンが、ここで終わったとおもう。そのリョサが、期待できる後進の作家のひとりに、ロベルト・ボラーニョの名を挙げたといわれる。
 ボラーニョは、惜しくも50歳で亡くなった。去年、長大な遺作『2666』が邦訳されて話題になった。ほかにも長編小説としては、『野生の探偵』が日本語で読める。この2作はいくつか書評が出たので、このコラムでは、3冊の短篇集を取り上げたい。

 マルケスに代表される「ラテンアメリカ文学」と、どのような距離を取るか――それがボラーニョの文学的な命題のひとつだったとおもう。新しい作家は、先行する作家を否定することで出発する。否定の仕方が、新しさにつながる。
『通話』は初期に編まれた短篇集。『売女の人殺し』は生前、最後に出版されたもの。『鼻持ちならないガウチョ』は、死後に刊行された遺作だ。しかし、どれも作家自身が構想した作品集らしい。

 3冊の短篇集を読んでみると、彼の苦心がわかる。マルケスの小説には、「賑やかさと陽気さ」がある。祝祭的といってもいい。ボラーニョの小説にあるのは、「静けさと陰翳」だ。マルケスの小説世界はカラフルな色彩で彩られているが、ボラーニョのほうはモノクロームだ。そして、あからさまな魔術的リアリズムの継承はない。基本はリアリズムである。
『通話』に収められた「センシニ」は、語り手である文学青年の僕が、マイナーな作家のセンシニと知り合って文通を始める。センシニは生活のために、さまざまな文学賞に応募し、僕にもそうするように勧める。やがて彼は死ぬ。その後、娘が僕の元を訪ねて来て、死者を偲ぶという話。
「芋虫」は、語り手の少年・僕が、公園で出会った年配の男に芋虫というニックネームをつけ、親しく交流するが、やがて男は遠い土地へ去ってしまうという話。このあたりは、普通のリアリズムの短篇といえる。
 ボラーニョに特有のリアリズムは、19世紀西洋のリアリズム小説とも違っている。あえて命名するなら詩的リアリズムともいうべきものだ。

 たとえば、「ジム」は、『鼻持ちならないガウチョ』の冒頭に置かれた作品。掌編小説といってもいい短さだ。でも、短いからボラーニョの方法がくっきりと見える。19歳の語り手・僕が、路上で友人のジムを見かける。
 彼は元兵士で、いまは詩人。

「いまのおれは詩人で、途方もないことを探し出して、それをありふれた日常の言葉にしている。」

 ジムは路上で何をしているのか。熱心に火吹き芸人のパフォーマンスを見物しているのだ。うらぶれた姿の、発熱でもしているような表情で。僕はジムほど悲しい男を見たことがないという。
 何か事件が起きるわけでもない。ジムが、火吹き芸人のパフォーマンスを見物している姿を、淡々と描いて終わる。小説というよりも散文詩に近い。ボラーニョの作品は、長くなるほど物語を駆動力として使うのだが、同じほどイメージをつなげていく詩的な方法を用いる。これが彼の見出した先行する作家の否定の仕方だったのではないか。

 とはいっても、まったく魔術的リアリズムを継承していないわけでもない。『売女の人殺し』に収められた「帰還」は、急死した男が幽霊になって、屍姦趣味の著名なデザイナーに自分の遺体が犯される場面を目撃する話。
 同じ短篇集の「ブーバ」は、アフリカ人のプロサッカー選手・ブーバが、同僚選手の血のしずくによってバスルームで秘密の儀式を行い、その力のせいか不思議なゴールを決めるのだが、彼は事故死するという話。
 どちらも現実にはありえないことを、現実の出来事と併存させている。ただし、そのやり方は魔術的リアリズムではない。「帰還」はハリウッド映画の「ゴースト」を引用しているし、「ブーバ」では選手がゴールを決めたのは偶然だったとも読める。

 また、『鼻持ちならないガウチョ』の「鼠警察」は、カフカの「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族」を踏まえている。主人公は警官になった鼠(文字通りの鼠です)だ。周辺で起きる鼠の連続殺害事件を捜査し、犯人(犯鼠?)の鼠を倒す。この短篇は、長篇『2666』に連動しているらしいことがほのめかされている。
 ボラーニョは、魔術的リアリズムを軸とした「ラテンアメリカ文学」の更新をめざした作家だ。それは成功している。ラテンアメリカ文学の影響を受けた多くの作家にとって、彼の方法は無視できない。作家自身は亡くなったが、その文学はまだ読まれ始めたばかりだといえる。今後の世界文学の動向を考えるうえで、重要な存在であることは間違いない。

(隔週で掲載いたします。)

参考文献:
『通話』(ロベルト・ボラーニョ/白水社)
『売女の人殺し』(ロベルト・ボラーニョ/白水社)
『鼻持ちならないガウチョ』(ロベルト・ボラーニョ/白水社)
『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア・マルケス著/鼓直訳/新潮社)
『変身・断食芸人』(カフカ/山下肇、山下萬里訳/岩波文庫)
『THE HUFFINGTON POST』(2014年4月18日付)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。