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「葦の髄から時評」Vol.2 ブッダの思想――1人の思想と言動が、なぜ世界に分かち合われたのか

ジャーナリスト/編集者
東 晋平

世界の中心軸へと発展するインド

 インドには「乾季」「暑季」「雨季」という3つの季節がある。南北3200kmを超す大きな国土だけに一概ではないが、11月から3月までが乾季、4月から5月が気温のもっとも高くなる暑季、6月から10月が雨季になる。
 デリーのインディラガンディー国際空港に降り立ったのは、今年(2014年)の3月31日だった。2度目のインド。1度目は1990年だったから、ほぼ四半世紀ぶりだ。2010年に新たに開業した国際線の「ターミナル3」は広々としている。酷暑を覚悟していたものの、前夜にいたバンコクの熱気に比べればしのぎやすかった。
 前回の旅はインド文化関係評議会に招聘された文化交流団の一員としてのもので、私もまだ20代の半ばだった。当時のインドはもちろん今のような「IT大国」でもなく、真夜中に着いた空港の狭い到着ロビーの中には牛がいて驚かされた。ラジブ・ガンジー首相が自爆テロで暗殺されるなど国内政治も混沌としており、なによりも貧困が目立った。訪れたデリーでもコルカタでもパトナでも、ホテルから一歩外に出れば私たちの一行は物乞いをする人々に囲まれた。
 歳月が流れ、そのインドも2011年にはGDP(国内総生産)で日本を抜いた。1位がアメリカで、2位が中国、3位がインド、4位が日本。インドの人口は12億5千万人を超し、中国とインドだけで全世界の人口の4割に達する。
 19世紀における〝世界のセンターポジション〟はヨーロッパだったが、それは20世紀には大西洋を越えてアメリカに移り、今やさらに太平洋を越えて、中国とインドを擁するアジアの東半分に移ろうとしている。このことは自ずと、それらの地域文化への表層的な関心だけではなく、その地下水脈に流れる思想や精神性へと、世界の目を向けさせ、再発見を促していくことになるにちがいない。
 なによりアジアの人々自身が、自分とは何者であるのか、世界に何を贈り得るのか、精神の深層を掘り下げて確かめなければ、どうにも足の踏ん張りようがなくなるはずだ。

アジアの智慧を掘り起こすのは日本の役割

 その地下水脈に流れる智慧とは、どのようなものなのだろう。私たちはアジアの東端に暮らす一員として、自分たちの意識や文化の深層に流れ通う哲学を、どこまで自覚的に見つめることができているだろうか。
 今回、私が再びインドを訪れたのは、台頭する大国の〝今〟を見ておきたいということもあったが、そもそもなぜあの地で仏教という巨大な思想が誕生したのかを、もう一度その場所に立って自分なりに感じ、考える糸口にしたいと思ったからである。
 紀元前5世紀にガンジス流域で生まれたブッダの思想は、標高7000メートルのカラコルム山脈を越え、西域からタクラマカン砂漠を渡り、1千年以上の時間をかけて日本に到達した。多様な文明と出合い、豊饒な色彩を浴び、精緻に研ぎ澄まされ、展開され、凝縮され、なによりも命懸けの情熱によって運ばれてきた。
 そのダイナミズムがあればこそ、飛鳥時代以降1500年間にわたって、人々の死生観はもちろん、政治、建築、文学、美術、演劇、食など、日本という国のあらゆる営みに、仏教は圧倒的な作用を与えてきたのであろう。
 2500年前にヒマラヤの麓に生まれた1人の人間の言論と行動が、なぜこれほどに人々の心を掻き立て、分かち合われ、長遠な時間を生き抜いていったのか。
 もっとも、インドではイスラムの侵入によって12世紀には仏教が衰亡する。今日のインドで仏教徒は人口の1%にも満たない。一方、日本でも宗教としての仏教の大半は、今や〝生きた思想〟というよりも専ら葬送を扱う生業になり果てている。いずれも仏教の叡智の水脈は、人々の井戸の届かぬ深い地層の下に潜り込んでしまったように思われる。
 ゴータマ・シッダールタとは何者であったのか。何が彼を生み出し、彼は何と戦い、どのようなメッセージを人々に届けようとしたのか。
 そのことを磨き出し、世界に向かって語るのは、ひとりインドだけではなく、幸いにもその思想の上に豊かな歴史を築くことができた日本の役割でもあると私は思っている。


東 晋平 ひがし・しんぺい●神戸市生まれ。駒澤大学文学部卒。『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)、『彩花へ「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)、『彩花が教えてくれた幸福』(ポプラ社)などを企画構成。編訳に『オーランド・セペダ自伝』(潮出版社)。共著に『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)。他に詩人アンドレ・シェニエを描いたアニメ『革命の若き空』の脚本など。