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葦の髄から時評vol.15 光琳屋敷のモダン――日本のデザインの元祖、没後300年

ジャーナリスト/編集者
東 晋平

放蕩息子、画業に転じる

 26歳の時、初めての一人旅でニューヨークを訪れた。念願だったメトロポリタン美術館にもでかけ、古代エジプトから始まる壮大な人類の美術史を半日がかりで堪能した。
 しかし足が棒になるほど眺めた膨大な展示作品の中で、私が心打たれてしばし身動きできなかったのは、自分でも意外だったのだが、同館が所有する尾形光琳作「八橋図屏風」だった。

 伊勢物語の一場面を題材に、金地画面いっぱいに意匠化された橋と燕子花(カキツバタ)が配された六曲一双の屏風である。ミュージアムショップに売っていた大きなポスターを迷わず買い、帰国すると額装して自宅に飾った。
 尾形光琳が没したのは享保元年(1716年)で、今年(2015年)は「300年忌」にあたる。本阿弥光悦、俵屋宗達から始まる美意識が「琳派」と称されるように、光琳は今に続く日本的な意匠の、いわば〝家元〟のような人だ。もちろん技量としても偉大な画家であり工芸家だが、彼の天才はなによりその装飾性、デザイン性にある。
 後世の多様な分野に与えた影響から見ても、世界的に定まった評価から見ても、その後300年で光琳を超える存在は日本画壇に誕生していないと思う。
 光琳は万治元年(1658年)に京都の裕福な呉服商「雁金屋」の次男として生まれた。東京タワーができるちょうど400年前のこと。幼いころから呉服の図柄意匠に囲まれ、書画はもちろん能や茶、華、仏教など豊かな教養に触れて育つ。
 30歳の時に父親が逝去。光琳は莫大な遺産をたちまち散財していく。「雁金屋」は、大口顧客の死去や大名貸しの貸し倒れなどですでに経営が傾いていた。ほどなく光琳の生活も破綻し、しかたなく才のあった画業で身を立てたのだと伝えられている。
 もしも不幸が重ならず「雁金屋」が安泰であったなら、歴史に尾形光琳は存在せず、単なる呉服屋の放蕩息子で終わっていたのかもしれない。

再現された光琳の美意識

 その光琳が正徳2年(1712年)頃にみずから設計デザインして新町通二条下ルに新築し、最晩年を過ごした屋敷が、熱海のMOA美術館敷地内に復元されている(施設案内)。光琳の遺した図面、大工の遺した仕様帖、茶室起こし図、さらに当時のさまざまな資料を参照して、名工の手で細部まで忠実に考証再現したそうだ。
 先般、その内部特別公開の機会に訪ねてきた。
 入り口から奥の台所までストンと「通り庭」が抜け、内部に庭を持つ、典型的な京町屋である。入り口のすぐ脇にある玄関は、ミニマムな造作ながら竹の天井と赤丹色の壁が訪問客の心を高揚させる。

光琳屋敷の内部(台所から奥の間を望む)

光琳屋敷の内部(台所から奥の間を望む)


 内部に導かれた瞬間、一転して視界には陽光に緑が映える庭が開ける。次の間まで含めると20畳もある書院はゲストをもてなす空間。すべて赤丹の土壁もしくは光琳波の紋様を刻んだブルーの壁紙で装飾されている。とてつもなくモダンとも思えるし、そう思うのは光琳のこの感覚が、今もわれわれの美意識を貫いている証左でもあるのだろう。
 その先は、居間、奥次、奥というプライベート空間で、壁も落ち着いた薄香色に変わる。奥の間のさらに奥は2畳の化粧間。襖をあけると上段に小さな仏壇がある。光琳は宗達や光悦と同じく法華宗徒であった。
 公開されていなかったので今回見ることは叶わなかったが、居間と奥次の真上は16畳の絵所(アトリエ)になっていて、国宝の「紅白梅図」はそこで制作されたと推定されている。
 驚いたのは、天井高が2メートル数十センチもあること。光琳屋敷は当時としても抜きん出て背の高い家屋だったらしい。台所もきわめて近代的で、熱がこもらないよう6メートルほどの吹き抜けになっている。電気や水道などライフラインさえ敷けば、今このまま住んでもまったく快適だろうと思われた。
 住まいを見れば住む人がわかると言うが、まして本人が晩年に細部まで設計デザインした家だ。光琳は自画像もないに等しく、放逸な天才だったという以外に人物像の痕跡が少ないのだが、この屋敷はまるで光琳その人そのものでなくて何であろう。

「葦の髄から時評」バックナンバー:
vol.10 中国史に流れ続ける〝宗教的なもの〟
vol.11 名も知らぬ人々との出会い――西安から敦煌へ、真冬の中国を往く
vol.12 敦煌莫高窟――記憶の古層に広がる「壮大な思想」
vol.13 加害者の「手記」を読んで――なぜ〝希望〟を紡ぎ出そうとしないのか
vol.14 「ライオンキング」1万回――史上もっとも成功したエンターテイメント


東 晋平 ひがし・しんぺい●神戸市生まれ。駒澤大学文学部卒。『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)、『彩花へ「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)、『彩花が教えてくれた幸福』(ポプラ社)などを企画構成。編訳に『オーランド・セペダ自伝』(潮出版社)。共著に『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)。他に詩人アンドレ・シェニエを描いたアニメ『革命の若き空』の脚本など。