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テクノロジーによる社会システムの変化を読み解く

作家・ジャーナリスト
佐々木俊尚

テクノロジーが導く新たな世界の構造――現在のレイヤー(層)化した世界を読み解き、未来像を探る。

変化を肌で感じる若い世代

 今、新しい世界の構造がつくられようとしています。
 近著『レイヤー化する世界』を上梓したきっかけは、20代の若い世代が新しい世界観を皮膚感覚的に理解してはいるものの、具体的な裏付けがないと思ったからです。
 上の世代の人たちの間では、若い世代を〝意識高い系(周りからみると痛々しく映ってしまうこと)〟と揶揄する論争がありますが、私は若い人たちに分があると思っています。彼らの感覚が正しいという裏付けを、ロジックと歴史的背景で示すことができるのではないか、との思いでこの本を執筆しました。
 新しい世界の構造を探るためには、まず今の世界システムがどのように成り立ってきたのかを知る必要があります。そこでわかったことは、歴史観を持っている人が意外と少ないということです。
 たとえば、50代の人が歴史を振り返って話をする時、せいぜい20代ごろ以降の話しか語りません。
 また、政治家が使う「伝統的な家族観」という言葉も、サラリーマンの夫と専業主婦の妻と子どもが2人といった標準家庭を指していますが、この家族観も戦後の産物です。戦前においては、会社員の夫や専業主婦は極めて少なく、夫は工場勤めが多く、妻も働く共働きのスタイルが大半でした。
 ほとんどの人が、自分が生まれ育った皮膚感覚で歴史を語ります。そして、自分の生きている社会のシステムは昔からずっと続いてきて、今後もずっと続いていくものだとなんとなくイメージしてしまっています。
 しかし、システムは出来上がるのに時間がかかり、出来上がった瞬間に壊れていくものです。常に安定と崩壊、そしてまた安定に戻るといったバイオリズムの繰り返しできています。自分が生まれ育った歴史をもっと遡り、そもそも私たちが立脚している現在の位置が、それほど永続性の高いものなのかということを問い直す必要があると思います。
 わずか数十年しか続かなかったシステムを前提にして、世の中を語るというのはあまりにも短絡的であり、近視眼的です。

スタートしたばかりのテクノロジーの変化

 テクノロジーの本質的な変化は、1995年ごろのパソコンブームやインターネットの出現ではなく、2000年代に入ってからのソーシャルメディアの普及にあります。
 大学生の終わりころにインターネットが普及した団塊ジュニアの世代は、原稿用紙がパソコンに変わった、紙の会社案内がウェブサイトに変わったと、コンピューターを文房具と捉えています。
 しかし、はじめからスマホやタブレットが身近にあるデジタルネイティブの世代になって起きたテクノロジーの変化は、便利な文房具の登場ではなく、社会のインフラ(社会資本)そのものの変化です。
 たとえば、鉛筆と原稿用紙がパソコンに変わっても〝書く〟という行為自体は変わりません。これがツイッターやフェイスブックに見られる双方向性の高いメディア上では、書いたものに対して賛同や反論が生じ、そこから新しいものが生みだされたりします。つまり、〝書く〟ことのインフラそのものに変化が起きたのです。ここが決定的に違うところです。クラウドソーシング(インターネット上での受発注)やクラウドファンディング(インターネット上での寄付)といったサービスの出現はあきらかに文房具の域を超えています。
 そしてこの変化はスタート地点を過ぎたばかりで、今後数十年、数百年続いていき、メディア空間や人間同士の関係性を全く想像もつかない新たな形に変えていく可能性が高いといえます。
 日本人は海外に比べ、テクノロジーの変化に対する認識がすごく鈍く、社会や世界という自分が生きている空間を構造的に見ることをあまりしません。生身の人間の感覚だけで話をする傾向があります。しかし、人間そのものがある種の構造の中で動いていることを認識する必要があると思います。

ゆるやかなつながりの大切さ

 今、ネットとリアルの境目がなくなってきています。
 5年くらい前から、ネット上で知り合って結婚する男女が増えています。親世代はネット上の出会いを恥ずかしいと思い、「そのことは結婚式では言わないでほしい」といった反応を示します。しかし、子どもからすれば、どこで知り合おうが関係のないことで、完全にネットとリアルがシームレス(つなぎ目がないこと)につながっています。
 このようなネットとリアルの境目がなくなった世界の中では、人と人とのつながりに変化がおきます。
 それは〝ゆるやかなつながり〟の大切さです。
 社会学に「ストロングタイズ」と「ウィークタイズ」という言葉があります。ストロングタイズは強いつながりを意味し、同じムラ、企業の上司・同僚・部下、学校の同級生、親戚・家族といった強い関係性を指します。
 一方のウィークタイズは弱いつながりを意味し、インターネット上のつながりはその典型です。ストロングタイズに比べると、安心感はきわめて弱いものになりますが、ゆるやかなつながりは自分と異なる価値観の人たちとつながる多様性に富んだ空間です。そこでは常に新鮮な情報が流れ込んでくるメリットがあります。
 狭いところで、強いつながりの人たちと常に一緒にいるよりも、いろんな場所でいろんな人とつながっているほうが、セーフティーネットとしては強いといえます。
 人にはさまざまなレイヤー(層)があります。たとえば、私の場合でいえば、日本人という国籍のレイヤー、ジャーナリストという職業のレイヤー、和食が好きで料理をつくるのが日課という食の好みのレイヤー、登山とランニングを楽しむという趣味のレイヤーなどです。これらの複数のレイヤーが積み重なった結果として私という個人が存在しています。
 今までリアル空間で暮らしていると一つのレイヤーしか見えていなかったのが、インターネットによって複数のレイヤーが同時に可視化され、同じレイヤーの人を容易に探せるようになりました。
 そうなると、それぞれのレイヤーで他の人とつながりやすくなり、ゆるやかなつながりが無数に生みだされる世界となっていくのです。
 どこかに帰属できて、一生安泰というような時代が終わった今、ゆるやかなつながりの仲間を増やすネットワークが、重要性を高める時代になったといえるでしょう。

精神的支柱の重要性について

 1990年代にデジタルデバイドという言葉が登場し、ネットやパソコンが使える人と使えない人の間で、待遇や機会、収入の格差が生じるという議論が起こりました。携帯電話の普及により、事実上のデジタルデバイドはなくなりましたが、2000年代後半にアメリカで新しいデジタルデバイドの議論が起こりました。
 それは、皆にネットが行き渡ったものの、その結果、アメリカの貧困層の家族では、一日中ゲームをやっている状態が増えたというものです。
 つまり、使いこなせる人にとってはとても良いツールになる一方で、何もしない人にとってはダラダラと過ごすだけのダメなツールになってしまう。
 このようにネットの使い方によって、格差がさらに広がるという新たな問題が浮き彫りになっています。
 日本においても同様の懸念があります。20世紀型の日本社会は、まがりなりにも全員がそれなりに「努力しましょう」という前提で成り立ってきました。しかし今やその前提が壊れつつあり、「努力しても無駄」というような風潮が広がり、格差を生んでいます。
 こうした問題は、教育だけで解決できる問題ではありません。教育とともに宗教のような精神的支柱の果たす役割が大きくなってくると思います。
 また、テクノロジーが主体の社会では権力機構が変化し、これまでの規範型権力から環境管理型権力にシフトしています。環境管理型権力のもとでは、人は管理されている実感が弱まり、依拠する先を見失います。
 パワースポットのような宗教的雰囲気が人気を集めているのも、宗教に対する期待感やそこに依拠したいという何かの表れです。
 その意味でテクノロジーによって世界が新しい構造へと変化する今、宗教の役割については今後注目すべきテーマの1つだと思います。

<月刊誌『第三文明』2013年11月号より転載>

『レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる』
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佐々木俊尚著
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2013年6月5日発刊
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