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【コラム】集団的自衛権と公明党を問う(3) 自公連立の意味

ライター
青山樹人

どんでん返しとなった閣議決定

 5月15日の記者会見で、安倍首相は「限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方」で、与党協議に入り閣議決定をしたいと発言していた。
 だが前2回のコラムで検証してきたように、7月1日の安全保障法制に関する閣議決定は、あたかも新たに「集団的自衛権」に踏み込んだかのように見えながら、実際は日本政府がこれまで「個別的自衛権」の範囲としていた領域を出ないものだった。
 安倍内閣がそのような苦しい着地をせざるを得なくなった理由について田原総一朗氏は、

公明党が強く反対をしたため、政府・自民党は大きく妥協。さまざまな条件をつけるなどして、当初の案を大幅に変更した。その結果なのだろう。(田原総一朗公式ブログ 7月23日

と連立のパートナーである〝公明党の抵抗〟を挙げている。
 集団的自衛権の行使容認に強く反対してきた元内閣法制局長官の阪田雅裕氏も、

公明党も内閣法制局も、従来の政府見解を維持するという前提で、これとの論理的整合性を保った内容とするために知恵をしぼり、また、自民党その他の関係者の理解を得るべく精いっぱいの努力を傾注して、閣議決定の文言に到達したのだろうと推測していますし、その点は評価するべきではないでしょうか。(『第三文明』9月号 特別インタビュー)

と、公明党と内閣法制局の努力に言及している。
 安倍首相が〝集団的自衛権の一部行使〟を容認する閣議決定をおこなうと表明した当初、多くのマスコミや識者は「公明党は連立から離れざるを得ない」と予測し、あるいは離脱を迫った。
 そしてそれらの声は、公明党が早い段階で〝連立政権を維持〟と表明すると、「連立維持を優先させるために安倍首相に追従するのか」という、落胆と非難の混じった憶測に変わった。
 だが、どうやら結果はむしろ「公明党の圧勝」(佐藤優氏インタビュー「閣議決定どう見るか」『公明新聞』7月6日付)となり、しかも連立は維持された。
 集団的自衛権行使容認に反対してきた政治評論家の森田実氏は、山口那津男公明党代表との対談で、国会での自民党と公明党が〝40対5〟の勢力差であることに触れ、

その勢力関係の中で、五分五分以上の交渉を行い、交渉は明らかに公明党が勝ちました。これはすごいことだと思います。(『第三文明』9月号 特別対談)

と述べている。
 前述した元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は、

今回もし公明党がいなければですよ、すぐにでも戦争できるような閣議決定になったでしょうね。(文化放送「くにまるジャパン」7月4日放送)

と、公明党が連立のパートナーとして存在していることが、右傾化する日本政治に対して決定的なブレーキになったという見方を示した。

自公連立の〝消極的理由〟

 しかし一方で、〝平和の党〟を掲げる公明党が自民党と連立を組んでいることに対する異論は、世論の一部に依然として強い。
 このことについて筆者は以前、別の記事で言及した。(WEB第三文明【コラム】結党50年。綿密な取材が描き出す、その素顔――書評『公明党の深層』
 あらためて筆者の考えを整理すると、

①公明党が連立を離れれば、ナショナリズムの強い政党勢力が自民党と連携することは火を見るより明らかで、日本の右傾化、近隣諸国との関係悪化は最悪のシナリオになりかねない。
②他方、呉越同舟で党派内の権力闘争を繰り返し、風頼みの選挙に依存している今の野党が、巨大与党を越える勢力を結集し、今後10年も20年も安定して政権を維持できるとは誰も信じないだろう。

ということだ。
 ただし、これは〝消極的な理由〟である。
 2009年に民主党に政権を奪取されたあと、自民党はナショナリズムやタカ派色を一層強く前面に出した。そうすることで、民主党との対決軸を鮮明にしようと図ったのだろう。その戦略は功を奏し、自民党は圧倒的な議席を獲得して政権に復帰した。
 周知のとおり公明党は創価学会を支持母体としている。創価学会は世界192ヵ国・地域に広がる在家の仏教団体である。しかも、初代会長と第2代会長はファシズムが吹き荒れた戦時中、宗教的信条を貫いたことで軍部政府によって投獄され、初代会長は獄死した。第3代会長である池田大作氏もまた、生涯を世界平和の構築に捧げてきた。
 そうしたバックボーンから生まれ、支えられている公明党が、そもそもなぜ自民党と連立を組めるのか。上記のような消極的理由だけで、連立を組んでよいのか。本来なら、むしろ自民党は正面から〝対決〟すべき敵ではないのか――このように問う声が、一部に根強くあるのだ。
 3回にわたった本稿の最後に、この点について、他ならぬ公明党創立者でもある池田氏の著作をひもといて、筆者の考えを記しておきたい。

「正義が憎悪を生む」という罠を避ける

 イギリスの歴史学者アーノルド・トインビー氏と池田大作氏の対談集『21世紀への対話』(聖教新聞社)は28言語で出版され、これを読んだことが契機の1つとなって池田氏との会見に至った世界の知性や政治指導者は少なくない。
 この対談集の中でトインビー氏は、ソクラテスがふだんは政治に関与しようとせず、しかしいざとなれば、死をもって政治権力と正面から対決してでも正義を実現しようとしたことを評価した。
 池田氏は、ブッダの姿勢を対比させて、このように語る。

ブッダの時代にも、またその後の仏教の歴史においても、しばしば政治的弾圧が加えられました。(『21世紀への対話』)

 前述したように、創価学会もまた最大級の政治的弾圧を受けてきた。

しかし、仏教者は、そうした政治上の権力と同一次元で対決するのではなく、もっと精神的に高い次元から対処しようとするところに特徴がある。(同)

 この対談がなされた昭和40年代の後半、公明党はまだ誕生して10年ほどの野党だった。だが既に池田氏は仏教者の政治的態度として、弾圧を加えてくる政治権力と〝同一次元で対決〟してはならないと示唆している。
 なぜなら宗教者が政治権力と〝同一次元で対決〟する構図で正義を実現しようとすれば、究極的には殉教をも辞さない〝対立と憎悪〟へと民衆を駆り立ててしまうからだ。平和と正義を実現すべき宗教が、社会の中に「分断」「対立」「憎悪」を生み出すことになってしまう。
「宗教的信念」を貫いた極限である牧口初代会長の獄死を、単純に「政治的信念」と混同してしまえば、創価学会は常に国家権力を敵視し、政治的信条の異なる人々を憎悪する宗教になりかねない。
 では、どのような方法で政治権力の横暴と戦っていくべきなのか。

 池田氏は、現代ロシア語文学を代表する作家チンギス・アイトマートフ氏とも家族ぐるみの友誼を重ね、対談集『大いなる魂の詩』(聖教新聞社)も上梓している。
 アイトマートフ氏はローマクラブの会員であり、ゴルバチョフ時代にはブレーンとして大統領会議員を務め、晩年は駐ルクセンブルクソ連大使、キルギスのEU大使などを歴任した。ペレストロイカの旗手として、政治の中枢を見てきた人物だ。
 両者の対談集が発刊されたのは1991年11月。3ヵ月前にはゴルバチョフ大統領が守旧派に軟禁されるクーデター未遂事件が起き、そこから一気にソ連邦の解体が進んで、12月25日には地上からソ連邦が消滅する、そのまさに歴史の狭間の出版だった。
 ソ連という国で生まれ育ち、政治の裏切りと暴虐を目の前にして戦慄していたアイトマートフ氏は、

政治における言葉は、ふつう真の意図を隠す手段です。したがって、政治家同士の会談、あるいは政治家と「人民大衆」との話し合いを、常に対話と呼ぶことはできません。(『大いなる魂の詩』)

と、政治における「言葉」や「対話」に、絶望的な不信感を語っている。
 池田氏は、その友の悲憤を受け止めつつ、こう対話を続ける。

古代ギリシャのポリスにあっては、政治の主役は権力や暴力による支配ではなく、言論による説得と合意にありました。(同)

 そして、至難の業であったとしても、現代社会もまた政治における対話を復活させるほかはないとした上で、次のように語るのである。

ともあれ、今日、政治は今までとはまったく別の、いわば、正反対の役割を果たさなければなりません。諸民族を引き離すのではなく、単一の人類に結合させねばならないのです。(同)

公明党の〝哲学〟を理解するべき

 横暴な権力や異なる政治信条に対し、民衆を分断と憎悪に駆り立てるような〝対決〟を賢明に避け、しかし相手を対話のテーブルに着かせるだけの、存在感ある民衆の連帯を示さねばならない。
 あくまでも政治を〝言論による説得と合意〟に立ち返らせ、その上で〝今までとはまったく別の〟アプローチとして、〝分断による人々の対決〟の政治ではなく〝対話による人々の結合〟の政治へ転換させなければならないと、池田氏は主張しているのである。
 ちなみに、この対談がなされた当時も公明党は野党であった。後年に実現した自公の連立を、互いの利害の一致うんぬんという床屋談義だけで論じては、その本質を見誤るだろう。

 思えば日蓮の代表的著作であり、時の最高権力者・北条時頼に上呈された『立正安国論』もまた、横暴な権力者に対して仏法者である主人公が「対話」という方法で向かい合い、意見の衝突を越え、〝言論による説得と合意〟に着地していく構成になっている。
 今回、巨大与党となった自民党の勢いを背景に、時の首相が「集団的自衛権の行使容認」を公言した。それに対し、公明党は文字どおりの〝言論による説得と合意〟を忍耐強く重ね、首相のメンツを保ったまま実質は従来の政府見解を越えない閣議決定へと着地させた。
「連立からの離脱」を言挙げしたマスコミの論評は、そもそも哲学的に公明党を理解していないのではないかと筆者は思う。
 閣議決定の着地をどう評価するかは、さまざまな意見があるだろう。だが、現実問題として、今後の法案審議で公明党の存在は国民全般にとってさらに重要になる。
 自公連立が、少なくとも公明党側にとって、いかなるアプローチに基づくものなのか。批判するにしても期待するにしても、そこをよく理解する必要があると思う。

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『宗教は誰のものか』(鳳書院)など。