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葦の髄から時評vol.5 「知る」ことの強さ――近隣諸国との未来を開くために必要なものとは

ジャーナリスト/編集者
東 晋平

マルコ・ポーロが讃えた美しい橋

 北京首都国際空港のタクシー乗り場に並ぶ。私の番が来ると、同年代に思われる運転手が降りてきて、私のスーツケースをトランクに収めた。この国では客が1人の場合、日本のように後部座席ではなく助手席に乗ることになっている。
 私はあらかじめ用意していたメモを彼に見せた。宿泊先の名前と近辺の地図が書いてある。有名なホテルなら地図まではいらない。私が予約したのは、胡同(フートン/清朝時代の古い路地)を入り込んだ場所にある、しかもオープンしてまもない古民家を改装した小さな宿だったからだ。彼はメガネを出してきて地図を覗き込んでいたが、分かったというように頷いて、紙片を返した。
 灰色の空の下、都心部に向かうハイウエイは渋滞している。およそ1時間の車中、言葉の通じない私たちは、並んで座りながらひとことも言葉を交わさなかった。それでも降りる際に「謝謝」と告げると、彼も「謝謝」と微笑んでくれた。
 宿のある胡同には庶民の生活感があり、新疆料理の店の前を通ると羊肉を焼く煙が漂っていた。宿の中庭ではシンガポール人の若い泊り客が従業員とお茶を囲んで楽しげに中国語で喋っていた。私が拙い英語で話しかけると、彼は私にも茶を勧め、自分はこれまでシンガポールの日本料理店で働いていて、今は数週間がかりの中国旅行の途中なのだと滑らかな英語が返ってきた。
 30代前半とおぼしき宿のオーナー夫人は英語のほかに日本語も少し話せて、私が近所で簡単な昼食をとりたいと伝えたら、小用のついでに案内してあげると言って大衆食堂風の麺屋まで連れて行ってくれ、注文までしてくれた。
 滞在何日目かに、北京語言大に留学している日本人学生たちと一緒に、盧溝橋にある抗日戦争記念館を訪ねた。
 盧溝橋とは、北京の南西郊外に架かる橋の名前である。橋ができたのは1192年(明昌3年)。全長266メートル、11連のアーチからなる石橋で、欄干には500もの獅子像が並んでいる。マルコ・ポーロの東方見聞録にも世界に比類なき美しい橋として登場する。
 そして1937年(昭和12年)、この盧溝橋付近での発砲事件をきっかけに、日中戦争が始まるのである。
 盧溝橋の東側、宛平県城という明朝の城郭遺構の中に抗日戦争記念館が開館したのは、事件からちょうど50年目となる87年7月7日であった。近代的な白亜の巨大な建造物の正面に掲げられた「中国人民抗日戦争紀念館」という金色の雄渾な筆致は、鄧小平の書だ。
 記念館に入った瞬間から、何か背中にゾクゾクとしたものが走り、結局それは建物を出るまで消えなかった。人生であんな経験は初めてだった。館内の展示は、当時の遺物や写真、人形、ジオラマなどで、「抗日戦争」の全容と中華人民共和国建国からの歴史を伝える構成になっている。私が行った際も老若男女を問わず大勢の中国人が見学に訪れていた。
 帰路に拾ったタクシーの運転手は、盧溝橋で乗せた私たちが日本人だと知ると「悪いのは日本政府であって、日本の人民が悪いのではない」と言ってきた。

「歴史を学ぶ国」と「歴史を忘却した国」

 抗日記念館で少々意外だったことがある。もちろん、旧日本軍による侵略行為はいくつも示されているし、それが中国側の史観に立つものだと主張する議論もあるのかもしれない。それでも、展示内容に日本への憎悪を過度に煽ろうとする意図は感じられなかったのだ。むしろ、年代を追って構成された最後の「現代」は、日中国交正常化からの歩みと両国の友好の重要さについて、丁寧に参観者に説いていた。
 そして、いずれにしてもこうした〝近現代史〟をしっかりと学んでいることは、仮にそれが愛国教育の一環であるとしても、「歴史を何も学んでない」「歴史を何も語れない」よりもはるかに強いことだと、つくづく実感した。
 中島岳志氏は著書『アジア主義――その先の近代へ』(潮出版社)で、欧米列強の侵略に瀕していた19世紀以来のアジアと日本の関係を、複眼的に慎重に読み解こうとしている。
 そこには、列強の帝国主義や自分たちの中に巣食う封建主義、あるいは近代社会の功利主義や物質主義、拝金主義に抗しようとしながら、その抵抗運動が近代化を加速し、あるいは暴力化していったアポリアがあった。
 また、世界の統一を夢見た者たちが、ユートピア的理想を帝国主義的手段による政治的統合へと短絡させたことで、1つの原理に一元化しようとする暴走した不幸があった。
 なによりも日本を含むアジアには、桜梅桃李の豊かな多元性を保ったままでなおかつ自分たちを連合し、さらに欧米帝国主義が見せる「西洋的な限界」をも超克して包み返していくような、普遍的な思想が見出せていなかった。
 氏は同書の末尾で、昨今の日本に溢れる排外主義の背景についても鋭く言及している。
 戦後の日本は、自国の近代史を熟慮した上で反省したのではなく、歴史の忘却による反省のポーズをとってきた。アジア近隣諸国への日本の〝反省〟は、歴史への共通理解の上になされたのではなく、歴史への無知によって繰り返されてきたのだ――と。
 それこそ友人知人の中で、それなりの学歴を持ち、社会にも貢献し、家庭でも善き一員であるような人が、思いがけなく中国や韓国への悪罵を口にする場面に、私は何度か遭遇し、そのたびになぜそうなるのかという当惑を覚えてきた。
 日清戦争がなぜ始まったか、閔妃暗殺とは何か、説明できる日本国民がどれだけいるだろうと中島氏は問う。

 日本人の多くは、アジアとの関係史を吟味しないまま、ただ部分的なエピソードへの感傷に基づいて謝罪を表明してきました。しかし、次第に謝罪を強いられることが構造化すると、イライラや鬱屈がたまっていきます。その暴発が、ヘイトスピーチ的状況を生み出しているのでしょう。(『アジア主義――その先の近代へ』

 国交正常化以来〝最悪〟といわれる日中関係の今も、日本を訪れる中国人観光客は増加している。同様に日韓関係が戦後最悪に冷え切っているこの数十ヵ月も、韓国では日本の近現代文学が続々と翻訳されて読まれており、やはり日本を訪れる観光客は増加している。
 対する私たちは、どこまで隣人たちのことを知っているのだろう。自分たちの「未来」を展望するために不可欠な、「過去」への共通理解をどこまで構築できているのだろう。

「葦の髄から時評」:
vol.1 1985年以降――「報道が視聴率を競う時代」の始まり
vol.2 ブッダの思想――1人の思想と言動が、なぜ世界に分かち合われたのか
vol.3 断罪するメディア――「被疑者がいかに異常な人間であるか」という連呼
vol.4 アショーカ王の獅子――インドの国旗と国章に込められたメッセージ


東 晋平 ひがし・しんぺい●1963年、神戸市生まれ。フリーランス文筆/編集。著書に、『彩花へ――「生きる力」をありがとう』(企画構成/河出書房新社)、『彩花がおしえてくれた幸福』(共著/ポプラ社)、『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙』(共著/宝島社)、『オーランド・セペダ自伝』(編訳/潮出版社)、『アーティストになれる人、なれない人』(企画構成/マガジンハウス)など。チュラロンコン大学、東京大学、早稲田大学、関西大学など講演多数。