分かたれた者たちが結ばれていく美しい衝撃作――映画『追憶と、踊りながら』

ライター
倉木健人

※このコラムには、2015年5月23日公開 映画『追憶と、踊りながら』のストーリーなど内容についての記述があります。

通訳を介して進行する映画

 李香蘭こと山口淑子の歌う「夜来香」が聴こえ、少し古いデザインの壁紙がフレームの中を流れていく。
 原題の「Lilting」には、軽妙にリズミカルに動かす、というようなニュアンスがある。ともすれば硬直し動きを止めてしまう人間たちに対し、ホン・カウ監督は、再びリズムを与え、背中を押し、軽やかに揺り動かしていく。登場人物も、そして観ている私たちも。

ⒸLILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014

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 本作は長編映画援助スキーム「マイクロウェーヴ」の支援を受けて制作された。ホン・カウは1975年カンボジア生まれ。これが長編デビュー作となる。
 ロンドンの介護ホームで暮らすのはカンボジア系華僑のジュン。29年前に祖国を離れ、息子の教育のために英国に渡った。夫はすでに他界している。彼女はフランス系華僑であった夫の血を引く美しい一人息子カイに不満を漏らす。「なぜおまえは、友達と一緒に暮らすために母さんをこんなところに閉じ込めているのか」と。
 ジュンは息子と同居しているリチャードという若い英国人青年が気に入らない。そしてカイは、リチャードとの本当の関係を母親に告白できないまま不慮の事故で世を去ってしまう。
 同じ施設に暮らす年配の英国人アランはジュンに好意を寄せる。ジュンもまんざらではないが、なにしろ2人は言葉が通じない。新しい土地に馴染めないままにきたジュンは、今も英語が話せないのだ。
 最愛の人の母親をなんとか助けたいと、リチャードは英中バイリンガルの若い女性ヴァンをジュンの通訳として雇う。ここからほぼ最後まで、観客はこの〝通訳〟を介して映画の展開を追うことになるのだ。

分断を〝いのちの深層〟で包摂していく

 意思の疎通に困難が生じている中国語話者と英語話者。これはホン・カウ監督自身のバックグラウンドにも重なっている。
 彼が生まれた1975年といえば、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)が首都プノンペンを制圧し、まさに狂気の大虐殺が始まろうとしていた時期だ。ホン・カウも生後すぐに家族とともにベトナムに脱出し、83年に難民として英国に移り住んでいる。彼の母親も英語に苦労し、彼が母親の通訳をしていたそうだ。
 そしてこの映画には、言語だけでなくいくつもの〝差異〟が重層的に絡み合っている。異なる文明。異なる習慣。老いと若さ。古いモラルと新しい生き方。男と女。西洋人と東洋人。異性愛と同性愛。母親と息子。過去と未来。生者と死者。

ⒸLILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014

ⒸLILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014


 異なるがゆえに惹かれ、異なるがゆえに恐れ、反発し、戸惑い、ぶつかり合うこれらの差異。ホン・カウは86分の物語を通して、その分かたれていたものに対話の橋を架け、転換し、収めていこうとしているように思われる。
 彼が本作で使った手法が画面のシームレスだ。ありがちな「回想シーン」の様式を使わず、しばしば過去と現在と未来の場面がひとつながりで描かれていく。それは、登場人物たちの〝記憶〟というもののありように倣っている。人間の心の中というものは、時系列にはできていない。過去も現在も未来も、今のこの一瞬の生命のうちにあるのだ。
 この場合の〝記憶〟とは、脳の記憶というよりも生命の深層世界であり、東洋的に言えば「識」に刻まれたものなのであろう。ホン・カウの紡ぎ出す物語は、相容れない差異に手をさしのべ、愛おしむように生命の深いところへ包み込んでいく。
 限られた製作費にもかかわらず、ジュン役にアジア映画の大女優チェン・ペイペイ、リチャード役には英国俳優ブームを牽引するベン・ウィショーが起用されている。脚本を読んだベンは、すぐに出演を快諾したという。
 あのキリング・フィールドと化したカンボジアから間一髪で脱出した赤ん坊が、40年近い歳月を経て、深く普遍的な〝和解〟と〝包摂〟の映画を世界に贈ってくれた。なによりこのことに、筆者は心揺さぶられずにはいられない。

『追憶と、踊りながら』(原題:LILTING)
5月23日(土)より、新宿武蔵野館、シネマ・ジャック&ベティほか全国順次ロードショー

2014 サンダンス映画祭オープニング作品 最優秀撮影賞受賞
2014 ブリティッシュ・インディペンデント・フィルム・アワード
    主演女優賞(チェン・ペイペイ)/プロダクション賞/新人監督賞ノミネート
2015 BAFTA英国アカデミー賞 英国デビュー賞(ホン・カウ)ノミネート

ロンドンに暮らす初老の中国女性とイギリス人青年。
二人を繋ぐ愛の記憶とは?

 ロンドンの介護ホームでひとり暮らすカンボジア系中国人のジュン(チェン・ペイペイ)。英語ができない彼女の唯一の楽しみは、優しく美しく成長した息子のカイ(アンドリュー・レオン)が面会にくる時間。しかしカイは、自分がゲイで恋人リチャード(ベン・ウィショー)を深く愛していることを母に告白できず悩んでいた。そして訪れる、突然の悲しみ。リチャードはカイの〝友人〟を装ったまま、ジュンの面倒をみようとするが……。
 息子の真実を知らない母、真実を隠し続けようとする恋人。あふれる想い、とまらない涙。そして最後に希望の音色を響かせる。

『クラウド アトラス』や「007」シリーズのQ役など数々の作品で強い印象を残し、現在の英国俳優ブームをベネディクト・カンバーバッチらとともに牽引する、ベン・ウィショーの最新主演作。
 現代のロンドンに生きる青年を演じ、愛する人を失った悲しみの内側に静かな情熱と強さを秘めたベンの誠実な演技に、心奪われない観客はいないだろう。共演にはアジア映画の伝説のヒロイン、チェン・ペイペイ。監督は、カンボジア生まれで現在はロンドンで活躍する英国期待の若手、ホン・カウ。サンダンス映画祭ではデビュー作としては異例のオープニング作品に選ばれ、見事撮影賞を受賞。ブリティッシュ・インディペンデント・アワードや英国アカデミー賞でも多数ノミネートされた注目作。

監督・脚本:ホン・カウ
出演:ベン・ウィショー、チェン・ペイペイ、アンドリュー・レオン、モーヴェン・クリスティ、ナオミ・クリスティ、ピーター・ボウルズ
主題歌:「夜来香」(李香蘭)   

2014年|イギリス|英語・北京語|カラー|1:2.35|5.1ch|86分|DCP 
後援:ブリティッシュ・カウンシル
配給:ムヴィオラ

(c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014

『追憶と、踊りながら』(外部サイト)


くらき・けんと●1963年生まれ。編集プロダクションで主に舞台・映画関係の記事づくりにたずさわる。幾多の世界的映画監督にインタビューを重ねてきた経験があり、WEB第三文明で映画評を不定期に掲載予定。趣味は旅行と料理。