戦時下の「獄死」から70年。世界へ広がった牧口常三郎の理念

ライター
青山樹人

新渡戸稲造が序文を寄せる

 2014年11月18日――。メディアが安倍首相の衆議院解散発言に揺れていたこの日は、じつは創価学会(当時は創価教育学会)の初代会長・牧口常三郎の「獄死」から70年目にあたる日でもあった。
 明治4年(1871年)に生まれた牧口は、若き日から教壇に立ち、東京の白金尋常小学校など6校の校長を務めた教育者である。「国家のための教育」が当然視されていた時代に、牧口は「教育は子供自身の幸福のためにある」と主張。その教育理念は弟子の戸田城聖(のちの第2代会長)の尽力を得て結実し、昭和5年(1930年)に『創価教育学体系』第1巻が発刊された。
 国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造は序文を寄せ、

「君の教育学は、余の久しく期待したる我が日本人の生んだ日本人の教育学説であり、而も現代人が其の誕生を久しく待望せし名著であると信ずる」

と述べている。
 この『創価教育学体系』刊行の日付が創価教育学会の創立の日となっている。
 また牧口は地理学者としても優れた業績を残し、32歳で『人生地理学』を出版。この評価から新渡戸をはじめ民俗学者・柳田國男とも交友を深め、柳田とは共同研究した記録も残されている。
 50代半ばで日蓮仏法に出合い、探究を進めていった牧口は、単に教育のみならず社会・生活全般の改革の必要性を感じていく。牧口の創価教育学会に賛同する者は教育者以外にも広がり、やがて同会は日蓮仏法の実践を主軸とする宗教改革の団体として本格的に歩みはじめるのである。

戦時下で信念を貫いて獄死

 だが、既に日中戦争を始めていた当時の日本は、国民の思想統制を強めていた。昭和15年(1940年)には内務省の外局として神祇院が設置され、皇紀2600年を祝う大祭が全国11万の神社で催されている。
 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の出した最初の指令が国家神道の廃止を命じる「神道指令」であったように、国家神道は国民を戦時体制に動員する文字どおりの戦争遂行の要となっていたのだ。
 こうした時代にあって、牧口は軍部政府の宗教政策を公然と批判した。太平洋戦争開戦から1週間後に出された機関紙『価値創造』第5号では、神道を

「いかに古来の伝統でも、出所の曖昧なる、実証の伴はざる観念論」とし、これに国家と国民生活をゆだねることは「絶対に誡められなければならぬ」

と書いている。
 創価教育学会の座談会場に特高警察のあからさまな監視と妨害がつくようになっても、牧口は恐れることなく老齢の身で全国各地に赴いた。
 軍部政府は全国の寺社や事業所、各家庭に伊勢神宮の神札を祀ることを指示し、牧口が信仰していた日蓮正宗もこれを信徒に命じたが、牧口は創価教育学会としてこれを拒絶。直後の昭和18年7月、牧口は戸田と共に、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕・投獄される。
 この時期、日本の宗教団体は弾圧を恐れてこぞって軍部に屈し、積極的に戦意高揚に努めた教団も多かった。日蓮正宗などは日蓮の遺文集から国策に不都合な言葉を削除するなどしている。一方の牧口は、取り調べの検事に対しても宗教的信念を語っていたことが調書に記録されている。牧口は最期まで転向することなく、老衰と栄養失調のため昭和19年(1944年)11月18日、巣鴨拘置所内の病監で逝去した。

日本の平和に決定的な役割

 作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏は、著書『創価学会と平和主義』の中で、同志社大学神学部時代に受けた幸日出男教授(現・名誉教授)の講義の思い出を綴っている。

 幸教授の創価(教育)学会の戦時下抵抗についての講義は実に熱が入ったもので、私に強い印象を残したのだ。
「信仰の真価は、危機のときにわかる。われわれキリスト教徒は実にだらしがなかった。この点で創価教育学会から虚心坦懐に学ばなくてはならないことがたくさんある」と、しばしば強調していた。

 そして、ミッション系の名門・神戸女学院院長である森孝一博士が、バークレー神学大学院連合太平洋神学校で神学博士号を取得した際の論文が「創価学会の創立者・牧口常三郎研究(Study of Makiguchi Tsunesaburo,The Founder of Soka Gakkai)」であったことも紹介している。
 昨今の日本では国連から勧告を受けるほどヘイトスピーチが横行する状況が生まれ、再軍備や露骨な排外主義を公然と主張する極右政党まで誕生している。今回の衆議院選では、こうした政党の看板候補が「軍隊創設のために公明党の存在が障害になっている」と公言し、あえて公明党幹部の選挙区から立候補した。
 時計の針を巻き戻そうとしている勢力が公明党の存在を最大の障害だと認識して全面対決を挑んできている事実は、牧口の後継者たちが現実の日本の平和にとってどれほど大きな役割を果たしているのかをそのまま物語っている。
 信念の〝獄死〟から70年。牧口を創立の父とする創価学会の連帯は世界192カ国・地域に広がった。
 ファシズムが吹き荒れた日本で命を賭して良心を貫いた牧口の名は、今ではヨーロッパや南米の公園や通りの名前にも留められている。また、牧口の教育理念に基づくプログラムはブラジルの公立学校でも取り入れられ、既に100万人以上の児童が実践してきた。
 創価教育の学府も、日本はもとより、米国、韓国、香港、マレーシア、シンガポール、ブラジルに創立され、各界で活躍する多彩な人材を輩出している。牧口の理念は今、世界規模で開花する時代を迎えているのである。

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『宗教は誰のものか』(鳳書院)など。